第13話 母の説教

「……浩太」

母さん――香澄は、俺に向けて低い声を絞り出す。

その眼差しは、氷みたいに冷たくて、だけど内側には煮えたぎるマグマが潜んでいた。


「な、なにその目……ちょっと話聞いて……?」

「話す必要なんてないわよ。全部わかってる。浩太、女の子とホテルに入って……」

「ま、待って! ホントに違うから! お菓子食ってただけだから!」

「……へぇ。お菓子を食べるのに、どうしてホテルを選ぶ必要があるのかしら?」


ぐうの音も出ない。

完全に理詰めで来る母さんに、俺は蛇に睨まれたカエルみたいな気分になった。


その時――

「ちょ、ちょっと待ってください! わたし、悪くないですからね!」


ベッドの陰から、綾が顔を出した。

青ざめてるけど、逆に開き直ったみたいに声を張り上げる。


「浩太くんが誘ったんです! わたしはただついてきただけで!」

「なっ……お前、裏切るなよ!」

「だって怖いんだもん! あのお母さん、絶対わたしのこと殺す目で見てるもん!!」


香澄の視線がすっと綾に向く。

目が合った瞬間、綾は固まった。

獲物を睨む肉食獣にでも見えたんだろう。


「……あなた、名前は?」

「よ、吉田……綾、です……」

「綾さんね。うちの浩太をどうするつもりなの?」

「ど、どうもしませんよ!? ただ一緒にお菓子食べてただけで……!」

「ホテルで?」

「ぐっ……! そ、それは……っ」


母さんの追及に、綾は完全に窮地に追い込まれていく。

俺は必死で間に入ろうとした。


「ま、待て母さん! 綾が悪いわけじゃない! ホントに変なことなんかしてないから!」

「浩太、黙ってて。母さんは綾さんに聞いてるの」

「ひぃっ……! ち、違います! わたし、浩太くんのことを襲おうとか、そういうんじゃ……いや、ちょっとは……いやいやいや違うんですって!!」

「……ふぅん」


母さんの目が細まる。怖すぎる笑みを浮かべて。


「まって、母さん!! 綾は悪くないって言ってるだろ!!」

「浩太……あなた、まだ自分がどれだけ危ない状況か分かってないのね」


母さんは一歩、また一歩と近づきながら目を細めた。


「綾さん。正直に言いなさい。――浩太を襲うつもりだったんじゃないの?」

「ち、違います! そ、そんなつもりじゃ……っ!」

「じゃあ、どういうつもりだったのか説明して?」

「え、えっと……その……」


綾の肩がガクガク震えてる。

このままだと完全に泣くぞ……!


「ま、待て母さん! 綾はそんな子じゃない! 本当に偶然っていうか……」

「浩太、あなたの話は後で聞くから静かにしてなさい」

「ひっ……! ちょっ、浩太……助けて……! わたしもう無理……」


綾が半泣きになりながら、俺の腕をがっちり掴んでくる。

手がめっちゃ冷たい。完全に怯えきってる。


「お、俺に助け求めんなよ!? 俺だって助けてほしいくらいだわ!!」

「だってぇぇ……! このお母さんほんとに怖いんだもん!!」

「……浩太。あなた、こういう子に引っかかるのが一番危ないのよ」

「ちょ、母さん!」

「引っかけてません! わたしそんなつもりで来たんじゃ……!」

「じゃあ、どんなつもりで?」

「うぅっ……! こ、浩太がお母さんにイタズラしたいって言ったから……!」


「…………」

香澄の眉がぴくりと動く。


その沈黙に耐えられなくて、綾は俺にぎゅっとしがみついた。

「浩太~~ほんとに襲うつもりなんてほんの少ししかなかったから信じてぇ~~!」

「お前、ほんの少しって、正直に言いすぎだろおおっ!」












「……はぁぁぁぁ~~~」

さっきまでの地獄みたいな修羅場が、嘘みたいに静かな時間。

ホテルからは母さんに腕をつかまれたまま、強制連行された。

綾も一緒にいて、今は三人でカフェの隅の席に座っている。


沈黙。

めっちゃ気まずい。


「……浩太」

母さんが、ようやく口を開いた。


「説明しなさい。本当に、ホテルで何をしていたの?」

「だから言ってるだろ、お菓子食ってただけだって」

「……」


綾が慌てて手を振る。

「そ、そうです! ほんとにお菓子しか食べてないです! それ以外なにも……!」


母さんの目が細められる。疑いはまだ完全には消えてない。

俺は観念して、正直に打ち明けた。


「……母さんが弁当箱に仕込んでたGPS、また見つけたんだよ」

「っ……!」

香澄の顔がぴくりと強張る。


俺は続ける。

「だからさ、ちょっとイタズラしてやろうと思って。

 “あえてホテルにいることにして母さんをビビらせてやろう”って。

 ……綾の提案で…」

「なっ……! ちょ、ちょっと! そんな言い方やめてよ! わたしだって被害者なんだから!」


綾が涙目で抗議してくるけど、事実だから仕方ない。

母さんはしばらく無言で俺を見つめていたが――やがて、ふぅとため息をついた。


「……確かに、母さんがGPSを仕込んだのは悪かったわ。

 浩太の気持ちをちゃんと聞かずに、勝手に心配して……」

「お母さん……?」

「でもね母さんをからかうために、わざわざホテルなんて……」

「い、いや、だって面白いかなって……」


母さんの眉がぐいっと吊り上がる。

「面白い!? 浩太、あんた自分が男子だってことわかってるの!?

 男子が一人で出歩くだけでも危ない世の中なのに! “ホテルにいる”なんて位置情報が出たら母さんがどうなるか想像しなかったの!?」


「……」

「……」


俺と綾、完全に小動物。

母さんの気迫、半端ない。


「第一ね、ホテルっていうのはね――っ、わ、わざわざ説明させないでよ!」

(顔が真っ赤になってるあたり、母さんも意外と初心なのかもしれない。)


「男の子が“そんな場所にいる”ってだけで誤解を招くの!

 母さんが心配するのは当然でしょ!?」


「……ごめんなさい」

「謝ればいいって話じゃないの!」


机を叩く母さん。

カフェの店員が一瞬こっちを見たけど、すぐに目を逸らした。

(気まずすぎる……)


「浩太、あんたのこういう“無防備さ”が一番怖いのよ。

 綾ちゃんみたいな子じゃなかったら……もしかして本当に危ない目にあってたかもしれないのよ!」


「わ、わたし!?」

突然名前を出された綾が、ぴょこんと肩を跳ねさせる。


母さんは真剣な目で綾を見た。

「綾ちゃん、今日浩太に付き合ってくれてありがとう。……でももし何かあったら、あなたも巻き込まれてたの。

 浩太を守れるのは、母であるわたしだけだから」


「……」

「母さんもGPSを付けたのは謝るわ。

 でも……浩太が大事なのは、本当なの」


その言葉に、俺はなんも言えなくなった。


ただ、隣で綾が「え、何この重い母の愛……」って顔でドン引きしてるのだけは目に入った。

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