第4話【技術とは】
翌朝の会議室は、白色灯が紙の角だけ鋭くする。
スクリーンには飾り気のない一枚——《臨時設計チャレット:Phase0.5》。卓上にはトランプ大の用語カードが散らされている。表に「ECLSS」「ISRU」、裏に短い日本語。読むためじゃない。討論のための道具だ。
ホワイトボード右上には太字の張り紙。〈禁止語〉今すぐ/様子を見る/とりあえず。
その下に小さく誰かの落書き——標語は一日一個。
室長が砂時計(30秒)を逆さにする。
「ルールは三つ。一人一案。五分出す/五分叩く/五分折り合う。百人いれば百個のアイデアでいい。今日は三枚だけ紙にする」
俺はタイマーを押し、最初の題を掲げる。
第一題:EDL(降り方)——帰る設計
前列から推進派(推進主任)、エアロ派(熱)、折衷派(軌道)が一歩出る。
推進派「推進捕獲で行く。Δvは千二百。重くなるが、Abort Envelopeが広い。帰れる確度を買う」
エアロ派「弱いエアロキャプチャを残す。浅入射でq_maxを抑え、燃料を節約。熱の不確実はある。だから先に練習する」
折衷派「三系統を最初から設計に入れる。第一葉=推進捕獲、第二葉=弱エアロ、第三葉=フライバイ帰還。モード切替条件を紙に降ろす」
安全が口を開く。「安全率は重さ。書けるか?」
推進主任は即答する。「GG起点。効率は捨てる。Block-2でSCへ移行」
財務が割って入る。「輸送回数が変わる。四半期で何が残る?」
後方の若手がぽつり。「キャプチャ失敗→フライバイ、政治の時間に乗るのか?」
俺はホワイトボードに三×三のマトリクスを描き、横軸に「安全余裕」、縦軸に「輸送効率」。付箋が次々に貼られる。砂が落ち切る前に、室長が短くまとめた。
「決定:主=推進捕獲、副=弱エアロ、保険=フライバイ。
切替条件は今日中に三行で。**“誰が/いつ/どのボタンを”**まで」
「今、CCBを起票します」俺はノートPCを開く。件名—CCB-041:EDLモード切替。
押すのは運用、読むは安全、見張るは通信。三役を番地表に落とし込む。
砂時計を返す。次の題へ。
第二題:推進と熱(ZBO)——毎日来る請求書
ホワイトボード中央に黒い字を一発。「熱は毎日請求書が来る」。比喩はこれ一つでいい。
熱「MLI 24層+サブクール−20K。配管はΔT<3Kで統一」
推進「ヘリウムフリー路線。起動系だけ極少量。誘導流路を追加してNPSHを積む。+0.6 mまで行ける」
運用「地上で冷やす時間を買う。夜間電力で前荷冷却、打上げ前ボイルオフを削る」
「電気代が跳ねる」財務。
「場所を分ける」熱。「地上=設備償却、宇宙=運用費。四半期の紙に残す」
安全が目を細める。「“だいたい”は禁止語だ。ΔTとNPSHを数字で残す」
後方で手が上がる。親方だ。作業着の胸ポケットから小さな由来票の束。
「Oリング、FKM/ShA75で二経路押さえた。二色印でわかるようにした。印影は約束。押したら、やる」
室長が短く切る。「決定:MLI+ΔT管理に前荷冷却を重ねる。NPSH +0.6 mを設計基準。由来票は今日から二色印」
親方が朱肉の蓋を開ける。ぽん、ぽん。二つの印影が紙に沈む。朱の匂いが立ち、空調の音が一瞬だけ遠のいた。
第三題:通信(Ka/光)——会話が会話じゃなくなる時間
「30秒の遅延で会話は壊れる」俺は砂時計を掲げる。
通信「Ka主、国内二局+海外一で可視窓を繋ぐ。光は補助。晴天率で自動切替」
総務(法)「周波数照会が二方向から来ている。“待て”は書かせない文言でITUへ」
広報「Delay-30の常設デモを作る。T+3hで一次発表、T+24hで改訂。黒塗り基準は最初から掲示」
野次が一つ、しかし有益だ。「政治の時間に可視窓を合わせられる?」
「合わせる」通信。「日程表を地上局に重ねる。三行で説明できる図にする」
俺は三行で叩き台を打つ。
事実:Ka主/光補助、国内二局+教育連携一。
手続:自動切替は読む/押す/見張るを分離。
責任:照会は“測る”で返答。黒塗りの事実も公開。
「決定:その三行、官邸ブリーフにする」
第四題:ECLSS(暮らし)——寝袋の位置まで
再生派「CO₂スクラバー再生を主に。再生温度+10°Cを許容して機構を簡素化」
消耗派「初期はカートリッジ併用。交換を運用に組み込む」
遮蔽派「水の壁でストームシェルター。寝袋の位置を標準手順に」
「在庫を四半期に寄せると現金が眠る」財務。
「眠らせる価値がある」安全。「眠らない現場は危ない」
保健(医)が首を縦に振る。「睡眠手順にCO₂警報時の寝袋移動を入れて」
「決定:再生+消耗併用で入り、段二で再生単独へ移行。水の壁は初日から。寝袋の位置は手順に」
ここで事件が入る。ドアが半分だけ開いた。
「Powerpack-A、入口キャビテーション兆候。自動停止」試験棟からの係長が息を整えずに言う。
誰も慌てない。俺は内部用公開テンプレを開き、三行で打つ。
事実:Powerpack-A 自動停止(入口側キャビテーション兆候)。
手続:NPSH再評価+誘導流路追加の設計レビュー。
責任:CCBで**“誰が/いつ/どのボタンを”**まで降ろす。再開基準を票に追記。
「T+3hで一次発表。黒塗り基準は先掲示で」広報。
親方が俺の肩を軽く叩く。「印は押してある。次は手だ」
砂時計をもう一度返す。30秒の無音が流れる。誰もしゃべらず、誰も逃げない。止めたことを成功として記録する、と全員が同じ意味で理解している空気が、やっと会議室に根を下ろした。
午後の後半、国際連携の若手が画面を立ち上げる。海外窓口との接続。ピンの刺さった地図が、白色灯の反射でわずかに滲む。
《あなた方は人を火星圏に送るのですか》
室長が俺を見る。俺は三行で返す。
事実:今はPhase0.5(糸通し)。民生の範囲。
手続:段一=月の暮らし方→近火星。
責任:“行く”より“帰る”に投資。停止=成功で進める。
相手の頬がわずかに動く。回線の遅延か、迷いかはわからない。画面の向こうでも、砂が落ちているのだろう。
仕上げに、審議官が手を上げる。「行政語に落としてください。事故時の国民保護法制との整合、一枚で」
「三行でやります」俺は答え、読み上げる。
事実:推進捕獲主系/弱エアロ副系/フライバイ保険。ZBOはMLI+前荷冷却。通信はKa主・光補助。
手続:CCB-041発効、Delay-30の公開はT+3h/T+24h。三葉OPS(読む/押す/見張る)で分離。
責任:“誰が/いつ/どのボタンを”まで票に降ろす。停止ログをKPIに含める。
審議官はペン先を一拍止めて、うなずいた。「わかりました」
会議が解散の空気になったころ、俺は今日の三枚をプリンタから抜き取り、ホチキスで留める。
CCB-041:EDLモード切替
ZBO 熱収支仕様 v0.9(ΔT<3K/NPSH +0.6 m)
ECLSS 運用標準 v0.7(水の壁/寝袋位置)
表紙の角を指で揃える。紙の角は鋭いままがいい。柔らかくしたら、責任まで丸くなる。
廊下に出ると、国際の若手が追いつく。「外務、文言は**“共同試験”で通りました。“延期”は使いません」
安全が横から。「Powerpackの再開基準**、+0.6 mを条件に入れる」
財務の若手が腕時計を見ながら笑う。「四半期で残す紙、今日三枚。勝ちです」
俺のスマホが震える。ラボからの短い報告。
《誘導流路改修案まとまり。NPSH +0.6 m。試験は明朝》
《了解。停止=成功で記録済》と返す。
会議室に戻り、由来票の束から一枚抜いてペンを走らせる。
Oリング FKM/ShA75/ID12.1/CS2.4|○○ゴム工業|Lot#2410|検収□□(二色印)。
印影は約束。押したら、やる。押せないなら、作り直す。
最後に砂時計をもう一度だけ返す。30秒。
会話が会話じゃなくなる前に、紙に落とす。紙は軽い。だけど、押せるように作った紙は、手に乗せると重い。
その重さで、遅れてくる音を、少しだけ短くできる。
——百人百案で始めて、三枚で今日を終わらせる。明日また三枚。段は抜かない。糸を通す。
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