第14話:午後の色と、遠い恋と夢の余韻──ボサノヴァとフレンチ・ポップの二重奏
"She looks straight ahead, not at him."
― The Girl from Ipanema
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"Je suis l’ex-fan des sixties."
― Jane Birkin, Ex-Fan des Sixties
午後のカフェには、言葉よりも香りと音楽が似合う。
TOR GARDEN──あの庭の名を、いまでもふと思い出すことがある。
柔らかな陽射し。芝の匂い。琉球ガラスに注がれたパッションフルーツの炭酸水。
その横でかすかに流れていたのは、ボサノヴァだった。
アストラッド・ジルベルトの《イパネマの娘》。
鼻に抜けるメロディは軽やかで、でもどこか遠く、恋の後ろ姿のようでもあった。
20代。
まだ世界が平和で、自分にも輝ける未来があると、何の疑いなく思えていた頃。
ストローで飲むモエ・シャンドンに酔いながら、芝に寝転び、空を見上げていた自分が、確かにそこにいた。
けれどその時間も、その庭も、もう存在しない。
時を経て、今も音楽を聴いている。
けれどその選曲は少し変わった。
たとえば、そう…
ジェーン・バーキンの《Ex-Fan des Sixties》。
フレンチ・ポップ特有のウィスパーボイス。ふわりとした甘さのなかに、冷えた諦めがある。
「私はもう、60年代のファンじゃないの」
そう歌う彼女の声は、時代の熱をすり抜けてきた人だけが持つ、上品な“疲れ”のようにも聴こえる。
アストラッドが“恋が始まる気配”
ジェーンは“恋が終わった後の、笑い方”を知っていた。
ふたりの声は、どちらも静かに美しい。
けれど、歩いている時間が違う。
だからこそ、並べて聴くと、ひとつの人生を垣間見ているように思える。
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7月の朝。
あの時、譲ってもらったガラスの器に緑を活けるたび、記憶の庭が立ち上がる。
軽やかなボサノヴァと、ふいに重なるフレンチ・ポップの余韻。
どちらの音も、もうこの街ではあまり聴かれない。
でも、私の中では、いまも流れ続けている。
午後の光の中で。
恋と夢が始まる前と、終わった後のあいだで──
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