第12話:祈りとささやき──ロスコの絵と、二人の女の声
夜が少し深くなった頃だったと思う。
プレイヤーから流れてきたのは、ニーナ・シモンの《Little Girl Blue》。
ピアノの音は、鍵盤というより、彼女自身の胸骨を静かに叩いているようだった。
声は低く、揺らがず、そして静かに痛かった。
叫ばないのに怒っている。泣いていないのに、誰よりも深く泣いている──そんな声だった。
その夜、僕は部屋の壁にかけられたロスコの絵を見ていた。
《Untitled, 1967》。ピンクの背景に、濃紺と白の二層が浮かぶ構図。
けれど、あの夜のそれは、燃ゆる朱と漆黒にすら見えた。
上の濃い塊が、ニーナの沈黙と重なり、
下の白が、心に残された空白のように冷たかった。
音と色とが溶け合い、沈黙という名の空気が、塊のように迫ってきた。
——————
数日後、ふと手に取ったCDから流れたのは、ブロッサム・ディアリーの《Someone to Watch Over Me》。
最初、その声に戸惑った。
まるで少女のようだったから。
でも耳を澄ませているうちに、それが彼女の仮面だと気づいた。
声は軽い。まるで空気のよう。
けれど、その中にある願いは、ずっと重い。
「誰か、私を見ていてくれる?」
その一言を、彼女は叫ばず、ただそっと残していく。
誰にも届かないかもしれないことを、どこかで分かっている声だった。
——————
僕は思う、孤独にもいくつかのかたちがあるのだと。
ニーナの孤独は、深く沈んでいく。誰にも届かないまま、祈りに変わる。
ブロッサムの孤独は、見守られたいと願いながら、壁際で膝を抱えている。
ロスコの絵は、静かだ。だが、その静けさは中立ではない。
ニーナの声と重ねて眺めれば、濃紺は怒りであり、白は諦めに見える。
ブロッサムの声と重ねれば、白は願いであり、濃紺は不安になる。
色は変わらない。でも、聴く者の心によって、意味はまったく違ってくる。
二人の歌は、同じ“孤独”を語っている。
けれど、その表情はまるで違う。
そして、そのどちらにも、僕は確かに惹かれていた。
誰かに見守られたかった頃の僕。
そして、誰かのために祈りたかった頃の僕。
ロスコの絵は、それをすべて見ていた。
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