第8話:To Be With You──戦場に流れたバラード

第1章:赤・緑・青の式場で


学生時代、僕は結婚式場でアルバイトをしていた。

そこには3つの披露宴会場があった。


会場の大きさ順に、「ローズ」「エメラルド」「ブルー」──それぞれ赤、緑、青をテーマにした部屋で、装飾も空気感もまるで違った。


当時の僕は"宴会リーダー"を任されていた。料理の出し順から進行の段取りまで、現場を仕切る責任者だ。


結婚式は、土日祝のみで、一日2〜3件。

式が終われば、披露宴会場をすべてまっさらに入れ替える作業が待っている。


業界用語で「ドンデン」と呼ばれるこの作業は、わずか30分以内での"どんでん返し"。

控えめに言って、ちょっとした戦争だった。


——————


第2章:30分の戦争


披露宴が終わると、戦争の始まりだ!

テーブルの上の皿、グラス、ナイフ、フォークを一斉に片付ける。


白クロスを敷き、カラーテーマに合わせたランナーを載せ、絵皿を置く。


シルバーは用途別に4種類以上──オードブル、魚、肉、デザート。


4種類あるワイングラスは、絵皿の右上に菱形にセット。


そして、子供席があれば、ナプキンを兜に折る。


掃除機部隊、装花担当、厨房内でのグラス拭きとワインボトルのオープン組…全員が無言で流れるように動く。


その連携が乱れれば、次の式がズレる。僕は陣頭指揮をとり、時間を読みながら全体を走り回っていた。


けれど──


前の式では"愛"や"感動"が溢れていた会場が、一転して"戦場"に変わる、このギャップの切り替えが難しかった。

だから、僕は音楽で空気を変えることにした。


—————


第3章:バラードは、戦闘モードのファンファーレ


ドアが閉まった瞬間、音響担当に合図を出す。


流すのは、Mr.BIGの『To Be With You』。


あるいは、Aerosmithの『Livin’ on the Edge』。


甘すぎず、けれどテンションが上がるロックバラード。


ドンデンの合図は、いつもそのどちらかだった。


そして、当時の音響担当とは、今でも酒を酌み交わす仲だ。


「お前のドンデンはバンドみたいだったな」と笑いながら言う。


指揮者とプレイヤー。

そんな関係だったのかもしれない。


彼にしか分からない"タイミング"で、僕たちの戦場は始まり、そして30分間の短い時間で終戦していた。


—————


第4章:開場、そして静けさへ


最後の皿が置かれ、グラスが光る。


絵皿の上にナプキンを置き、テーブルの上に花飾が乗ると、すべてが整う。


スタッフ全員が一歩引き、背筋を伸ばし、笑顔をつくる。


そして、両開きのドアが開く。


先ほどまで"戦場"だったこの部屋が、また"夢の舞台"になる。

そのギャップ、静と動の切り替わり。


僕は今でも忘れられないし、とても好きだった。


終章:あのバラードが流れる夜

今でも彼とは飲みに行くたび、あの時の話になる。


「お前さ、To Be With You好きすぎだったよな」


「そう、昔のアルバムに入っていた、冒頭の笑い声、あれがいいんだよ。」


そんな他愛もない会話が、ふとあの時を思い出させる。


結婚式のバラードが、戦場のテーマ曲だったあの頃。


背中で意思を通わせた。

あの時の仲間達、そして音楽と30分。


"誰かの幸せの裏側"で鳴っていた、俺たちだけのロックンロール。

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