空の精神

曖惰 真実

第1話

 シックな店内の間接照明に照らされたバーカウンターの椅子にいつものように胡坐あぐらを組んで座る。小粋なジャズが流れており、それは店内の空間をより高級感のあるものへと仕立て上げている。壮年のマスターは風景に溶け込んでいる。


「マスター、シャンディガフはあるかい?」マスターが頷く。カウンターが6席程しかない細長い店内には、自分以外客はいない。入口付近に座った自分の後ろには人ひとりすら通れる隙間は無い。


「しかしマスター、よくこんな辺鄙へんぴなトコに店を構えたね。見た感じ他の客も居ないし、ちょいとマスターに話でもさせてもらおうカ」マスターは静かに少し頭を下げながらシャンディガフを差し出してきた。


「いやぁ、さっき外で飲んできたんだけど、クラブになんか行くんじゃ無かった。いや、いつもは行かないんだがね。気が付いたら足が向いてたもんだから、ビールひっかけるなら場所はどこでも良いかなと思いまして。店に入ったら身体が震えるような重低音がして、心臓のリズムが変えられるような、そこで若いハリのあるギヤル達が踊り狂っていやがんだ、今日だけは馬鹿になろうって。いつも馬鹿だろお前たちはって、ハハハハハ……、ソンナ面白い話でもねぇか」


「そういやマスター、ここって煙草は吸えるのかい?あら何処にヤッタッけな」

「煙草忘れてライターだけ持ってきちまった、ハハハ」

マスターがそっと紙とフィルター、乾燥した葉を差し出す。


「ここでは煙草も売ってんのかい、珍しい店だね。しかし手巻とはまた洒落たモンを用意してイル。有難く頂クとするよ。」


紙に葉を載せ、右手の人差し指でカクテルグラスに触れる。結露に濡れた指先でのりをつけ、紙を巻いてグルグルと縛る。葉の詰まった部分がピンと張ったので先を少し千切る。軽く息を吐く。フィルターを咥え、火を点けてゆっくりと吸う。それから少し鼻で空気を吸って肺に煙を充満させる。チリチリと音を立てて煙草が燃える。多少の喉の痛みと共に脳が冴えるのを感じる。その感覚に深く浸ってから勢い良く鼻から煙を放出する。間接照明に照らされた白い煙は机に広がり、一日の疲れと共に霧散した。鼻腔にこびりついた香りには煙草の匂いの奥に紅茶の風味を感じる。


「紅茶とのブレンドかい?これは少し驚いた。しかし配合が完璧だね、美味い」

マスターはグラスを拭く手を止め、会釈し、またグラスを拭きはじめた。


「しかし最近のクラブは水タバコがそこかしこに置いてあるんダネ、ギヤル達が吐いた煙がスモーク炊いたみたいに充満してヤガル。女ギヤルのだと思えば少しはマシだが、不快に変わりはないね。ただ煙とライトが起こすチンダルは、ケミカルな幻想で空間を見事に演出していた―――」


クラブでの光景を思い返しながら煙草を堪能する。チビチビ飲んで空になったグラスをマスターが下げる。一連の手捌きをアテにもう一度煙草を嗜む。今度は煙と共に眠気が霧散する。正面にある古時計の針は午前一時を過ぎたあたりだった。

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