第六章  父へ……

泉〝シン〟「ジェフ!なに言ってんの、こんなときに!」

  と、卓袱台を挟んで向かい合って正座している高原〝シン〟とジェフとの間で、アイドル顔の泉〝シン〟が大声を上げた。

泉〝シン〟「行方不明者を探さないといけないってときに、他流試合をしろって、ど 

     ういうこと⁉」

ジェフ「泉さん、落ち着いて……現時点の事情を説明します。

    まず、3名の行方不明者ですが、施設に監禁されていた医師1名とメンバー

2名の方々は今朝ボクが、フェリーに乗せて帰しました。

    もうじき、あなたの携帯に連絡が来ると思います」

泉〝シン〟「それは、どういうこと……?

      ジェフ……あなた、なぜ今までそれを隠してたの?」

ジェフ「隠していたんじゃありません! 誤解しないでください。

    ボクも、彼らが監禁されていることを知らなかったんです」

泉〝シン〟「ほんとかしら……あなただってパイソン流の人間じゃない……」

 高原〝シン〟の顔にも、ジェフに対する疑念が浮かんでいる。

泉〝シン〟「でも、だからって高原さんが、なぜあなたと試合をする必要があるの

よ、意味わかんないんですけど⁉」と、怒り心頭。

ジェフ「そこに兄を呼べるからです……そうする以外、彼を表に出す方法がないんで

すよ」

 今しがた、父、高原鉄心の死の真相をジェフから聞かされた高原〝シン〟は、茫然とした顔で自分の握りしめた手を見つめている。

 父は、正体不明の刺客に闇討ちに遭い、その命を散らせたのではなかったのか……………? この男との他流試合に敗れて死んだ…………あの父が………?

信じられない………………

 無言の高原〝シン〟を心配したジェフが、

ジェフ「高原さん……大丈夫ですか?」と、気遣う。

泉〝シン〟「高原さん、もういいよ。みんな無事に見つかったみたいだし。

     明日、フェリーで帰ろ!」と、高原心を説得しようとする。

 高原心の〝思い〟を、「確定物質」の世界に喩えるなら、今、彼女の中では巨大な地殻変動が起こっているような状態だった。彼女が今まで信じていた何かが音を立てて崩れ、新たな別の何かになろうとしているのである。

 何も知らなかった自分が父に抱いた子供じみた嫌悪感と拒否感……その心ない日々の言動が、父を絶望させていたのだ……高原流の継承を諦めた父は……ジェフを、この男を生かす道を選んだ………その途轍もない悔恨と慚愧の念は、紛れもなく父の仇である目の前の男(ジェフリー・パイソン)への憎悪を燎原の火の如く燃え上がらせた。    

 高原〝シン〟の脳裏によみがえる過去……。



 道場の床に正座して対峙する高原親子。

 五メートルほどの距離をおいて向き合う鉄心の顔も鬼なら、白帯の道着に身を包む娘の顔も眦(まなじり)を決して鬼のような迫力であった。

高原鉄心「この親不孝者めが‼ なぜに父の言うことが聞けぬ‼」

16歳の高原心「父上の言う通りの結婚などしたくありません!

       自分の配偶者は自分で探します‼」 

高原鉄心「おまえは、この家を継ぐ気があるのか?

     高原家の血筋が途絶えぬように、ワシがよい相手を折角見つけてきた

    というに…」

16歳の高原心「私は、あなたの武術を継ぐ気はありません‼」

高原鉄心「なんだとお‼‼この大バカ者が‼」

 赤鬼のような顔で娘を睨みつける高原鉄心。今にも飛び掛からんとするように片膝をつき身を乗り出す。それに対して、一分の隙も無く身構える高原心。

 凄まじい目力で、そんな父を見返す十六歳の娘。



高原〝シン〟「……父は……絶望していた……私のせいで………」

 しかし、ジェフは、その言葉に違和感をもち、

ジェフ「……?」と、訝る顔になる。

高原〝シン〟「あなたを倒せば、あなたの兄(トゥルーマン)とも戦えるということ

      ですね……。 わかりました。 

やりましょう……‼」

 と、はじめて顔を上げて真正面に正座するジェフを見返した。

 ジェフは。彼女の佇(たたず)まいがもつ筆舌に尽くし難い、ある意味神懸り的な迫力を目の前にして、そのとき「自分の命が保証されない」という高原鉄心の言葉の意味を明確に理解した。

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 猫島へ向かうフェリー乗り場は、最寄り駅から寂れた商店街を抜けて徒歩15分ほどのところにある。モスグリーンのジャケットを着て同色のボディバックを背負った石田シトは、いつものように考え事をしながら歩いていた。

 彼の脳内には(少なくとも覚醒している間は)豊富なイメージが、つねに溢れ出していた。そのイメージは逐次「交通整理」をしてやらないと、一つの纏まった(自分にとって)意味のあるものにならないのだ。

 彼にそういう特殊な精神作用が生じはじめたのは、ちょうど高校に進学した頃からであった。そして、その精神作用のはたらきは、それ以降の学業に致命的な影響をもたしたのである。

 教科書を読むことが出来なくなってしまったのだ。最初の1行を読むだけで、それに触発されたイメージが次々に現れ、それを「交通整理」するために、ほとんどの時間を費やしてしまうからだった。たとえば、「七九四年平安京遷都」という文字を読むと、それについてのさまざまなキャラクターやエピソードが勝手に脳内に氾濫しはじめ、それを「交通整理」すると一編の「平安京物語」ができてしまう。それに伴い、想像を喚起させない「単語」や「記号」などには。まったく興味がもてなくなってしまったのである。それは彼自身の主観性が、なにかを求めて走り出しているかのような状況なのだった。

 石田シトは、15歳で発症したそういう自分の特殊能力を、学業の妨げになるという恐れから忌避し悩むというより、むしろ、それを(自分のために)有効に使おうと考えた。この溢れるイメージの「交通整理」を止めたら、自分が自分でなくなるのではないかという危惧の方が(勉強ができない恐れよりも)圧倒的に大きかったからである。

 だが、学校の「教育者」の中に、彼のそういう才能を伸ばしてやろうという者は皆無に近かった。もともと、その学校に優秀な成績で入学してきた彼は「教育者」にとって、ただの点数を稼ぐための「道具」でしかなかったからであろう。

 石田シトは、あるとき(成績のことで)現国の教師に呼び出されたとき、自分は作家になろうと思うと伝えたことがあった。

 そのときの教師の「魂を凍らせるような言葉」を、いまだに忘れることができないでいる………『きみは、作家にはなれないよ(ちゃんと勉強したら?)』

 と、生徒に人気のあるその教師に、そう言われたらしい。

 どんな真意があるにせよ、

 なぜ、この教師は、彼のそうした存在を認めてやらなかったのだろう?

 なぜ、生徒は教師の都合のいい「道具」でなければならないのだろう?

 そういう〝心の痛み〟は、彼のトラウマとなってしまったであろうことは想像に難くないのである。

 石田シトは、もし自分が16歳のときショットガンを持っていたら、授業中、教科書を得意げに読むあの現国教師に向けて、その銃を発砲していたかもしれない………と、きわめて鮮明なイメージで、ずっと思い続けているのだった。

 教師が生徒の心を傷つけることは如何なる理由があろうと、けして許されない重罪だから……。

 かような青年期を過ごした石田シトのことを、読者の皆さんはどう思われるだろうか?周りが、ひたすら外部的知識を詰め込んで自己を形成しようとする環境の中で、自分自身の思いを追い続けようとした者のことを。

 ところで、「エピソード記憶」という脳内で発生する作用があると脳科学の分野では報告されている。 それは、物事を記憶する場合に、たとえば〝夕陽〟や〝打ち寄せる波〟を、それ自体で記憶するわけではなくて、その周辺のエピソードを含めてそれを記憶しようとする脳のはたらきのことだ。つまり、エピソードを物語と考えれば、人は誰でも心の中で物語を紡(つむ)ぎながら自己の内面を形成しているのだと解釈することも可能なのである。

 そして、その物語の起源は、もちろん自分自身の心の奥深くにある「自分ならばそんなことはしない」という良心であるのは言うまでもない。

 筆者の考えでは、10代の青年期に為すべきこととは、当人がどんな能力を持っていようが、「エピソード記憶」に従って自分自身の中に物語をつくり(マトモな)人格形成をすることだけである、と断言する。いささか極論ではあるが。それ以外の知的作業は20代になってからでも十分可能だから。

 なぜそこまで言うかというと、自己の良心に基づいた(マトモな)物語をつくれない科学者や政治家ほど、人類の脅威となる恐ろしい存在はいないからなのだ。

 そういう科学者や政治家ほど、青年期に詰め込んだ知識が絶対であると信じ、自己の良心に問うこともなく非道なことを平気でやってしまえるのである。あの原爆をつくった科学者アインシュタインしかり、それを日本に投下したトルーマン大統領しかりであろう。

 自分の良心に従い物語を紡ぎそれを自己検証するというプロセスは若者の精神的成長に不可欠な作業である。それが最も必要な時期に悲しむべきことに日本の10代の教育現場では、おのれの保身に汲々とする教育者らによって、その機会が奪われているのである。

 働くロボットに良心など必要ない、という現代日本の教育方針によって……。


 石田シトは、複数の小型漁船が停泊する魚臭い護岸に辿り着いた。

 フェリー乗り場の方に人だかりがしている。全員フィッシングスタイルの家族連れなど約百名ほどが、桟橋の前に集合してメガホンを持った男の説明を聞いているようだった。

 猫島で、フィッシング大会が行われるらしい。

 コロナ禍でも外でのイベントは開催されているようだ。

主催者の男「本日は、第13回猫島フィッシング大会にお集まりいただきまして、誠

     にありがとうございます!

      これからの予定を簡単に確認させていただきます。 これよち、フェリ

     ーで2時間の猫島に到着後、昼食をはさんで13時から16時の3時間を本

     日の競技時間帯とします。 その後、全員で宿泊先へ向かいます。 明日

     は、午前5時から12時まで存分に釣りをお楽しみください。 その後、計

     量、審査を行い最後に賞品の授与、散会となりますので宜しくお願いいた 

     します」

 猫島の事実上の支配者「トゥルーマン」は、この島を「観光立島」にすべく宿泊施設の整備やネットでの広報を行っている。島民、島猫に対する残虐な行為を完全に隠蔽しつつ観光島としての外部からの評価を得ていたのである。

主催者の男「猫島では例年、50センチ以上のカレイがバンバン上がっております! 

      なので、30センチ以下の魚種は資源保護のためにもすべてリリースで

     お願いいたします。 では、皆さんのご健闘をお祈りいたします!」

 ロッドケースを背負った釣り人、家族連れの参加者が期待に胸をふくらませて、出航時間を待っている。 

 フェリー乗り場の切符売り場で、乗船券を買おうとしている石田シト

 しかし、すでに売り場が閉まっている。そばにいた係員に聞くと。

フェリー係員「すみません、今日は貸し切りなんで…」と、そっけない。

石田シト「急用なんです。なんとか一人だけ乗せてもらえませんか?」

フェリー係員「それじゃあ、主催者の方にお願いしてみたら?

       ほら、あのメガホン持ってる人」

 と、主催者の男のほうを見ながら。  

 主催者の男はマスクをしていて年齢がわからないが、柔和な目をした白髪交じりの紳士のようだ。名前を中内倫朗(みちお)と云う。

フェリー係員「この方が、猫島に急用があり乗せてほしいと言ってますが…」

 中内倫朗は、外見が釣り人のものではない石田シトに、なにか切迫したものを感じ取ったようだった。

中内倫朗「わかりました。 定員いっぱいなので、私は明日の便で島に渡ることにし

    ます。 この方を乗せてあげてください」

 と、自分の切符を石田シトに手渡した。

石田シト「すみません……、じゃあ、今日の宿泊代と切符代をお支払いしますん

      で……」

中内倫朗「ハハ、いいんですよ。私は、この近所に住んでる者ですから。

     切符は、主催者用にタダでもらったやつです。

     私は、なぜか、それをあなたに使ってもらいたくなったんですよ」

石田シト「……どうしてですか……?」

中内倫朗「わかりません…。 ただ、あなたの目を見て、そう思っただけですから。 

気にしないで」

石田シト「ありがとうございます!」と、深々と頭を下げる。

中内倫朗「頑張って」と、石田シトの肩をポンポンとする。

石田シト「はい!」

フェリー係員「じゃあ、乗ってください」

 と、乗船口まで石田シトを誘導していく若い係員。 

 釣り人たちの夢を乗せた定員百名の小型フェリーが、ゆっくりと離岸していく。

 もし、石田シトが。このフェリーに乗っていなかったら、彼は二度と高原〝シン〟の生きた姿を見ることができなかったかもしれなかった……。

 事態は、それほど切迫していたのである。

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 石田シトは、高原〝シン〟と直接、連絡を取ろうとは思っていなかった。たぶん、電話で話しても「来ないでくれ」と言われるに決まっている。今どこにいるのかなんて教えてはくれないだろう……、そんな感じがしたのだ。

 彼がここに来たのは、ネットに流されていたような事実がもし本当にあるのなら、その原因を突き止め、外猫たちにとっての災厄の元凶を断つことに他ならなかった。

 石田シトは、そうすることが自分の《使命》だと信じているのだ。


 下船後、釣り人たちは島の南部に広がる釣り場を目指して徒歩で移動していった。人通りのまったくない舗装道路に取り残された石田シトは、これから向かう場所をスマホの画面で確認しているところだった。

 島の北東部に存在するという「フカの入り江」……。

石田ソト「ここか……」

 目測で、現在地から10㎞ほどの場所らしい。脚力には自信がある彼は、迷わず歩きはじめた。高校時代はマラソンで同級生の誰よりも早かったし、4、5時間歩き続けても特に疲れるということもなかった。

山道を通るルートは避け、右手に海を感じながら歩いていく。たぶん、目的地に着く頃には、また一編のストーリーが脳内にできあがっているはずだ。頭の中で想像し文章に組み立て考えながら歩くことが何よりも楽しいのだった。

 生きている感じがする……。

 こういう経験は絶対に学校ではできない。ではなぜ、日本のほとんどすべての学生は学校に行く(行かされる)んだろう……?

学生に生きている実感を失わせることで誰かが得をしているのだろうか?

学生の奴隷化………奴隷の中で優秀な者は、支配者になれるという負のスパイラル………その中で確実に消えていくものがある。

 それは、想像力の源泉となる膨大なイメージ、つまり『不確定言語』だ。  

 石田シトは歩きながら、学生時代を思い出してシニカルな笑いを浮かべていた。

 美術の時間。想像力のない奴隷たちが描く絵画ほどつまらないものはなかった。

 なんの感動も人に与えることができないゴミのような絵が教室中に溢れている光景。そこに自分が(出席日数のためだけに)居なければならないという凄まじいまでの違和感…………。学生時代は彼にとって、まさに無為の地獄だったのだ。

 神の奴隷であることから解放された《人間存在》は、今度は偶像の奴隷になってしまったのだろうか?

 周囲の風景の中の所々に「赤い祠(ほこら)」のようなものが見える。あれは、なんだろう?消防施設のようにも見えるしポストのようにも見える……それにしては広い田畑の真ん中にそれがポツンと立っていたりする。一定の距離を空けて計画的に設置されているようだった。

 違和感のあるものは想像を中断し思考を混乱させる。石田シトは、この風景にそういうものを感じていた。


 フカの入り江。

 雑木林を分け入った先に静かな入り江の風景が広がっていた。冬独特の陰鬱な海面は外海とは比較にならぬほど静かである。噂に聞く凄惨な現場とは思えない穏やかで風光明媚な景色だった。

 そこに立った石田シトは満足げな顔で、

石田シト「できた……」と、呟いた。

 それは、港からの3時間ほどの道中で一編の物語ができた、ということなのだった。

 高原〝シン〟の動画投稿のとおりだとすると、ここで多くの外猫がサメの餌にされるという信じ難い暴挙が為されているらしい。それをこの島の人々は「食物連鎖」という概念で受け入れているということだった。人間社会にもいろいろあると言われればそれまでだが、そういう「安直な道徳の相対化」が許されない何かが、ここで起きているような気がして仕方ないのである。

 この下に、サメがいるんだろうか……?と、足元から急斜面になっている数メートルほど下の不透明な海面を覗き込んでみる。 

 そのとき、雑木林の中から二人の男が現れた。「ジミン」の「魑魅(ちみ)」と「魍魎(もうりょう)」だ。2人とも手に捕獲器を下げている。どうやら外猫を2匹捕まえてきたようだ。

 黄色と黒の毒蜘蛛のようなセーターを着た「魑魅」と、コウモリのプリントが入ったフード付きスウェットを着た「魍魎」とが、石田シトの目の前に現れた。

魑魅「あんた、ここ島民以外立ち入り禁止だよ」と、石田シトに言う。

魍魎「ここじゃ釣りはできねえから帰りな」

 と、顔面に猛獣にひっ掛かれたような大きな傷がある男が言った。

 以前の話で、カタメにやられたやつだ。 

魑魅「サメなら釣れるかもだけどなw」と、野卑な笑い声で。

魍魎「そらそうだなww」と、同調して笑いだす。

 図体のデカイ2人組に、石田シトは静かな口調で、

石田シト「その猫を、どうするつもりだ?」と、聞いた。

魑魅「サメに喰わせるんだよ」

魍魎「よそ者(もん)が、なんか文句あんのか?」

石田シト「なぜ、そんなことをする?」

魑魅「宗主様が決められたことだからだよ!」

魍魎「宗主様は、つねに正しいことをお示しになるんだ!」

石田シト「そうか……、じゃあ、おまえらが猫の存在を認めないというのなら、

      オレはおまえらの存在を認めない。

       それでいいんだな?」と、不気味なほど冷静に言った。

 このとき、彼らを見ている石田シトの瞳の色は、かつて阿久真に形容されたとおりの暗黒の宇宙と化していた。

魍魎「なんだと、この野郎!」

魑魅「……」

 その場の空気が一気に険悪さのピークに達してしまう。「魑魅」と「魍魎」は、猫一 匹ずつが入った捕獲器を足元に置いて石田シトに向き直った。

石田シト「その猫をここに置いて帰るか…大怪我をするか…どっちがいい?」

 「魑魅」と「魍魎」は、狂的な笑いを顔に浮かべながら、

魍魎「よっちゃん……、こいつ弱そうだからやっちまおうぜ……」

魑魅「ああ……おまえに任せるわ」 

 「魑魅」と「魍魎」の体格は、石田シトより一回り以上デカかった。しかも筋骨が格闘家のように発達している。

魍魎「パイソン流のボーン・クラッシャー(骨砕き)こいつで試してみようかな♪」

 と、顔に醜い傷のあるほうが言った。

魑魅「いいね♪ 先にやっていいよ」と、その場から一歩下がる。

 全身から殺気を漲らせた巨漢の「魍魎」が、両手を上に差し上げた熊のような構えを取って、雑木林の枯葉の上をジリジリ距離を詰めてくる。

魑魅「殺しちゃっていいよ。サメに喰わせりゃ証拠残らねーしw」

 石田シトは、宇宙のような静寂をたたえた眼差しを相手に向けていた。なんの迷いもない目だった。

石田シト「……法を執行する……」と、あたかも警告のように。

魍魎「はあ? なに言ってんだ、こいつ」

魑魅「怖過ぎてアタマがいかれたんじゃね?w」

 この2名の間抜けな「ジミン」には、残念ながら相手の言う意味が理解できないようだった。

 石田シトは背中のホルダーから〖レミントン11ー96改〗を引き抜くと躊躇なく発砲した。バアン‼という凄まじい音がして、脛(すね)を撃たれた「魍魎」は、枯草の冷たい地面に身体を叩きつけられる。

 近距離の戦闘に特化して銃身と銃床を切り詰めたソードオフショットガンの威力は、〖レニックス〗特製の地球上で最大級の比重を持つ物質(イリジウム)で作られた弾丸によって恐ろしいほど強化されているのだ。

 10数発のイリジウム弾が、太い筋肉の鎧を着けた「魍魎」の足を完全に破壊した。

魍魎「うわあああ‼たすけて、よっちゃん‼痛いよお‼」と、泣き叫ぶ。

魑魅「うそだろ……、警官呼んでやるからな!」

 と、携帯電話をかけようとしているが、

魑魅「…あれ? つながらない……なんで?」

 実はこのとき、すでに駐在所の警官は高原〝シン〟らによって拘束されていたのだった、 

 石田シトは、ショットガンの銃口を「魑魅」に向けた。

 それを見た「魑魅」は、悲鳴を上げて仲間を見捨てて逃げていく。

 イリジウム弾によって脛の周辺を完全に粉砕された「魍魎」は、近付いて來る石田シトに泣きながら許しを乞うた。

魍魎「たすけて…殺さないで……‼」

 血と火薬の臭いがした。はじめて生身の人間を撃ったことに対して何も感慨は無いようだった。無表情で淡々とした様子だ。

 恐怖に顔を引き攣らせている負傷した大男を見下ろし、

石田《シト〉「おまえは、猫を助けてやらなかったんだろう?」

魍魎「…すみません…!これからは、たすけますから……」

石田シト「じゃあ答えろ。

       あの2匹の猫たちを、どこから連れてきた?」

魍魎「…どうして、そんなことを……?」

石田シト「住んでたところに帰してやるためだ。

       こんなところで解放したら他の動物に襲われるだろ」

魍魎「…ここから南へ2キロぐらい行ったところの〇〇地区にある橋の近くだ

  よ……。たのむよ、はやく医者を呼んで……!」と、泣きながら。

 石田シトは、銃を背中のホルダーに入れると、無言で2つの捕獲器を持ち上げた。

石田シト「おまえの仲間が助けに来りゃあいいな」

 と、言い残して、雑木林の向こうに去って行く。

 「うわ~~~!そんなあ‼」と、悲痛な「魍魎」の叫び声だけが響く。


 深夜。とある場所(たぶん何人(なにびと)かの敷地内)にある木造の納屋のような建物の裏手に真冬の強風が吹きつけている。そこに石田シトは、サバイバルシートを体に巻き付けて蹲(うずくま)っていた。ここで夜を明かすつもりなのだ。

 あの猫たちは無事にリリースできた。二度と捕まらないことを祈るばかりだ。

 黒のニットキャップを首まで引き下ろして目出し帽にしている。防寒性保温性の高いアルミ製ブランケットのおかげで氷点下の気温であっても凍死する心配はなかった。

 ビュービュー吹く風の音に悩まされながら目を閉じていると、脳裏にジョニーのことが思い浮かんでくる。さっき、横田さんからのメールで、元気にしているという連絡はもらっていた。次に、阿久真に言われたことを思い返していた……。彼とは、いつの間にかメールを送り合う関係になっていたのである。

〝阿久真からのメール〟

『レニックスは、きみを全面的にバックアップする。だから恐れずにやれ。

 きみは、この世界に新たな法を打ち立てる人間だ』

 不思議な心強さを感じる言葉だった。凍えるような強風の中で、唇に微笑を浮かべながら夢の中に入りかけていたとき、黒い人影が彼の前に立った。

木下春男「どうした、こんなとこで?」

 と、かがみ込んで石田シトに話しかけてきた。 

 男の声に反応して目を開けた石田シトは、

石田シト「…すみません…泊まれるところがなくて……」と、か細い声で。

木下春男「こんなとこで寝てたら風邪ひくよ? うちへ来な、泊めてやるから」

石田シト「ありがとうございます…」と、ホッとした顔になる、


 木下春男の家。二階建ての手作り感に溢れたログハウスだ。

 木下春男は、20年前にこの島へ移住して来て一人でここに暮らしている。年齢は50代。やさしい眼差しが印象的な人である。

 石田シトが野宿していた場所は、彼の所有する牛小屋の外だった。

 小奇麗に片付けられた一階のリビングには掘り炬燵があり、石田シトと木下春男は斜め向かいに着座している。

 瀬戸物の湯飲みに熱いお茶を入れて、それを石田シトの前に差し出し、

木下春男「この島になにしに来たの? 釣り人には見えないけど」 と、問う。

石田シト「この島で猫の虐待が行われていると聞いて確かめに来ました」

木下春男「……そうなんだ」

 木下春男は、なにか大きなショックを受けたように絶句してしまう。

 彼は、この島で起きていることに長年、心を痛めていた。4年前に「トゥルーマン」と呼ばれる外国人の武術家がここを本拠地として以来、それまで穏やかであった島の環境は激変してしまったのだ。外部から、日本人や外国人の若者たちがこの島に押し寄せてきた。何のために使われるのかわからない資材が大量に搬入されていたこともあった。外国人技術者のような団体を見かけることもあった……。そして、あの広大な「パイソン修練場」に聳え立つ白亜の巨大な建物(トゥルーマン宮殿)。

 「食物連鎖」と名付けられた、イエネコ<サメ<人間の恐るべき虐殺構造が猫島の支配思想となったのは、それからのことであった。

木下春男「僕には、どうすることもできなかった……」

 そう言って、悲し気に目を伏せた。

石田シト「でも、あなたは、オレを助けてくれました。

       オレは、あなたから勇気をもらえたんです」

木下春男「ありがとう……」

 と、顔を上げて、やさしい笑顔を石田シトに向けた。

石田シト「実は、今日、パイソンの手下に遭いました。そいつらが宗主様と呼ん

      でいた奴はどこにいるんですか?」

木下春男「トゥルーマンと呼ばれている化け物のことだね。

そう言えば、明日の正午に修練場で他流試合があるって、島の連絡網に出て

たけど…」

石田シト「他流試合…?」

 石田シトは、なにかを予感したように、

石田シト「その修練場って、どこにあるんですか?」と、聞いた。

木下春男「フェリーが着く港から北へ上がっていく広い一本道があるから、すぐわか

ると思うよ」

 石田シトと木下春男は、それからお互いの境遇や過去の出来事などについて、しばらく語り合った。

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 その翌日。

 フxリーに乗り込んでいく中内倫朗の後から、どう見ても釣り人には見えない4人の男たちが続いていく。その男たち(石田シトの命を狙う拉致犯A~D)は皆、現場作業員のような防寒ジャンパーを着ていた。

 あの大物政治家であった業原力応が死んだ後も、石田シトをつけ狙う彼らの目的は何なのか?それを説明するには。【トリニティ】の現時点の内情を話しておく必要があるだろう。

 【トリニティ】の本拠地は、アメリカ合衆国の砂漠地帯に存在している。

 その名をマテリアル・パラダイス(Material Paradise)と呼ばれる特殊な施設群が広大な岩石砂漠の一角に形成されているのだ。そこには大小さまざまなピラミッドのような形をした建造物が聳えている。但し、その材質は「石」ではなく「プラスチック」のように見える。

 大小さまざまなカラフルなピラミッドが、単調な色合いの砂漠の中に密集している。ピラミッドは青白く光っているものもあれば、オレンジ色に輝いているものもあった。

 それらの中には闇に閉ざされた廃墟のようなピラミッドもあり、その中からは夜な夜な人が嘆くような悲しむような不気味な呻き声が聞こえてくるのだった。

 コードネームをもつ最高幹部クラスの者には最も大きなピラミッドが与えられている、召亞(めしあ)エリカも、最高幹部の一人である。

 彼女は、〖レニックス〗本部代行の召亞冴子の実姉だが、知能も性格も悪過ぎて〖レニックス〗に入れなかったという暗い過去をもつ。その容姿は、妹の冴子のような和風美人という感じとは無縁の、西洋風の華美な印象である。彼女の大きな特徴は、いつもオートクチュールの巨大な帽子を被っていることで、その外見の故か、召亞エリカのコードネームは「トリケラトプス」である。

 マテリアル・パラダイスのピラミッド群の中で、青白い光を放つ最大級のプラスチック構造物の中に、召亞エリカの姿があった。彼女は、一着百万円は下らないパール色のドレスを着たスラリとした容姿を、二百台以上設置されたモニター画面の参加者たちに晒していた。もちろんド派手な帽子を被っている。

 85番の画面には秘書らしき人物が映っている。

秘書の画像「石田徹が、猫島へ渡りました。

      中川純也もそこへ向かうものと思われます……」

召亞エリカ「あの2人のせいで、われらは業原力応を失い、結果的に分裂教団を弱体

     化させられてしまったのよ。

      この上あの猫島を取られてたまるか!

      あそこは、トリニティの重要な軍事拠点なんだから…」  

秘書の画像「トゥルーマンの手下には、500名以上の訓練された島民がいます。

      業原が使っていた「極道」にも引き続き石田徹を追わせているところで

     すが…他に必要なことはございますか?」

召亞エリカ「……レニックスは、ほかに誰を差し向けてる?」

秘書の画像「(コードネーム)サタンが動いているようです」

 サタン、というのは阿久真のことである。

召亞エリカ「…ということは,(コードネーム)キリストが指揮をとってるのは確実

     ね……」と、呟いた。

 キリスト、というのは召亞冴子のことだ。 

 召亞エリカは、この時点で重大な認識不足が自分自身にあることを了解できていなかった。問題は、〖レニックス〗の誰が関与しているかではないのだ。彼女は、この件の最重要なキーマンの存在を見失っていた。高原〝シン〟という保護猫活動家である最強の武術者のことを……。

 召亞エリカのような愚か者でも、【トリニティ】の最高幹部は務まるのだ。


 釣り師の恰好に変装している阿久真が、銀色の大型セダンの中で運転手の相棒に、

阿久「こっから先は俺一人で行く。おまえは署に戻って、こう報告しろ。

   阿久捜査員がフェリーから落ちた、と……」

阿久の相棒「……、いったい、どうなってるんですか、これって……。

      あなたが追っかけてるあいつらって何者なんです………?」

 相棒は、全部を言い終わらないうちに、なぜか急激な胸の痛みを覚え呻き声を上げながら顔を歪めてしまう。阿久の命令に逆らおうとしたときに決まって出る症状だった。なぜ、そうなるのかはわからないが、それが出ると、なぜかこの先輩捜査員の言うとおりになってしまうのである。

阿久「わかったな?」と、悪魔のような顔で。

阿久の相棒「は……はい…」と、脂汗を流しながら。

 クーラーボックスを肩に掛けて、フェリー乗り場に向かう阿久真の後姿を相棒は、すぐに回復するはずの胸の痛みに耐えながら見送ることしかできなかった。

***********************************

〖 レニックス〗本部。鏡の間。

総裁「キリストよ……」 

召亞冴子「はい」

 広大な鏡の間の只中に一人ポツンと立っている飯谷冴子。これほど、この状況が似合う女性も他にいないだろう。彼女は、鏡の中に無限に存在している自分自身の姿を、ひたすら凝視し続けていた。こうやって思考を巡らすことが彼女の生活そのものなのである。

 IQ200をはるかに超える召亞冴子(キリスト)の脳裏には、いったい何が見えているのだろう?

総裁「猫島の件は、どう処理するつもりなのだ?」

召亞冴子「トリニティの過剰を相殺いたします」

総裁「それは、どういうことかな?」

召亞冴子「トリニティは、おのれの欲望を科学的認識を利用して補強するという醜悪

    なこと、すなわち過剰を猫島にもたらしました。

     歪んだ「食物連鎖」という偽科学のために犠牲になっている者たちを救わ

    ねばなりません」

総裁「よろしい。では発令しなさい。事態は急を告げているようだ」

 召亞冴子は、鏡の一部に手をかざした。すると、その部分だけが透明になりその向こうに白装束の若い男性が立っている。この男は召亞冴子の下僕であり、名を鷹司功平と云う。色白の超絶的なイケメンだ。 

 彼は飯谷冴子を見ることができない。それは召亞冴子が、総裁を確認できないのと同じである。彼は、今、鏡の前に立たされているだけなのだ。

鷹司功平「冴子様…自分は、トリニティとの全面戦争を望みます」

召亞冴子「なぜ?」

鷹司功平「こんな手ぬるいことを、いつまでやっていても、イタチごっことしか思え

    ないからです。

     猫島に極東方面の精鋭部隊を200名程度送り込めば1時間以内には制圧 

    可能かと……」

召亞冴子「こうちゃん、それはダメだよ」

 と、表情を和らげ、まるで小さな子に教え諭すかのような口調で、下僕のことを愛称(ニックネーム)で呼んだ。

召亞冴子「トリニティは核兵器を保有しているわ…だから全面戦争にはできないの」

鷹司功平「じゃあ、いつまでこんなことを繰り返すんですか?」

召亞冴子「イタチごっこの中に、可能性が見えてきたから大丈夫よ。

     トリニティは、いずれ気づくはず……。 迫害が無駄だということに。

     だから、高原心と石田徹を絶対に死なせないで。

     あの二人は少なくとも、われわれの〝地球史〟に必要な人材なの」

下僕「……」

 召亞冴子の眼差しに勝利の確信の煌めきが見えた。

召亞冴子「トリニティが猫を虐待して憚らないのであれば、レニックスは、その子た

    ちを保護するまで」

 と、胸を張って発令する召亞冴子の姿は、まるで古代日本の指導者であったとされる女王、卑弥呼のようだった。

************************************

 猫島に接近する白い大型船。全長190メートル、全幅25メートルのスケールをもつ特殊船(他目的対応船)は一見、大型フェリーのように見える。これは、〖レニックス〗が民間造船会社に特注し造らせた船舶なのだ。

 普通乗用車を400台収容可能な広大な船内スペースには、イエネコの居住用ユニットハウスが整然と設置されていた。それは金網でできた檻のような猫ケージとは違い、工事現場などで見かける気密性の高いプレハブ小屋だ。1個のユニットは4畳半程度の広さを確保していて、それが200個以上設置されている。

 甲板に集合した〖レニックス〗の隊員たち50名は、皆、白装束姿だった。

 隊員の指揮を執るのは召亞冴子の下僕で、透き通るような肌をした超イケメンの青年、鷹司功平だ。

 船体には〖レニックス〗を象徴するフェニックス(不死鳥)のマークがペイントされていて、甲板にはその旗が風に翻っている。 

*********************************** 

 フェリー乗り場を臨む高台の空き地に集まっているボス猫たち。

 今まで見たことがない巨大な船が港に迫ってくるのを発見したのは、ボス猫イシの子分で図体が一番デカイ(サバトラの)デカだった。

デカ「……おい見ろよ……、なんだあれ……?」

 他の猫たちも一斉にその方角に注目する。

 フェニックス(不死鳥)の旗をたてた白い大型特殊船が、ゆっくりと港に入ってくる光景を、猫島の外猫たちが唖然とした顔で眺めている。

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