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「で、返事は?」
そんな整った顔でのぞき込まれると、いくら弟でも照れてしまう。
「……そばにいてほしい……かも……」
なんだか気恥ずかしくて、ぶっきらぼうにそう呟いた私を見て、悠人は満足そうに笑った。
「了解。」
今日は一段とかわいくない弟だ。
こういうときにいちいち子供扱いされるのは、姉としては少々悔しい。
ずっとクスクス笑っている悠人にいい加減腹が立ってくる。
「ごめんごめん。」
とても謝っているようには見えない悠人を軽く睨むと、ますます楽しそうな表情になった。
まるで睨まれていることすら嬉しいとでもいうような悠人は、笑いを堪えようともしない。
その代わりに、私の頭を自分の胸元にそっと引き寄せた。
「大切にするから。ちゃんとここにいて。」
「……わかってるよ。」
悠人はいつだって私の不安をそっと取り除いてくれる。
反抗期中で言葉は冷たくても、私に触れる手はいつも優しかった。
今までも、多分これから先もずっとそうなんだろう。
「ほんとに意味わかってる?」
「しつこいよ。わかってるから。」
「ほんとかよ。」
悔しいくらいに奇麗な顔でほほ笑む心配性な弟に、私はどこまでも翻弄される。
「まぁ1人が怖いなら、今日からは一緒に寝てあげるよ。」
「意味わかんない。1人で寝られるから。」
「別にいいだろ。僕は玲衣の"かわいい弟"なんでしょ?」
「全然かわいくない!」
「え?そうなんだ?」
"かわいくない弟"が急に顔を近づけてくるから、一気に顔が熱くなる。
「玲衣。何でこっち見ないの?」
「だって……すごく……近い……っ、から……」
「恥ずかしいの?"弟"なのに?」
「そうじゃないけど……」
「じゃあこっち見てよ。」
顔の熱を冷まそうと必死に意識をそらすのに、悠人はそれを許してくれない。
観念して、ゆっくり悠人の瞳に私の視線を合わせる。
私の顔は真っ赤で、瞳からはきっと涙が溢れる寸前だろう。
これ以上の恥ずかしさを私はまだ経験したことがない。
「玲衣。」
先ほどまで笑っていたはずの悠人が、今度は真剣な眼差しで私を見ている。
まるで男の人みたいだ。
"そんな顔……私に向けないでよ……"
「一生そばにいるから。」
「それは私のことがかわいそうだから?」
「……今はそう思ってていいよ。」
"どういうこと?"
「いずれ時間がたつと分かるから。とにかく今は何も考えずに僕の近くにいて。もう二度と1人にはさせないから。」
悠人の瞳がゆらゆら揺れる。
まるでキラキラと光る宝石のようで、思わず見惚れてしまう。
「……何?もしかして、僕のこと誘惑してる?」
「は?違うからっ!」
誰かの瞳に吸い込まれてしまうかもしれないと思ったのは初めてだ。
この気持ちに言葉が追いつかなくて、急に恥ずかしさが込み上げてくる。
「お、お風呂!お風呂に入りたかったの。それで目が覚めたんだった……入ってくるから、どいて。」
心臓が身体から飛び出してくる前に逃げることにした私は、悠人の胸を押し退けて、その気まずい空間からの脱出を試みた。
「このタイミングで?一緒に入りたいの?」
その言葉に驚いて振り返ると、ここ最近では見たことがないような意地悪な顔で笑っていた。
「……悠人のばか!」
"さすがにからかいすぎでしょ"
急に男の人に見え始めた悠人のことを無視して、私は勢いよく部屋を出た。
彼氏はいるものの付き合ってまだ半年もたっていない私には、男子というものにほとんど免疫がない。
無意識にそう考えてふと気づく。
「男子って……悠人は弟じゃない。何でこんなにドキドキするのよ。ほんと恥ずかしい。」
恥ずかしくて顔から火が出そうになる、とはまさに今みたいなことを言うのだろう。
・・・
脱衣所で洋服を脱ぎながら、悠人のせいで急激に上がったであろう体温を急いで冷ます。
ふと鏡に映る自分の姿に目を向けると、そこには痛々しい顔の私が映っていた。
顔のアザと口の端についた傷は、きっと見慣れる前に治ってしまうだろう。
首元や手首にも掴まれたような紫色のアザが残っていた。
大丈夫だと思っていても急にガタガタと震え出した身体は、私の意思じゃもう止められない。
"まただ"
また思い出してしまう。
『こんばんは、お嬢さん。』
耳に届くその声が怖くて、勢いよく後ろを振り返った。
もちろんそこには誰もいない。
『君はとても良い匂いがするね。』
いないはずのこの場所で、耳を塞いでもまたあの声が聞こえてくる。
"……もうやめて……"
お願いだからこれ以上私の心を殺さないでと、神に祈るようにしゃがみ込む。
『君は……処女かい?』
「……っ……いや!」
いつになったらこの地獄は終わるのだろう。
「玲衣?ごめん……入るよ?」
脱衣所の外から焦る声がしたのと同時にドアが開く。
悠人の顔を見てようやく呼吸をすることを思い出した。
「大丈夫。大丈夫だから。」
近くにあったバスタオルを手に取り、ガタガタと震えている私の身体を包んでくれる。
「玲衣。落ち着いて。ここには誰もいないよ。」
泣きじゃくる私をあやすように背中をとんとんとさすってくれる。
抱きしめられた温度がとても心地よいと感じるのと同時に、だんだんと気持ちが落ち着いていく。
「……悠人。」
「うん。」
「……っ……ゆうと……悠人……」
「うん。大丈夫。ここにいるから。」
悠人の名前を呼ぶたびに、大丈夫だよ、ここにいるよ、と優しく応えてくれる。
それがどんなに心強いか、悠人にちゃんと伝わっているだろうか。
こんなにも優しくしてもらっているのに、私はなんて無力なんだろう。
自業自得で招いた出来事……なのに、泣くことしかできないなんて、情けないとしか言いようがない。
家族には心配をかけて、悠人には散々迷惑をかけているのに、自分では何もできない。
今だって、悠人が抱きしめてくれないと私はきっと呼吸さえも忘れてしまう。
鏡を見るのが怖い。
自分の傷だらけの姿を、どうしても受け入れられない。
痛々しい傷を見るたびに、あのかすれた声が背後から聞こえてくる。
まるで耳の奥にこびりついてしまったようだ。
頬を叩かれる手の感触を頭から消し去りたいのに、そう願うほど迫ってくる気がする。
耳元でささやきながら首を抑えられたときの恐怖は、もう二度と忘れられない人生の不名誉な出来事だ。
顔を叩かれて生きる気力を失ったあの瞬間に、元の私はきっと死んでしまったんだ。
「この地獄はいつ終わるの?」
「……っ、……」
私を抱きしめながら悠人は何度も、"ごめん……ごめんね"と、謝罪を繰り返した。
悠人は何も悪くないのに、罪を負わせてしまったのだ。
私は無垢な悠人まで道連れにしてしまった。
このままだと地獄という名の闇の中に、悠人も一緒に引きずり込んでしまう。
「ごめんな。玲衣、っ……ごめん…」
悠人の悲しい声が許しを乞うように聞こえるのは、どうしてなんだろう。
"悠人は何も悪くないよ"
そう思っているのに、声がうまく出せない。
"だって悪いのは……私だから"
その言葉は恐ろしくて口には出せなかった。
悠人に迷惑をかけたくないと思う反面、1人で地獄に堕ちるのは嫌だと思ってしまう私は最低な人間だと分かっている。
分かっていても、今は悠人に甘えることしかできない。
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