29話 わたしに甘えてもいいんですよ?
俺の部屋には監視カメラなんてない。そう信じていた時期もあった。
リビングや浴室、廊下にあるのはあくまでも防犯意識が高いだけだと、無理やり納得していた。
しかしよくよく見ると、この部屋にも例外なくそれが設置されていていた。パッと見ただけでも最低三台はある。
勉強机の脇、ドア付近の天井、そしてカーテンレールの上である。
そのどれもが小さく、目立たない場所に隠されていいたが、俺の観察眼であれば見逃すまい。
大した広さもないこの部屋に三台も設置するなど、防犯意識がカンストして逆流しているとしか思えなかったが、もはやこのレベルとなると撤去する気にもなれなかった。
俺が気づいていないだけで、どうせ他にもあるに決まっている。つまるところ、抵抗しても無駄なのだ。
もはやそういうものだと割り切るしかない。
そんなわけで現実から目を背けてベッドに寝転がりながらも、天井を見上げていると、
「せーんぱい」
宣言通り風呂上がりの叶愛が部屋に入ってきた。髪が少し湿っていて、ほのかにシャンプーの香りが漂う。
桃色のパジャマに身を包んだ姿はいつもより無防備で、普段のあざとい雰囲気とは違い、柔らかさがあった。
「夫婦の営みに参りましたよぉ」
しかし性格は柔らかくないようで、そんな訳の分からないことを呟きつつも、ベッドに腰を下ろした叶愛。
俺が慌てて起き上がると、ズズっと体が触れ合いそうな距離まで近づいてきた。
「近くない?」
「夫婦ですよ?」
ダメだ。会話にならない時の叶愛だ。
会話にならないタイプの叶愛はにっこりと笑みを浮かべたまま、俺の瞳を覗き込んでくる。
至近距離で見つめられて動揺していると、
「監禁してた時も思ったんですけど、先輩って言葉は冷静なのにすぐ顔を真っ赤にしますよね。そんなところも先輩らしくてかわいいです」
「いや、そんなわけ――」
「――食べちゃいたいくらいです」
歯を覗かせながらそう言って、ゆっくりと顔を近づけてくる。
かぶりと首元に噛み付かれるかと思い、一瞬身構えて目を閉じる。
すると次の瞬間には距離を取っていて、しきりに天井の監視カメラを確認していた。
誰かの視線を気にしているのだろうか。
「気を取り直して少し真面目な話をしましょうか」
叶愛はそう言うと、ほてった体を覚ますようにパジャマの裾をパタパタさせて、
「さっき島内新聞を読んで知ったんですけど……」
真剣な眼差しを向けてくる。
「沙鳥さんは深大寺家の当主になったんですよね?」
「ああ、そうだな」
「今日の寄合で決まったんですよね? 先輩が参加した寄合で」
「うん」
短く答える。
すると叶愛の瞳はほんの少しだけ揺れて、
「じゃあ先輩は沙鳥さんを支えるために島に残るんですか?」
「それは……」
すぐには即答できない問いかけだった。
沙鳥を支えるつもりではあるけど、島から出ないというわけでもない。
俺はただこの島の閉鎖的な価値観を変えたいだけなのだ。
沙鳥も、他の御三家も含めて、島民が自由に島の内外を行き来できるようにしたい。
島で生活しつつも休日は島の外に出かけたり。長期休みの時はみんなで旅行をしたり。
そんな当たり前がほしいだけなのだ。島を出ることは一大イベントではなくただの日常。そんな価値観を形成したいと思っている。
もちろん当主は沙鳥だから、彼女がどう考えるか次第だけど。
でもかつての沙鳥は島の外に想いを馳せていた。
――島の外に出てみたい。
その願いは、想いは、決して潰えていないはずだ。心のどこかで必ず……。
「前にも言いましたけど……」
答えがまとまっていない俺に対して、真っ直ぐ視線を向けてきた叶愛は真剣な声音で口を開く。
「わたしはこの島に固執していません。先輩が夢を叶えるために上京するならついて行きますし、側で支えたいって思ってます。だから先輩……」
叶愛は膝立ちになると、ゆっくりと俺の頭を抱きしめてきて、
「――わたしに甘えてもいいんですよ?」
囁くようにそう口にした。
「島のことも御三家のことも気にせず、全てをわたしに委ねてください。後輩として、夫婦として、優しく包み込んであげます」
ぎゅっと抱きしめられ、彼女の柔らかくも温かい感触が頬を撫でる。頭だけなのに、まるで全身が包まれるような幸福感が襲ってきた。
「だからゆっくり目を閉じて身体を預けてください。ほら、ゆっくりです」
叶愛の匂いで、叶愛だけで埋め尽くされて、叶愛の囁く声だけが耳に響く。
一瞬、もう全てを委ねて島から脱出するのもアリなんじゃないかと思った。
しかし目を閉じると、脳裏には数々のバッドエンドが蘇ってきて、原作では叶愛が、沙鳥が、真昼が、笑顔を失う。
その光景が脳にこびりついて、不安で不安で仕方がなかった。
全員を連れて島から出ようとしないのは、結局のところ俺が臆病だからだろう。
臆病だから中途半端な決断をしている。臆病だから保守的になって、誰も傷つけたくないように立ち回っている。
それが正解とは限らないのに。
むしろ深く傷つけている可能性さえあった。
「何も考えなくていいんです。わたしと先輩、先輩とわたし。それだけなんですから」
叶愛の声が優しく耳に響く。
彼女は俺の頭を抱きしめたまま、ゴロンとベッドに寝転がった。俺もその流れに引き込まれるように横になり、ベッドの柔らかい感触と、彼女の温もりに包まれる。
「ゆっくり目を閉じてください。そうです。ゆっくりです」
意識が徐々に混濁していく。
静かな部屋には彼女の心臓の鼓動と、子守唄のような囁きだけが響いて、俺を深い眠りへと誘っていった。
……深い、深い眠りへ。
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