段ボールの王様

チャッキー

第1話 段ボールでの生活

朝の都会は、いつも通り無機質な光に包まれていた。だが光明院章(こうみょういん あきら)には、その光は関係なかった。彼の目の前に広がる世界は、段ボールの中でこそ自在に操れる、自分だけの世界である。


「よし……今日も行くか」

章は小さく呟き、自作の厚手段ボールに身体を滑り込ませる。段ボールには小さな滑車が取り付けられており、章はそれを手で地面を漕ぎながら前進する。歩行や自転車のような通常の手段は、彼には意味をなさなかった。段ボールが、彼の足であり体であり、世界そのものだった。


住まいは高級タワーマンションの横にひっそりと設置された、段ボール製の小屋。壁には不要な段ボールを重ねて補強され、中には光明院章専用の移動用段ボールが常備されている。段ボールの屋根には簡易の天窓があり、わずかな光を取り入れつつ、外界の視線から彼を守っていた。


午前中、章は段ボールを押して街を移動する。滑車がアスファルトを擦る音が、微かに耳に届く。歩行者や車が周囲を通り過ぎるが、誰も彼の異様な存在には目を向けなかった。都市の雑踏に埋もれる段ボールの人間。それは、まるで街の風景の一部のように自然だった。


昼近く、章は移動用段ボールでファーストフードのドライブスルーに並ぶ。段ボールに入りながら、手で地面を漕いで位置を調整する。前の車が発進するたび、彼も小さく滑車を動かして前へ進む。


「ビッグマックセットを、お願いします」

声もまた段ボールの中からでなければスラスラ出ない。外に出れば、言葉は詰まり、まともに会話できないのだ。だから彼は、店員の目を避けるように段ボールの仮面を顔に装着し、中から注文を告げる。


店員は少し驚いた様子だが、目の前の奇妙な客を特に問題視せず、注文を受け渡す。章は滑車を使って少し横に寄り、マクドナルドのセットを受け取る。段ボール内で手際よく袋を開け、サンドイッチを口に運ぶ。小さな昼食も、すべて段ボール内で完結する。外の世界には一切手を出さない――それが章のルールだった。


午後、章は街角のベンチに段ボールを押しつけ、ノートパソコンを開く。彼は一流企業のエンジニアであり、ビットコインやデジタル資産の運用も行う富裕層だった。だが、社会的な生活はほぼ段ボールの中で完結する。パソコンのキーボードも、段ボールの中で指先だけを動かして操作する。通行人からは、まるで段ボールそのものが街を滑る奇妙な家具のように見えるだけだ。


「今日のチャートは……うむ、ここで買いだな」

小さな声が段ボールの内壁に響く。章の視線はスクリーンに釘付けだ。世界の動きは速く、彼の行動も同じく迅速でなければならない。しかしその速度も、外界に見える滑車を動かす物理的な速度に過ぎない。心は常に段ボール内で自由なのだ。


夕方、帰宅の際も章は段ボールに入り、滑車で小屋まで戻る。都会の高級マンション街の中に、ぽつんと存在する段ボールの小屋。その中で彼は一息つき、自作の段ボール製ベッドに体を投げ出す。空調も電源も段ボール内で完結する仕組みを自作しているため、快適な室温と電力を確保できるのだ。


夜、窓から見える高層マンションの光を眺めながら、章は思う。

「段ボールの中にいると、何もかも自由だ……でも外の世界は、やっぱり俺には窮屈だ」

その独特の安心感と閉塞感の対比こそが、光明院章の世界だった。


こうして、今日も彼の一日は終わる。段ボールに入って生きる――それが光明院章の選んだ、生き方だった。

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