番外編1「エルフの森と世界樹の涙」

 王国に平和が訪れてから、数ヶ月が過ぎたある日のこと。アースたちの元に、一羽の鳥が焦った様子で手紙を運んできた。それは、リリアの故郷である「エルフの森」からの、緊急の知らせだった。

『森が、枯れ始めている。世界樹の元気が、日ごと失われているのだ。どうか、帰ってきてほしい』

 手紙を読んだリリアの顔から、さっと血の気が引いた。エルフにとって、森、そしてその中心にそびえる世界樹は、命そのものだ。それが枯れ始めているなど、考えられないことだった。

「アースさん……私、故郷に帰ります」

「もちろんだ。俺も一緒に行くよ。リリアの故郷は、俺にとっても大切な場所だからな」

 アースの言葉に、フェンとリゼも「私たちも行く」「当然」と頷いた。セレスティアも王宮の仕事を調整し、同行を申し出た。こうして、アース一行は、エルフの森へと向かうことになった。

 数日後、彼らがたどり着いたエルフの森は、リリアの話に聞いていた神秘的な輝きを失っていた。木々の葉は色褪せ、地面の苔は乾き、森全体がどんよりとした空気に包まれている。

 森の入り口では、リリアの両親と、森の長老たちが一行を待っていた。彼らは、娘の帰りを喜ぶ一方で、人間であるアースたち、特に獣人であるフェンとリゼに、あからさまな警戒の目を向けた。エルフは伝統的に、他種族との交流を好まない傾向があった。

「リリア、よく帰ってきた。だが、その者たちは……」

 長老の一人が、不満げに口を開こうとしたのを、リリアが毅然とした態度で遮った。

「この人たちは、私の大切な仲間です! 森の危機を救うために、力を貸しに来てくれたのです!」

 リリアの必死の説得と、アースが森の植物に愛情深く、敬意を払って接する姿を見て、長老たちの硬い表情も、少しずつ和らいでいった。

 一行は、森の中心にある世界樹の元へと案内された。

 そこに立っていたのは、かつては天を突くほどの威容を誇っていたであろう、巨大な古木。しかし、今のその姿は、痛々しいほどに弱っていた。枝の多くは枯れ落ち、残った葉も茶色く変色している。世界樹から放たれる生命エネルギーは、風前の灯火のようにか細かった。

 リリアは、世界樹にそっと触れ、その声に耳を澄ませた。

「……苦しい……息が、できない……何かが、根を蝕んでいる……」

 世界樹の悲痛な声を聞き、リリアの瞳から涙がこぼれ落ちた。

 他のエルフたちも、ただ祈ることしかできずに、なすすべなく立ち尽くしている。

 そんな中、アースは冷静に周囲の状況を観察していた。彼は世界樹の根元に膝をつき、土を手に取って、その匂いを嗅ぎ、感触を確かめた。そして、前世の知識と【豊穣神の祝福】の感覚を総動員して、原因を探る。

(この土……何かがおかしい。自然のものじゃない、不自然な何かが混じっている。これは……毒か?)

 彼は、土壌が何らかの物質によって汚染されていることを見抜いた。おそらく、森の地下を流れる水脈が、どこかで鉱毒か何かに汚染され、それが世界樹の根にまで達してしまったのだろう。

「原因は、土壌汚染です。このままでは、世界樹は根から腐ってしまう」

 アースの言葉に、エルフたちは衝撃を受けた。

「そんな……では、もう助からないというのか?」

 長老が、絶望的な声を上げる。

 だが、アースは首を横に振った。

「いいえ、まだ手はあります。この汚染された土を、浄化すればいいんです」

 アースは、地球の知識を思い出した。特定の微生物や植物には、土壌の汚染物質を分解し、浄化する能力がある。彼は、その原理をこの世界で再現しようと考えた。

 彼はリリアに頼み、彼女の植物と対話する能力を借りることにした。

「リリア。この森にいる植物たちに、聞いてくれないか。この毒を分解できる、強い力を持った苔や菌類はいないかって」

 リリアは、アースの意図をすぐに理解した。彼女は再び世界樹に手を触れ、意識を森全体へと広げていく。森中の植物たちとの、大規模な対話。それは彼女にとっても初めての試みで、かなりの集中力を要した。

 やがて、彼女は顔を上げた。

「……見つけました。森の北の洞窟の奥深くに、闇の中でしか生きられない、特殊な光苔が生えているそうです。その苔が、強い浄化の力を持っていると」

 その情報を元に、アースとフェンが洞窟へと向かった。洞窟の内部は危険な魔物が巣食っていたが、フェンの圧倒的な戦闘力の前では、赤子の手をひねるようなものだった。

 彼らは、洞窟の最深部で、青白く幻想的な光を放つ苔を発見した。アースは【豊穣神の祝福】を使い、その苔を活性化させ、培養することで、短時間で大量に増やすことに成功した。

 森に戻ったアースは、エルフたちの協力の元、浄化の力を持つ特殊な苔を、世界樹の根元の土に丁寧に混ぜ込んでいった。

 最初は半信半疑だったエルフたちも、作業を手伝ううちに、アースの持つ知識と、植物への深い愛情に、次第に心を動かされていった。

 苔を植えてから、数日が過ぎた。

 変化は、ゆっくりと、しかし確実に現れた。

 世界樹の根元から、濁った空気が消え、清浄な生命エネルギーが再び満ち始めたのだ。茶色かった葉が、少しずつ緑色を取り戻していく。

 そして、ある朝。世界樹の枯れた枝の先から、一つの新しい若葉が、力強く芽吹いた。

 それを見たエルフたちから、歓喜の声が上がった。

 リリアが世界樹に触れると、その声は、もはや苦しみに満ちたものではなかった。

「……ありがとう……ありがとう、大地の友よ……」

 感謝の気持ちと共に、世界樹の枝先から、キラキラと輝く一粒の雫がこぼれ落ちた。それは「世界樹の涙」と呼ばれる、万能の治癒力を持つと言われる秘宝だった。雫は、リリアの手の中に、そっと収まった。

 世界樹が元気を取り戻したことで、森全体も息を吹き返し、かつての美しい輝きを取り戻していった。

 エルフたちは、もはやアースたちに警戒の目を向ける者はいなかった。長老は、アースの前に深く頭を下げた。

「人間よ……いや、アース殿。我々は、あなた方に対して、大きな過ちを犯していた。あなたの知識と、森を愛する心に、我々は救われた。この恩は、決して忘れぬ」

 エルフたちは、アースを「森の恩人」と認め、彼に永遠の友好を誓った。

 リリアは、手の中の世界樹の涙を、アースに差し出した。

「アースさん。これは、あなたが受け取るべきものです」

 だが、アースはにっこりと微笑み、その手を押し返した。

「それは、リリアが森を想う強い気持ちと、世界樹が応えてくれた証だよ。君が持っているのが一番だ」

 その言葉に、リリアは頬を染めながら、幸せそうに頷いた。

 故郷の危機を救い、エルフ族という強力な友好関係を築いたアースたち。彼の耕す豊穣の大地は、種族の垣根を越え、さらに多くの笑顔を育んでいくことになる。

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