社畜が別荘買ったら週末が異世界でした

vincent_madder

第1話 金曜終電と湖の朝

金曜の夜。

終電、そろそろヤバい時間。

オフィスには、もう数人しか残ってない。


今週もずっと残業続き。

見積もり依頼と注文ラッシュで、頭も体もクタクタ。


気づけばPCの画面に映る自分の顔がひどい。

目の下にクマ、肩はガチガチ、髪も乱れっぱなし。


前の僕なら、たぶん明日も出社してたんだろうな。……いや、確実にしてた。


でも今は違う。

あの場所が僕を待ってる。

そう思うだけで、片づける手が自然と早くなる。


最後のメールを送り、PCを落とす。

キーボードのクリック音が止まり、オフィスが急に静かになる。


「ふぅ……」って声が勝手に漏れた。


金曜の深夜、こんな時間に帰るなんて久しぶりだ。エレベーターを降りると、ビルの外はすっかり夜の空気。


湿ったアスファルトの匂いと、街灯のオレンジ色がまぶしい。


駅までの道を急ぐ。


夜風がちょっと冷たい。でも嫌じゃない。

むしろ、この冷たさが一週間の疲れを洗い流してくれる気がする。


これからあの別荘に行けると思うと、足取りがどんどん軽くなる。背中のリュックがやけに軽い。


電車に揺られていると、窓に映る自分の顔がやけに楽しそうだ。


週末にこんな表情するの、いつ以来だろう。

たった二、三時間で着く距離。


それだけの時間で、僕の週末はまるで別世界になる。


* * *


で、今ここ。


夜明け前の湖ってやつは、今日も静か。

音が、ない。


いや、耳を澄ますと──水が小さく揺れる音? 遠くで鳥が鳴く声?

そんなかすかな音だけ。


寝不足の目をこすりつつ、コーヒーを淹れる。

ぽとぽと落ちる音が、やけに癒やし。


会社で聞くキーボードのカチャカチャ音と、同じ“リズム”のはずなのに、

こっちは心が落ち着く。


湯気がゆらゆらと立ちのぼるマグカップを両手で抱える。


窓を開けると、冷たい風が頬にあたる。

夜の匂いと、朝の匂いがちょうど混ざる時間。


視界いっぱいに広がるプライベートビーチ。

砂の上には僕の足跡だけ。


最初は海かと思ったけど……波がない。

湖だったんだな、ここ。


椅子に沈み込み、マグカップを口に運ぶ。

コーヒーの苦味と、ひんやりした空気。

体の奥がじんわり目を覚ます。


湖の端から、ゆっくり朝日が差し込んでくる。

オレンジ色の光が水面に反射して、部屋の壁まで照らしていく。


影が少しずつ動いて、夜が終わるのがわかる。


これ、最高かよ。


一週間分の疲れが、スーッと抜けていく気がする。会社の蛍光灯の下じゃ絶対に味わえないやつだ。


背伸びして、深呼吸。

肺に冷たい空気が入るたび、体が軽くなる。


ふと思い出す。

あのときの衝撃は、今でも鮮明に残ってる。


* * *


外観は──まあ、普通だった。

古びてるけど、よくある別荘地の建物って感じ。

正直、ちょっと肩透かしだった。


でも、扉を開けて飛び込んできた景色にやられた。


目の前いっぱいに広がる青。

窓の向こうに広がる湖と、その奥に見える森。

空気が一瞬で変わった気がした。


心臓がドクンと跳ねた。

あの瞬間、脳みそが「買え」って言った。


こんなロケーション、数百万で手に入るなんて信じられる?

僕はその場で笑ってしまった。


中も想像以上にきれいだった。

床も壁も、やけに明るい色で統一されてて、

陽射しが反射して部屋が広く見える。


これってカリフォルニアスタイルっていうのかな?雑誌で見たことある、あのやつ。


今思えば、外から見える景色と、中から見える景色は全然違った。

窓の位置も、方角も、たぶん合ってない。


でもそのときの僕は、そんな細かいこと気にする余裕もなかった。

完全に夢中、というやつだ。


頭の中では「ローンどうしよう」とか現実的な計算をしてたはずなのに。

身体はもう勝手に前に進んでた。


* * *


そもそもの始まりは、ただの夜中スクロールだった。


仕事終わり、家に帰ってシャワー浴びて、ソファに沈んだままスマホをだらだら。

たまたま流れてきた動画広告に、目が止まった。


「買ってリノベ、週末はゆっくり」


──そんな金、あるわけない。


そう思いながらも、指は止まらない。

結局、リンクをタップして物件ページを見てた。


賃貸暮らし、車なし、家族なし、彼女なし。

趣味って言えるものも特にない。

仕事して、帰って、寝るだけ。


そんな生活で、ちょっとした非日常に憧れてたんだと思う。


気づいたら、内見予約してた。


不動産屋の事務所は、思ったよりもこじんまりしてて。古い木の匂いがする落ち着いた場所だった。


案内してくれた担当のお姉さんは、やたらハキハキしてて。「大丈夫ですよ、ローンは通ります!」って笑った。


気づけば、ハンコを押していた。

手が勝手に動いてた。


……で、今ここにいるわけだ。

ふと、あのときのお姉さんのことを思い出す。


あれ、今思えば──耳、ちょっと長かったよな?







※懲りずに新作始めました。よかったら他作品も連載中です。

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