第5話

 朝陽と廊下で待っていると、再びエレベーターのドアが開いた。

 目が合わないように下を向いていると、紺色のスーツを着た小ぎれいな男性が私たちの方へ歩いて来た。

 上目遣いで見ると、しわの無いきれいなスーツに磨き込まれた黒い革靴を履き、左手に薄いアタッシュケースを提げている。

 頭髪はフサフサとしていて、歳は30半ばといったところか。

 もしかして芸能人かなと思いながら目で追っていると、彼は突然振り返って私の顔を直視した。


「あっ! 城平さん?」

「あれ! 圭人くん?」

 二人とも声を上げた。

 その声に、奥から八十木さんも出て来た。

「うわあ、城平さん。でも、何で? どうして、ここに……」

「いや、圭人くんこそ、どうして?」

「ここ、僕の奥さんの事務所ですから……」

「えっ、お、奥さん?」

「お知り合いだったんですか?」

 八十木さんも廊下に出て来た。

 面食らって言葉の出ない私の面前で、2人並んでニコニコと笑っている。

「ほら、去年、僕のお祖父じいちゃんが1人で徳島に行っちゃったとき、いろいろ迷惑を掛けた人がいたって言ったでしょ。この人がその城平さんだよ」

「ああ、この方がユーチューバーの。そうですか、その節はお世話になりました」

「いや、お世話なんて。私の方がお世話になってるんですよ。今回も、中田さんの老人ホームに泊まらせてもらって、大阪観光してるんですから」

「えっ、また、何かご迷惑を?」

「違いますって。私も、この孫の朝陽も、個人的に用事があって来たんです」

「へえ、知らなかったな。祖父じいちゃんとそんなに会ってらっしゃるなんて」


 その後、再び事務所に戻って、三人でお茶を飲みながら話を続けた。

 朝陽は、奥のスタジオで野村先生や女の子たちと話をしていた。

 二人の馴れ初めは、約3年前にこの事務所を立ち上げた際、委託した弁護士事務所から派遣されて来たのが圭人くんだったらしい。

 会社はスタートしたものの、最初はトラブル続きで、その都度、圭人くんを呼んでいるうちに、八十木さんの方から「いっそのこと、ずっと一緒にいてくれたら良いのに」とプロポーズしたらしい。

 そもそも圭人くんの方は、八十木さんがアイドルや俳優をやっていたことを知らなかったから、過去の話には一切触れず、クライアントとして一生懸命に尽くしただけだというが、彼女にとってはそれが心に響いたらしい。

 圭人くんは「永久専属契約を結びました」などと冗談めかして言ったが、一目見たときから忘れられなくなり、「一緒にいてくれ」と言われたときには心臓が破裂しそうなくらい嬉しかったという。


「元アイドルなんて、後でネットで知ってびっくりしましたよ」

「圭人くんは勉強ばかりしてきたからだろう。俺なんか、さっき廊下で見かけたときに心臓がバクバクしたよ」

 奥の部屋から大男がやって来た。

「社長、今、朝陽くんが良いこと言ったんやけど。この子らのことユーチューブで動画配信しましょうや。まあ、二番煎じにはなるけど、今日からレッスンやって本物のアイドルになるまでの記録とか……」

 彼は、相変わらず堅気ではないしゃべり方をしている。

 それを怖がらないあの子たちも、かなり肝の座った女子中学生だといえる。


 時計を見ると、午後5時になろうとしていた。

「あっ、じゃあ、我々はこれで……」

「城平さん、大阪にはいつまで?」

 私に続いて、圭人くんも立ち上がった。

「明日の午後には帰ります」

「じゃあ、明日の午前中、早いうちに老人ホームに伺います。川端さんのお祖母ばあちゃんに契約のことを話さなきゃいけないし、祖父じいちゃんの顔も見たいから……」

「ああ、午前中なら僕もいるから。あっ、奥さんも来るの?」

「はあ、社長ですから」

「あっ、そう。じゃあ、お待ちしてます」

 私は、明日も八十木麗香の顔が見れると分かり、とても嬉しかった。


 駅まで送って行くという約束で、他の女の子たちとともに事務所を後にした。

 駐車場へ行く前に、途中のコンビニで袋一杯の飲み物やお菓子を買い、交番に立ち寄った。

 ちょうど川瀬部長が在所していたので丁重にお詫びをしたが、彼は何一つとがめることも無く、「無事で良かった」とだけ言ってくれた。

 私はあのとき、この交番にいたのが彼で本当に良かったと胸を撫で下ろした。

 

 車で二人を駅まで送って行き、途中、弁当を買って老人ホームへ帰った。

 私は、帰り着くと真っ先に中田さんと川端さんに今日のことを話した。

 もちろん、警察沙汰になったことは一切伝えなかったが、川端さんは孫娘が嘘をついてタレント事務所に行ったことについて涙を浮かべた。

 マズいと思った私は、すかさず、そこが圭人くんの奥さんの事務所だったこと、明日二人で挨拶に来ることなどを伝えると、中田さんは一瞬表情を失うほど驚き、川端さんに「俺の孫夫婦だから大丈夫だ。俺が責任を持つ」と言って元気付けていた。


 ゲストルームで弁当を食べていると、中田さんが部屋にやって来た。

「城平さん、この度は、ほんにありがとうな」

「川端さんは落ち着きましか?」

「ああ、圭人たちのことを話したら、孫の夢を叶えてやってくれっちゅうて、拝まれたよ」

「でも、圭人くんの奥さんの事務所だったとは、私も驚きました。こんな奇跡みたいなことがあるんですね」

「いや、それもこれもあんたの人徳よ。あんた本当に仏様のごとある。そうや、生き仏や。わしゃ、これから朝晩、あんたの顔を思い浮かべて念仏を唱えることにするよ」

「いえいえ、ときどき思い出していただければ十分です。それより、中田さんは圭人くんの奥さんのこと知ってたんですか?」

「いやあ、見たことは無いんよ。ほれ、去年まで洋子とはアレやったやろ。結婚式を挙げたかどうかも、よう知らんのよ……」

「そうですか。八十木麗香さんという元女優さんですよ。明日、来ると、多分ここにもご存じの方がいらっしゃると思いますよ」

「ふーん。やったら、嫁の顔を見るのも楽しみやのう」

「ええ、とっても良い夫婦ですよ」


 翌日、午前9時に圭人くんたちはやって来た。

 八十木さんは、グレーのジャケットに黒のスラックスというビジネススタイルながら、ピカピカのBMWから降り立つ姿は、映画の一場面のように見えた。

 続いて、後部座席から、ベージュのハーフコートに茶色のワイドパンツを履いた小柄な女性が降りて来た。

 よく見ると、それは圭人くんのお母さんの洋子さんだった。

 一緒に孫の到着を待っていた中田さんは、彼女に気付くと、私を見て意味ありげな笑いを浮かべた。

 八十木さん見たさに集まった入所者や職員の間を通り、一行は談話室に入った。

 騒ぎになるといけないので、あらかじめ私の方から理事長に彼女が来ること伝えておいた。


 談話室の中では、既に川端さんと絵美さんが席に着いていた。

 八十木さんと圭人くんは二人の前に座り、早速、契約のことについて話を始めた。

 高齢の川端さんはなかなか理解できないらしく、首をひねっていたが、絵美さんが嚙み砕いて説明し、その様子を八十木さんと圭人くんは優しい顔で見守っていた。

 中田さんと洋子さんは少し離れたところで話をしていたが、しばらくすると私を

呼んだ。

 また何かもめていなければ良いが、と思いながら中田さんの隣に座ると、神妙な顔つきで私の意見を聞かせて欲しいと言った。


「実は、圭人たちが、絵美さんの里親になって、自分たちの元で育てたいと言い出しまして。どうしたものかと、父に話していたところなんですが……」

 洋子さんは恐る恐るという感じで言った。

「えっ、養子にするということですか?」

「いえ、里親です。里親制度というのがあって、家庭生活というものを味合わせるために、大人になるまでの一定期間、一般の家庭で預かるような形です。もちろん、その後、正式に養子ということに発展する場合もあるようですが」

「なるほど。今は、まだお祖母ばあちゃんがいますけど、いずれは天涯孤独ということになりますからね。何かと、相談できる家族は必要かもしれませんね」

「本格的なレッスンを始めるにしても、その方が良いんじゃないかと……」

「はあ、普通に考えれば素晴らしいことだと思います。あの2人なら、親代わりとして申し分ない。もちろん、川端さんや絵美さんが良いならですが……」

「お父さん……」

「うん、お前が良いと思うんなら、それで良いよ。いや、俺もその方が良いと思う。圭人たちなら川端さんも安心やろ」

 洋子さんは嬉しそうに笑った。

 彼女は、二人と同じマンションの別室に住んでいるということだから、二人が忙しいときには自分が世話を焼くことができると言った。


 契約の手続きが終わった頃を見計らって、私と朝陽は絵美さんを連れてゲストルームに移動した。

「率直に聞くけど、絵美さんはどうだい? 断っても、全然オーケーなんだよ。

そんなことで、八十木さんや圭人くんの君へのサポートが変わったりはしないから」

「ええ、私は、合宿で社長の家に住むような感覚ですから、構いません。ただ、あの二人の子供になるかと言われたら、まだちょっと、お父さんとお母さんが……」

「そりゃあそうだよ。天国のお父さんとお母さんは、違う人たちに君を盗られると思って悲しがるかもしれないからね」

 絵美さんは、可愛い表情でニッコリと笑った。

「小さい頃はそんなふうに考えました。こんなことしたら、こんなこと言ったら、お父さんとお母さんが怒るかなとか。でも、もう二人はいないんだって理解してます。正直、自分が迷ってるだけなんです。お父さん、お母さんは関係ありません。だから、今夜、独りで良く考えて返事をします」

「そうか。君はいろいろな経験をしているから、きっと正しい答えを見つけられると思うよ」

「はい」

 朝陽は、終始、頷きながら話を聞いていた。

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