第6話
翌朝は、ゆっくり起きて、ホテルでバイキングの朝食を食べた。
春に孝子と来たときは、駅前の高級なホテルに泊まったが、今日は予算の関係から一番安いビジネスホテルだった。
朝食を摂りながら話し合った結果、今日と明日は宮城と岩手の海岸線を観光することにした。その翌日は、ちょうど幸田の命日に当たるため、墓参りをして、もう一泊してから千葉へ帰ることにした。
宮城県には、日本三景の松島をはじめ観光地はたくさんあるが、私たちの場合、真っ先に頭に浮かぶのは、どうしても震災跡地ということになってしまう。
「観光と言っても、津波の跡地ばかりになるけど、それで良いよね」
「もちろん。どのくらい復興したか、ときどきこの目で見ないと落ち着かないからね」
「じゃあ、俺が検視で派遣されてた石巻から行くけど、タンさんはどこかに派遣されたの?」
「俺はね、捜査応援で仙台の拠点に入ってた。ちょうど、昨日泊ったみたいなホテルに宿泊して、警戒と事件対応をやったね」
「やっぱり、皆、来てるんだね」
私たちは、まっすぐ石巻まで行き、復興記念公園を散策した後、車で海岸付近を回ってみた。
東日本大震災の死者と行方不明者を合わせると約21,000人ということだが、ここ宮城県では、その約半分の10,569人が死亡したらしく、死因の90%は水死だったという。つまり、被害のほとんどは、地震の後の津波によるものだったということになる。
その後、石巻で昼食を摂り、女川町、南三陸町、気仙沼の奇跡の一本松を見て回り、さて今夜はどこに泊まろうかと話し合った結果、ここまで来たら釜石まで行ってしまおうということになった。
釜石に着くと、ビジネスホテルにチェックインし、夕食のために外へ出たが、時間が時間だけにやっている店は少なかった。
海岸通りまで歩くと、一軒だけ
「あっ、すみません。終わりですか?」
「えっ、ああ、お客さんですか? えーと、火を落としたんでラーメンは作れないですけど、チャーハンと餃子で良ければ焼きますよ」
「ありがとうございます。土曜日なのに、ここら辺、どこもやってなくて」
「どうぞ、入って」
私たちは、店に入ってカウンターに腰を降ろした。
白髪の老婆が、水を持って来てくれた。
壁を見ると「釜石ラーメン」と書かれた醤油スープのラーメンの写真が貼ってあった。
「シロさん、あれ、旨そうだな」
「ああいうあっさり系のラーメン、最近少ないからな」
「明日でも、また来てみようか」
「あれを見て、そのまま帰ったら後悔するからな」
話をしていると、「お待ちどうさま」と言って
お盆に乗ったチャーハンと餃子を2セットカウターの上に置いた。
閉店間際とあって、二人とも急いで食べ終わり、勘定を払って外へ出た。
「どうも、ありがとうございました。また来てくださいね」
老婆がわざわざ外まで出て来て、見送ってくれた。
翌日は、観光をしようと思っていたが、取りやめることにした。
20年前に幸田の葬式に来た際、墓と実家へ行っていたので、付近まで行って交番で訊けばすぐ分かるだろうとたかをくくっていたが、震災復興で景色はまったく変わっており、とりあえず移転先を突き止めるのが先決ということになった。
まず、釜石駅前交番へ行って相談したところ、墓がどうなったかは幸田家の関係者に聞くしかないとのことだが、その幸田家の人たちが今どこに居住しているのかは、市役所の復興支援課へ行って調べてもらう以外手はないとのことだった。
その後、市役所へ行き、復興支援課の職員に訳を説明して調べてもらったところ、
戸主の禎一、長女の美佐江、禎一の母の貞の3人は、東日本大震災の際に災害死しており、一人残った妻の清子は、現在、海岸近くに住民登録があるということが分った。
私たちは、親切な職員に礼を言い、幸田の母がいると思われる住所地へ向かったが、ナビが古いためか、周辺に民家やアパートらしきものは見当たらなかった。
「ああ、シロさん、この店、昨日のラーメン屋だよな」
「あっ、昨日は夜だったから分からなかったけど、間違いないな。ちょうど良い、食ってくか?」
「良いね。お袋さんのことも何か知ってるかもしれないからな」
店前の駐車スペースに車を止め、私たちはラーメン屋に入った。
日曜の昼どきとあって、テーブル席に3組ほど客がいたので、またカウンターに座った。
「あらあら、昨日の……」
水を持って来てくれた白髪の老婆が覚えていてくれた。
「どうしてもあのラーメンを食べたくて来ちゃいました」
「ありがとうございます。じゃあ、2つね」
「お願いします」
現役当時なら、二人とも大盛りを頼んだものだが、今は普通でも持て余すようになった。
丹原班長が玄関の近くへ行って、棚に置かれた新聞を持って来ようとした。しかし、すぐ新聞を元の場所に置くと、小さな目を大きく開いて帰って来た。
「ビンゴ、ビンゴ」
「えっ、何が?」
「あそこ行って、新聞を取って来てみな……」
「何があったんだよ……」
私は、出入り口のところへ行き、新聞を手に取って見たが、特に気になる記事は無かった。
「もう、な……」
新聞を元に戻して顔を上げると、目の前の壁に「食品衛生責任者」と書かれた札が貼られ、その真ん中辺りに「幸田清子」という名前が書かれていた。
私たちはラーメンを食べ終わり、一旦外へ出て、客が全員いなくなったところを見計らってもう一度店に戻った。
私たちが、幸田と一緒に仕事をしたことがあり、葬儀の際にも弔問に来たことを伝えると、白髪の老婆は感激し、声を上げて泣き出した。
「あの後、お
「ご主人は確か警察官でしたよね」
「ええ、本部の鑑識課に勤めていたんですが、あの日はたまたま家にいて、地震があったのですぐに釜石警察署に出掛けて行ったんです。それで……」
「娘さんも、仕事先で?」
「ええ、市役所の総務課で、住民の皆さんを避難させるために外へ出ていたそうです。お
もう、それ以上は声にならなかった。
私と丹原班長も、涙が溢れて何も言えなくなり、しばらく三人で黙っていた。
すると、カウンターの中から、
彼女は私たちのところへ来ると、黙ってメモ用紙をテーブルに置き、またカウンターの向こうへ戻って行った。
メモを見ると、墓地の名称と所在地のほかに、「午前10時ころ」と殴り書きされていた。
「あっ、これ、すみません」
私は立ち上がって、カウンターの中の女性に声を掛けた。
翌日、私たちは午前10時頃、花を買って墓地へ行き、幸田家の墓にお参りをした。喪服は持って来ていなかったので、私服のままだった。
墓地にあるお墓は、震災後に建て直したようで、すべて新しいものばかりだった。
近くの墓石を見ると、ほとんどの命日が平成23年3月11日となっていた。
「ここ、3月11日はお墓参りの人で大変だろうな」
「そうだよね。皆、3月11日だもんな」
私たちが話をしていると、喪服を着た女性2人がやって来た。
近くまで来ると、一人は白髪の老婆で、もう一人は店員の女性だと分かった。
「ああ、来てくれてたのね。本当にありがとうございます」
「いえ、このために来たんですから」
二人は持参した桶の水で丁寧に墓石を洗い、花と線香を供えると、お墓の前にしゃがんで手を合わせ、5分間くらいじっと目を閉じていた。
「あのう、よろしかったら、この後、お店の方に来られませんか? 今日は閉めていますので」
私と丹原班長は顔を見合わせ、同時に、
「では」
と頷いた。
店員の女性が運転する軽自動車の後をついて行くと、店の玄関には「本日臨時休業」と書かれた紙が貼ってあった。
車を止めて中に入ると、私たちと母親はテーブルに座り、店員の女性はカウンターの中に入って行った。
「健司は小さい頃から覚えが早く、何でもできる子でした。反抗期も無く、学校の成績もずっと優秀でした」
「なぜ、千葉県警に?」
「はあ、宮城じゃ事件も少なくて仕事が覚えられない。千葉はこれから発展していくところだから面白そうだとか言ってました」
「確かに、健司くんが拝命した頃は、千葉も本当に犯罪が多かったですからね」
2000年代の初め頃は全国的に犯罪認知件数が多く、千葉も2002年に史上最高値を記録していた。
「気が回るから、かえって考え過ぎるようなところもあって。そんなところが、いけなかったんでしょうかねえ」
「はあ……」
店員の女性が、大皿にサンドイッチを載せて運んで来た。それをテーブルに置くと、続いてコーヒーを3杯持って来てくれた。
その後、母親はアルバムなどを持ち出して、1時間近く幸田健司のことを話し続けた。
「じゃあ、私たちはそろそろ。お母さん、突然来て本当にすみませんでした。またこちらの方へ来たときには寄らしてもらいます」
「えっ、もう帰られるの? そうですか、こんな田舎ですけどいつでもお越しくださいね」
「じゃあ、ごちそうさまでした。失礼します」
玄関の引き戸を開けると、
「あっ、ちょっと待って。サンドイッチ、持って行ってください!」
店員の女性が大きな声で呼び止めた。
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