第4話
その後、幸田を車に乗せて京葉署まで連れて行った。
車中で検事に電話を入れると、安心したような声で「了解。書類待ってます」と言った。
幸田を刑事課に帰し、署長室に入ると、応接椅子には署長、副所長の他に、監察課長、警務課長、留置管理課長も座っていた。
「シロさん、大変でした。これでとりあえず一段落だね」
監察課長は笑いながら言った。
全員が明るい表情をしている。
「はあ、ただ、こういう結果になると、週刊誌に記事が出ちゃうかもしれませんが……」
「ああ、明日一番で本庁に連絡しとくよ。まあ、出たら出たで大変だけど、そこは皆で踏ん張るしかないな」
「幸田の方も、当分、風当たりが強いかもしれませんが……」
「当分、彼には署内で仕事をしてもらいます。それと、署員にも変な目でみたりしないよう徹底しておきます」
副署長が元気良く言った。
「じゃあ、私は、送致の準備をしますんで、4階の方に行きます」
私は、外で待っていた丹原班長とともに、4階の捜査拠点に上がって行った。
3日後の木曜日、発売された週刊誌には橋本沙耶の公益通報の写しとともに、それを大きく上回る内容の記事が2ページに渡って掲載され、県警本部と京葉署では苦情電話の対応に追われた。
記事には、毎日5、6人の警察官に留置場の中で強姦されたとか、数人の男性被疑者の前でストリップまがいの行為を強制された。勾留されていた1ヶ月間はほとんど下着しか着させてもらえなかった等々、とんでもない内容ばかりが書かれていた。
ただ、あまりにもあり得ない内容に、県警も警察庁も形だけの事実確認をしただけで、あとは静観する姿勢を示した。
また、新聞やテレビの記者たちも、さすがに呆れて相手にせず、広報課に労いの言葉を掛けに来る者さえいたらしい。
12月22日、無事に検察庁への書類送致を終え、我々の捜査班は解散した。
あまり良い終わり方とは言えなかったが、翌日から3連休ということで、夕方から捜査員全員で近くの居酒屋で解散式をやることになった。
若い刑事たちと気持ち良く飲んでいたが、途中から監査課長、警務課長、留置管理課長が合流し、少しだけトーンダウンした。
宴会が終わると、若い人たちは一緒にカラオケに行ったが、私と丹原班長は二人で行き付けの小料理屋で飲み直した。
その夜は遅く帰宅して、気持ち良く寝ていると、午前5時頃スマホが鳴り、開いてみると『監察課』と表示があった。
嫌な予感を覚えながら電話に出ると、相手は当番監察官だった。
「城平補佐ですか? 私、当番監察官の澤田ですが、京葉警察署刑事課の幸田健司巡査長が、昨夜、亡くなりましたので一報しておきます。課長から、補佐に連絡しておくようにと指示があったもので……」
私の脳裏には、あの日の夕方、刑事課に送って行った際の幸田の青白い顔が浮かび上がった。
「差し支えなければ、死因を……」
「ああ、これはまだ未確認なんですが、どうやら自殺のようです。官舎の自室で首を吊ったようで……」
「分かりました。ありがとうございました」
電話を切ってから、私は枕に顔を
事件の真相は分からない。しかし、あの一件が引き金となり、結果として一人の前途有望な青年が命を絶ったことは紛れもない現実だ。
私は、すぐに丹原班長に知らせるとともに、車で県警本部に向かい、これから出発するところだった検視官に訳を話して同行させてもらうことにした。
京葉警察署に着き、霊安室に入ると、全身蒼白ながら体格の良い若者の死体が寝かされていた。
現場に入った捜査官に聞いたところ、数通の遺書が置いてあったということで、それらを見せてもらった。
遺書は全部で4通あり、それぞれに「お父さん、お母さんへ」、「友里花へ」、「百合ばあちゃんへ」、「田辺課長へ」と宛先が書かれていた。
田辺課長というのは、京葉署の刑事課長のことであり、手紙を見せてもらったが、やり掛けの仕事のことや上司先輩への感謝の言葉ばかりで、私が期待する内容は一切書かれていなかった。
年が明け、仕事始めも過ぎた頃、岩手県釜石市の葬祭場で幸田健司の葬儀が行われた。
私は、職場同僚と称して丹原班長と二人で出席したが、今でも、家族席でうな垂れたままの父親の姿が
私は、空になった紙コップを持って給茶器のところへ行き、アイスコーヒーを注いで席に戻った。
「あの一件だけは、忘れられないな」
「シロさんもそうなんだ。俺も、ときどき夢に幸田が出て来るんだよ」
「えー、それはヤバいな」
「うん、成仏できてないのかな、あいつ」
「俺のせいかな。あのとき、最後まで調べてやらなかったから……」
「それを言うなら、俺たちのせいでしょ。きっと、俺たちに言いたいことがあるんだと思うよ」
私には、人に自慢できるようなことはほとんど無いが、1つ上げるとしたら、それは警察という厳しい仕事を、1つの汚点も残すことなく38年間やり遂げたということだと思っている。
しかし、この一件だけは、鋭いとげとして、いまだに心に刺さったままのような気がする。
「タンさん、とげ抜きに行かないか?」
「えっ、神社か?」
「いや、できればあの女の行方を調べて、それで、奴の墓に行って……」
「調べて? 調べてどうする?」
「今、どうなってるかだけでも確かめたくないか? それを奴に教えてやったらどうだろう」
「うーん、その結果によっては、奴も成仏できるか……」
「俺ね、最近、車で日本中のいろいろな所に行ってるんだ。動画を撮ってユーチューブに上げたりしてるんだけどね」
「えっ、それに俺を誘ってるわけ?」
「うん、行かないか?」
「ああ、あのワゴン車なら乗り心地良さそうだからな」
「いや、あれじゃなくて、もう一台小さいハイブリッド車があるんだよ」
「おお、分かった。いつ行く?」
旅に行くということだけは決まったが、肝心の橋本沙耶の所在はまったく見当もつかない。
現役当時に使っていた備忘録には、当時、見聞きした情報をすべて書き留めてあったが、退職のときにすべて処分させられ、手元には残っていない。
念のためスマホのデータも確認したが、事件に関する電話番号はすべて消去していた。
丹原班長は目を閉じて、何かぶつぶつと言い始めた。
「おい、何してるんだ? 寝てるのか?」
「思い出してるんだよ」
「それは無理だろ。今朝の朝飯だって思い出せないのに」
「でも、最近、大昔のつまんないことを思い出すときがあるんだよ」
「そりゃ、歳のせいだよ」
「やっぱり、だめか」
こうなると他の方法を考えるしかない。
二人で腕を組んでじっと考えていると、先に丹原班長が顔を上げた。
「そうだ、あのアパートに行ってみようか」
「えっ、アパート?」
「裏付けやったときに、奴らが同棲してたっていうアパートに行っただろ」
「うん、でも20年も前の話だぞ。まだ、あるかなあ……」
「まあ、行くだけ行ってみようよ」
「じゃあ、いつ行く?」
「おいおい、お互いずっと暇だろ。明日、すぐ行こうよ」
「分かった」
翌日、私の車に乗り合わせて、20年前に一度だけ行ったアパートに行ってみた。
周辺はすっかり様変わりし、彼らが同棲していたアパートも建て替えられて新しくなっていた。
敷地に立っていた看板を見て、管理している不動産屋へ行くと、その店だけは以前と同じだった。
近くの和菓子屋で買った手土産を携えて行くと、高齢の男性が出て来た。
20年前の話をすると、同棲のカップルが入居していたことと、退去した後に警察が来たことだけは覚えていたが、そのときの契約関係書類はすべて処分したということだった。
お茶を入れてくれたので、お土産の団子を開けて三人で食べていると、40歳前後の肉付きの良い女性が帰って来た。どうやら、この店の娘さんらしい。
「ああ、いらっしゃいませ」
「おじゃましてます。あの、私たち……」
「お前、覚えてないか?」
老人が私を遮ってしゃべり出した。
「20年前に、訳ありのアベックがアパートに入って、半年くらいで出て行ったろ」
「ああ、私が短大を出てすぐの頃だよね。そのあと、警察の人が来たよね」
「それそれ、このお二人が、あのときの刑事さんだよ」
「ああ、そう。まだ、働いてらしたんですか?」
「いや、もう私たちは退職したんです。あの後、あのカップルは別れたんですが、実はあの男性が亡くなったんです。それで、彼女にそれを知らせたいんですが、居場所が分からなくて。何か、手掛かりが無いかなと思ってお邪魔したんですが」
「ああ、そう、別れたんですね」
娘さんは、何故か嬉しそうに笑った。
「でも、今しがたお父様から、何も残ってないとお聞きしましたので……」
「えっ、ありますよ。ねえ、お父さん、あれがあったじゃないよ。忘れたの?」
娘さんは言いながら、壁際に置かれた年代物の金庫を開けて、奥から花柄の
「5年前にあそこを建て替えた時、あのカップルが入ってた部屋の天袋からこれが出て来たんです。あの後、何組もあそこに住んだのに、奥の方だったから全然見つからなかったようで」
「開けて良いですか?」
「どうぞ。でも、大金が入ってますよ」
「えっ?」
縦20センチ、幅10センチくらいの古びた巾着の紐を解くと、封筒に入った札束、折り畳まれた戸籍謄本、花柄のハンカチ、小さなノートが入っていた。
「タンさん、この札束……」
「ああ、幸田のオヤジが持って来たっていうやつかもな」
「90万円ありますよ。警察に届けようとしたら、拾得物じゃないから預かれないって言われて保管してたんです」
戸籍謄本を開くと、2005年の12月10日に取った橋本沙耶のもので、本籍地は宮城県となっていた。
「宮城県か……」
また、小さなノートは、沙耶が釈放後に書いたと思われる日記で、買い物に行ったこと、ディズニーランドへ行ったこと、釜石の幸田の実家へ行ったこと等々、幸田と過ごした幸せな日々が綴られていた。
後ろの3分の1は白紙だったが、最後のページには、釜石の住所、電話番号、家族の名前が書かれていて、結婚を控えた彼女の幸せな気持ちが伝わって来るようだった。
「あっ、そうだ。刑事さんたちが行くんなら、これ、持って行ってもらえませんか?」
私は丹原班長と顔を見合わせた。
「いや、とりあえずこの本籍地には行ってみるつもりですけど、ここにいるかどうか分かりません。じゃあ、もし会えたら、先方には後で送るように伝えますから、郵送していただくということはできませんか?」
「ああ、良いですよ。うちとしても、こんなのあっても使っちゃう訳にもいかないしねえ……」
「だけど、会えないってこともありますよ。そのときは?」
「できるだけ探したということで、そのときは、こっちで処理します」
「はあ……」
私が話している間に、丹原班長は
帰りの車中で、私たちは打ち合わせをし、出発は12月19日の金曜日と決まった。
家に帰って妻に話すと、いつものように食事の都合を聞かれ、年末の掃除までには帰って来ることを約束した上で無事に許可は下りた。
丹原班長の方は、ちょうど奥さんもその辺りで友達と旅行に行く予定だったらしく、大手を振って出掛けられそうだということだった。
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