第23話 「未完成の歩幅」
1. □ 朝の駅前、制服姿の波に混ざると、歩幅の差がすぐに露わになる。みんなが軽快に歩く中、僕の足は震え、リズムを崩してしまう。
2. □ 「遅いよ」と友人に笑われ、僕も笑顔を返したふりをする。本当は胸がぎゅっと縮んで、返した笑みも歪んでいるのに。
3. □ 一段の階段が、僕には壁のようだ。上るたびに息が上がり、背中に汗がにじみ、みんなの背中が小さく遠ざかっていく。
4. □ クラスメイトの「早く早く!」という声。急ぎたいのは僕も同じなのに、足は言うことを聞かず、焦るほど動きが乱れる。
5. □ 「大丈夫?」と声をかけられ、反射的に頷く。大丈夫じゃない。けど「大丈夫」と言えなきゃ、もっと遠ざかる気がして。
6. □ 教室に入った瞬間、みんなの笑い声が弾む。その中心には僕はいない。僕の声は掠れ、会話に届く前に消えてしまうから。
7. □ 椅子に座り、鞄からタブレットを取り出す。今日もこれが僕の声になる。指が震え、最初の文字からすでに誤字だらけだ。
8. □ 「おはよ!」と明日香が笑顔でやって来る。その笑みは自然で、朝の眩しさよりも心にまっすぐ差し込んでくる。
9. □ 《おはよ》と打ち込む。誤字はなかった。それだけで少しだけ心が軽くなる。小さな成功が胸に残るのは嬉しい。
10. □ 「昨日さ、宿題大変だったよね」と彼女が笑う。僕は頷くけど、本当は半分も終わらなかった。手が思うように動かず。
11. □ 《できなかった》と打とうとして、《でけなかった》と誤字。明日香は笑わず「頑張ったんだね」と受け止めてくれる。
12. □ その言葉で、涙が少し込み上げる。笑われない優しさが、どれだけ救いになるのか。胸の奥で温かさが広がった。
13. □ 教室の隅で「また間違えてるよ」と別の声が聞こえる。悪気はないのだろう。でも、僕には刃物より鋭い音だった。
14. □ 明日香が「人は誰でも間違えるよ」と軽く言い返す。その自然さに、僕の心は少し守られた気がした。
15. □ 《ありがとう》と打つ。指は震えたけど、文字ははっきり読めた。それだけで今日の朝は少し救われる。
16. □ ホームルームが始まり、先生が行事の話をする。文化祭の準備。みんながざわつき、わくわくの空気が広がる。
17. □ 僕もわくわくしたい。けど、準備に必要な作業は、僕にはできないことばかりだと知っている。
18. □ 「誰か大道具やる?」と先生が問う。手を挙げたい気持ちと、震える手が人前に出る恥ずかしさが衝突する。
19. □ 結局、手は動かない。胸の奥に「また参加できない」という悔しさだけが積もっていく。
20. □ 「じゃあ私、大道具やる!」明日香が笑顔で挙手した。周りが拍手する。羨望と安堵が入り混じった。
21. □ その姿が輝いて見える。同時に「僕にはできない」という事実を突きつけられて、心の中に影が落ちる。
22. □ 《手伝いたい》と打つ。画面に出た文字が、心の奥の小さな願いをそのまま映していた。
23. □ 明日香が気づき、にっこり笑った。「一緒にやろうよ。できることだけで十分だよ」
24. □ その言葉で、胸の奥の影が少し薄くなる。寄り添う一言が、どんな励ましよりも温かかった。
25. □ まだ不安は消えない。でも「一緒に」と言ってもらえたことが、朝の始まりを少し明るく変えてくれた。
26. □ 放課後、文化祭準備の教室はざわめきに満ちていた。机が運ばれ、段ボールが山積みになっていく。
27. □ クラスメイトが笑顔で大きなハサミを動かす。僕も手を伸ばすけど、刃を扱う勇気は出なかった。
28. □ 「蓮は絵を描く?」と聞かれ、首を振る。手は震え、線はすぐ歪む。絵にすらならない。
29. □ 「じゃあポスター運んで!」と頼まれた。段ボールを掴もうとするが、腕がもつれて落とす。
30. □ 床に響く「ドサッ」という音。周りの視線が集まり、胸が一気に縮こまる。
31. □ 「大丈夫?」笑い混じりの声が飛ぶ。僕は《ごめん》と打って画面を見せた。
32. □ 明日香が駆け寄り、一緒に拾ってくれる。「二人で持てばいいよ」自然な声が救いになる。
33. □ その言葉に涙が滲む。周囲のざわめきが遠くなり、僕と彼女だけの空間が一瞬生まれた。
34. □ 机の上でポスターを広げる。僕は指先でそっと端を押さえる。震えても、押さえるくらいならできた。
35. □ 「ありがとう、助かる!」と明日香が言った。その一言が心を真っ直ぐ温める。
36. □ クラスメイトの「すごいじゃん」という声。皮肉ではなく本心なのは分かる。それでも照れて目を逸らした。
37. □ タブレットに《やっとできた》と打ち込む。画面を見た明日香が「うん」と笑う。
38. □ たったこれだけ。でも僕にとっては大きな一歩だった。
39. □ 放課後の教室は夕陽に染まり、作業の音が静かに続く。みんなが夢中で働き、時間が少し優しく流れた。
40. □ 明日香と肩を並べる。その距離が、いつもより近く感じられた。
41. □ 「疲れた?」と聞かれ、《ちょっと》と返す。彼女は「私も!」と笑い、肩をすくめた。
42. □ 同じ言葉を共有するだけで、不思議と胸の奥が軽くなる。
43. □ 「明日はもっと作業だって」明日香の声は楽しそう。僕は少し不安で、少し楽しみでもあった。
44. □ タブレットに《がんばる》と打つ。画面を見て彼女が大きく頷いた。
45. □ その頷きに、心臓が少し跳ねる。僕は目を逸らしたけど、笑みが漏れていた。
46. □ 作業が終わり、片付けが始まる。机を戻そうとするが、腕が震え思うように押せない。
47. □ クラスメイトが代わりに押してくれる。「助かる!」と言われても、胸は痛む。
48. □ 明日香が「蓮はこっち!」と呼んだ。画用紙をまとめる作業なら、僕にもできそうだ。
49. □ 指が震え、端が少し折れてしまう。それでも彼女は「きれいだよ」と微笑んだ。
50. □ 僕は《ほんと?》と打ち込む。彼女は「ほんと」と迷いなく答える。その瞬間、心に灯がともった。
51. □ 外はすっかり暗くなり、窓から見える街の明かりが滲んでいる。
52. □ 「明日も一緒にやろうね」明日香が笑顔で言った。その言葉が胸に刻まれた。
53. □ タブレットに《うん》と打つ。震えた指先が、今日は少しだけしっかりしていた。
54. □ 教室を出ると、廊下の静けさが二人を包んだ。
55. □ 「今日はありがとう」彼女の声が夜に響く。僕は小さく首を振る。
56. □ 本当は僕が感謝したい。支えてくれる存在に。
57. □ タブレットに《こちらこそ》と打ち、彼女に見せた。
58. □ 明日香が小さく笑った。胸が熱くなる。
59. □ 彼女と並んで歩く帰り道。僕の歩幅は遅い。それでも彼女は合わせてくれた。
60. □ その歩幅の重なりが、今日いちばんの救いになった。
61. □ 家に着き、母に「どうだった?」と聞かれる。僕は《楽しかった》と打った。
62. □ 嘘じゃない。本当に楽しかった。初めて胸を張って言える気がした。
63. □ 母は驚いたように笑顔になった。「よかったね」その声に涙が少し滲む。
64. □ 夜、布団に潜り込む。今日の出来事が頭の中で繰り返される。
65. □ 失敗もあった。でも、笑われるだけじゃなかった。支えてくれる手があった。
66. □ 《いてよかった》と心の中で呟く。タブレットには打たなかった。自分だけの秘密にした。
67. □ 涙がまた落ちた。でも、今日の涙は昨日までと少し違った。
68. □ 苦しみの涙じゃない。安心の涙。救われた証みたいに思えた。
69. □ 「未完成でもいい」心の奥から声がした。
70. □ 明日香の「一緒にやろう」が、その声を呼んでくれたのだと思う。
71. □ 眠りに落ちる前、彼女の笑顔が浮かぶ。
72. □ 胸の奥で、何かが少しずつ形になり始めていた。
73. □ 未完成の僕にとって、それは確かに恋の始まりだった。
74. □ でもまだ言葉にはできない。ただ、心臓が教えてくれている。
75. □ 「好き」という言葉が、喉の奥で温かく震えていた。
76. □ それを声にできる日は、きっと遠い。けど、今日の一歩は未来に繋がっている。
77. □ 未完成の歩幅で、少しずつ進んでいけばいい。
78. □ 僕はそう思いながら、静かに目を閉じた。
79. □ 文化祭のざわめきが夢の中に響く。
80. □ 僕と彼女が並んで笑う光景が、ぼんやりと浮かんでいた。
81. □ 夢かもしれない。でも、それで十分だった。
82. □ 朝の不安も、階段の壁も、笑い声の刃も。
83. □ 今日はすべてが、少しだけ遠ざかっていた。
84. □ 彼女の言葉が、盾になってくれたから。
85. □ 「一緒に」その二文字が、夜を優しく包んだ。
86. □ 涙の跡が乾いた枕に、安らぎが残っていた。
87. □ 今日は泣き疲れて眠るんじゃない。笑って眠れる夜だった。
88. □ 僕の心は、未完成でも確かに動き始めていた。
89. □ 未来はまだ遠い。けれど今は、それでいい。
90. □ 僕は未完成のまま、隣に彼女がいてくれることを願った。
91. □ 願いは声にならず、涙にもならず、ただ胸で静かに脈を打つ。
92. □ それでもいい。伝わらなくても、ここにあることが大事だから。
93. □ 「未完成の歩幅」それが僕の歩き方だ。
94. □ 彼女の歩幅と少しずつ重なっていく。
95. □ それは奇跡のようで、当たり前のようで。
96. □ きっとこれからも、僕を支える力になる。
97. □ 未完成の恋模様は、今日もまた続いていく。
98. □ 涙と笑顔の両方を抱えながら。
99. □ まだ言葉にはならないけれど、確かに恋は始まっていた。
100. □ 僕は眠りに落ちた。未完成のまま、明日も彼女と歩幅を合わせていけますようにと願いながら。
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