第4話 走れない僕と、並んで歩く君

1. □ 体育館に「ガヤガヤ」と声が響く。赤や青のハチマキが配られ、クラスの熱気が一気に上がった。


2. 「今年はリレー強いぞ!」

 男子が胸を張る。その声が「ドン」と蓮の胸に響き、痛みの針が一本刺さった。


3. □ ハチマキが机に配られる。蓮の机にも「ポトリ」と置かれた。掴もうとした指が「プル」と震える。


4. 《……》

 結べない。頭に巻く動作一つ、できない自分をまた突きつけられる。


5. 「水城くん、手貸して」

 明日香がひょいと取って、蓮の頭に「キュッ」と巻く。軽やかな手つきが、逆に胸を重くした。


6. 《ありがと》

 短い言葉の裏に、「自分でやりたい」が何重にも絡んでいた。


7. 「似合うよ」

 明日香の言葉は甘い。甘いのに、舌の奥で苦く広がった。


8. □ 隣の机で男子が「サボれていいな」と笑う。棘のある冗談は、みんなに笑われて柔らかくなる。けれど蓮の胸には「グサリ」と鋭く残った。


9. 《サボってない》

 打ちたい言葉。指が止まり、結局打てなかった。


10. □ 笑い声が「ガヤガヤ」と遠ざかる。背中に残ったのは、自分を嫌う声だけ。


11. 「水城、旗係どう?」

 先生の声が飛ぶ。


12. □ 旗を振る。単純に見える動作。けれど腕は「プルプル」と震え、重さに逆らえない。


13. 《むり》

 即答に近い文字。指が押した瞬間、胸の奥で「ドン」と罪悪感が鳴った。


14. 「じゃあ、記録係やってもらえる?」

 先生の問いに救われるようで、同時に胸に重りが落ちる。


15. 《できる》

 文字は真っ直ぐ。心は揺れながらも。


16. 「ありがとう、助かるよ」

 その言葉に、わずかに呼吸が軽くなった。


17. □ 周囲の生徒は走る準備を始める。ジャージの擦れる音、笑い声、地面を蹴る「ドン」という音。全部が遠くて羨ましい。


18. 「水城くん」

 明日香が声をかけて、プリントを「コト」と置いた。


19. 《なに?》

20. 「私、応援団やるんだ」

 明日香が胸を張る。笑顔が太陽みたいに眩しい。


21. 《すごい》

 本心だった。けれど胸の奥で「自分にはできない」という黒い声がざわついた。


22. 「水城くんは記録だよね。じゃあ一緒に頑張ろう」

 明日香の「一緒に」が、胸の中に小さな光を灯した。


23. □ 体育館の床に「ドン」とボールが落ちる。笑い声と歓声が交差する。その輪の外にいる自分。


24. 《……》

 画面は真っ白。入力する言葉が見つからない。


25. 「大丈夫」

 明日香が小さく囁く。その一言で、胸の針が少しだけ抜けた。


26. □ 放課後の教室。「ガタガタ」と机を動かし、リレーの順番を決める声が飛ぶ。


27. 「水城、どうする?」

 からかうような声に、周りがクスクス笑う。


28. 《みてる》

 短い返事。言葉の後に「悔しい」がこびりついた。


29. 「水城は走らなくても応援してくれりゃいいよ」

 軽口に笑いが重なる。


30. □ 胸の奥で「ズキッ」。応援しかできない自分。存在の幅がまた狭まった気がした。


31. 「じゃあ、私の隣で応援して」

 明日香が軽やかに言う。その一言だけで、灰色が少し薄くなった。


32. 《うん》

 胸の奥に、やっと肯定の灯がともる。


33. □ 帰り道。空は茜色。雨上がりの道に水たまりが「キラキラ」と光っていた。


34. 「ねえ、水城くん」

 明日香が傘を閉じて、夕陽を浴びながら振り向いた。


35. 「私、水城と一緒にいるの楽しいよ」

 言葉が柔らかく胸に届く。


36. □ けれどその“楽しい”は、自分には一番遠い言葉。楽はない。どこにもない。


37. 《ぼくは すき》

 画面に打つ。指が熱く、息が浅くなる。


38. 「……うん」

 明日香が笑った。頬が夕陽で赤く染まっていた。


39. □ 影が並んで長く伸びる。二人の距離は縮まり、影は一つに重なりそうだった。


40. 《ありがトゥ》

 冗談みたいな綴りを、今日はお守りのように差し出した。


41. 「ふふっ、またそれ?」

 明日香が笑い、夕暮れの道に小さな光が灯った。


42. □ 家の玄関「ガチャ」。湿った空気がまたまとわりつく。


43. 「おかえり」

 親の声。優しいのに、胸は冷たい。


44. 「体育祭の準備、大丈夫?」

 問いかけに、蓮は口を開く。けれど息だけが「ヒュッ」と漏れた。


45. 《きろく かかり》

 画面に打つ。


46. 「……わかった」

 親の声は短い。分かっていないのに、分かったで終わる。


47. □ 部屋に戻る。机にタブレットを置き、深く呼吸を整えた。


48. □ ペン先が「コツ、コツ」と紙を叩く。努力は灰になる。けれど灰を積むことしかできない。


49. 《がんばる》

 画面に打ったその二文字。心に響く前に、自分で否定してしまう。


50. □ 天井を見上げる。昼間の笑い声と、明日香の笑顔が「リフレイン」していた。


51. □ 翌日の体育館。「ドンッ」と太鼓の音。応援団の練習が始まり、床が「ドシン」と揺れる。


52. 「フレー! フレー!」

 声が天井に響く。明日香が腕を振り上げる姿が、光の中で大きく見えた。


53. □ 蓮は記録用のプリントを握る。手が震えて「カサカサ」と紙が鳴る。


54. 「水城、記録お願いな!」

 声をかけられ、頷こうとするが、喉が「キュッ」と閉じる。


55. 《うん》

 画面に打ち込む。声の代わりに出せるのは、それだけだった。


56. □ 周囲の仲間は「ワァッ」と盛り上がり、走る準備を整える。靴の紐を結ぶ音でさえ、遠い世界の合図のように響いた。


57. 「位置について!」

 笛の音「ピッ!」が体育館を切り裂く。


58. □ 一斉に走り出す靴音が「ダダダッ」と床を震わせる。蓮の手は止まったまま。紙の上にペン先を落とせず、呼吸だけが荒くなる。


59. 「水城くん、大丈夫?」

 明日香が駆け寄る。汗で濡れた前髪の奥の瞳が、真剣に揺れていた。


60. 《……かけない》

 文字が歪んでにじむ。


61. 「いいよ、一緒にやろ。私が口で言うから、水城くんは数字を書いて」

 彼女は笑い、ペンを指で押し出す。


62. □ 明日香の声に合わせて書き込む。線が曲がり、数字が震える。それでもページが埋まっていく。


63. 「できたね!」

 笑顔で肩を叩かれる。胸に「ドン」と重さが残った。


64. 《ぼくじゃない》

 本当は彼女の助けだ。けれど口にできない。


65. 「二人でやったんだよ」

 明日香が言い切る。蓮の胸の針が少しだけ緩んだ。


66. □ 体育館の外。夕暮れが窓から差し込み、床をオレンジ色に染めた。

67. 「明日も練習あるね」

 明日香の声が「トーン」と落ち着いて耳に入る。


68. 《また いっしょ?》

 打った瞬間、顔が熱くなった。


69. 「もちろん」

 彼女は即答する。その軽さが、逆に涙腺を刺激した。


70. □ 外はすでに雨上がり。濡れた地面に「ピチャ」と小さな音。


71. 「今日も一緒に帰ろう」

 明日香が傘を広げる。


72. □ 二人で並ぶ道。紫陽花が「ポタリ」と水滴を落とす。

73. 《きょうは ありがとう》

 文字が胸の奥から滲み出る。


74. 「どういたしまして」

 彼女は笑い、傘の下に柔らかな空気が満ちた。


75. □ 家に帰ると玄関が「ギイ」。湿気が体に絡みつく。


76. 「おかえり」

 親の声。優しさと距離が同居していた。


77. 「体育祭、どうだった?」

 問いが投げられる。蓮は口を開くが、声は出ない。


78. 《きろく すこし》

 画面に出すと、親は頷いて「わかった」とだけ言った。


79. □ その短いやり取りが、会話の終点。胸の奥で「ギシリ」と音がした。


80. □ 部屋に入る。机に突っ伏すと、昼間の光景が「リフレイン」する。


81. 《がんばりたい》

 タブレットに打ち込む。けれど、その文字を自分で否定する声がすぐ後ろにいた。


82. □ 鏡の中の自分が、疲れた顔で見返してくる。嫌いな部品が並んだ姿。


83. 「でもね」

 心の奥で小さな声が囁く。——隣に明日香がいた。


84. □ ペンを握る。手は震えても、文字が少しずつ紙に刻まれる。


85. 《つぎも いっしょ》

 打った二文字が、未来の小さな支えになった。


86. □ 窓の外で風が「サワサワ」と揺れる。紫陽花が月明かりに濡れていた。


87. 「水城、明日も一緒に頑張ろうね」

 昼間の明日香の声が、記憶の中で「ふわっ」と蘇る。


88. □ 胸が熱くなる。嫌いな自分の真ん中に、ほんの小さな光が差していた。


89. 《ありがとう》

 画面に打って保存する。送れなくても、残すだけで救われた。


90. □ ベッドに横たわる。天井の模様が「グルグル」と揺れ、目が重くなる。


91. □ 眠りに落ちる直前、昼間の明日香の笑顔が「キラリ」と灯った。


92. □ 体育祭を恐れていたはずなのに、心の奥で少しだけ楽しみにしている自分がいた。


93. 《たのしみ》

 画面に打ち込んで目を閉じた。


94. □ その文字は保存され、暗闇の中でひとつだけ光っていた。


95. □ 外の夜風が「スーッ」と部屋に入り、カーテンが揺れる。


96. □ 世界は相変わらず重い。それでも、今日はほんの少し軽かった。


97. 《また あした》

 小さな呪文のように打ち込む。


98. □ 呼吸が「スー、ハー」と規則を刻む。


99. □ 明日香の笑顔が胸に浮かび、夜の闇に溶けていった。


100. □ 未完成の恋模様は、痛みを抱えながら、それでも甘酸っぱく続いていく。

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