第13話 自由恋愛

「っ、うぅ……」

 小夜は我慢できずに嗚咽おえつを漏らし、真之介が一度、二人を振り返る。

「朝彦、夕彦。宗一郎に知らせてきてくれ。もし眠っていれば、お前たちは母屋に戻れ。親父には何も言うな、小夜のことはおれから話す」

「分かった」

 二人はうなずき、来た時とは裏腹に静かに廊下へと出て行く。

 夕彦が襖を閉めたのを確認してから、真之介は小夜へよりそうように座り直した。

「……気がすむまで、泣いていいぞ」

 不器用だがやさしさを感じられる言葉だった。

 そっと肩に手が回されて、小夜の涙腺るいせんはますますゆるむ。誰も見ていないからこそ、小夜はプライドも恥も投げ捨てて彼へすがりつく。

 そして、これまでの自分を思って泣いた。未来へ迷いこみ、帰り道を閉ざされて、未来人として生きるしかなかった境遇きょうぐうあわれんだ。

 これから先にどうなってしまうのか、自分でもまったく想像がつかなくて、ただただ怖かった。


「私の父親がすまないことをした。本当に申し訳ない」

 夜になり、宗一郎は布団から体を起こしてその場で土下座をした。

 小夜は戸惑ってしまったが、こんなことになってしまった原因は確かに彼らの方にもある。

 しかし、病床びょうしょうにいる宗一郎に頭を下げられるのは、気持ちのいいものではない。

「頭を上げてください、宗一郎さん」

 と、小夜はできるだけやさしい声で言った。

「昔のことです。今さらどうこう言ったって、どうしようもないことですから」

 宗一郎がゆっくりと頭を上げた。

「小夜さん……」

 親のしたことを許せない気持ちがあるのだろう、複雑な表情をしながらも息をついた。

「そうだね。それよりも話を先に進めよう」

 小夜の隣で様子を見ていた真之介が口を開く。

「門に拒絶されたのは、小夜が元々こっち側の人間だったからだ。けど、十五年も経ってる。今の陽ヶ瀬家に小夜の居場所があるとは限らない」

「ああ、受け入れてもらえるかどうかが問題だね」

「それに、未来には小夜を引き取って育ててくれた家族がいる。こっちで行方不明になったように、あっちでも行方不明として騒がれているに違いない」

「ふむ、しかし未来には戻れない……実に厄介な状況だね」

 一つ謎が解けても、根本的な解決にはならなかった。

 小夜はおずおずと口を開いた。

「あの……元はと言えば、わたしが本当の家族を探しにきたから、過去へ戻ってきたんだと思います。八幡宮でそう願って叶えてもらったので、未来へ戻るわけにはいかないってことも、分かるんです」

 真之介と宗一郎が黙って小夜を見る。

「だから、というわけでもないですが……未来へ帰るのは、あきらめようと思います」

 真っ先に反応したのは真之介だった。

「何言ってるんだよ、小夜。あきらめていいわけないだろう?」

「いいんです。だってそうすれば、問題はもっと簡単になるでしょう?」

 真之介がくやしそうに口を閉じ、宗一郎は小夜へ問いかける。

「もし陽ヶ瀬家に受け入れられなかった場合、責任を持ってうちで貴女を預かろうとは思っている。だが、これまでのように客人あつかいはできない。それでもいいのかい?」

「はい、かまいません。最悪の場合、一人で生きていくことになってもいいです。両親の顔を一目見られれば、それでいいです」

 自分で言っておきながら胸がぎゅっと締めつけられる。

 すると真之介が力強く言った。

「一人にはさせない。おれが嫁にもらう」

「えっ?」

 思いがけない言葉にきょとんとする小夜だが、宗一郎は声を荒らげた。

「何を言っているんだ、真之介! お前には許嫁いいなずけがいるだろう?」

「知らん! おれは自由恋愛を選ぶ!」

「駄目だ、園ノ宮の当主としてそれは許さない」

「許されなくてもいい。けど、よく考えてみろ。小夜は陽ヶ瀬の生まれなんだぞ。華子とは格が違う」

 宗一郎が言葉につまった。どうやら、陽ヶ瀬はよほどの名家らしい。

「だ、だが……小夜さんの気持ちはどうなんだ」

 と、宗一郎が視線を小夜へ移す。

 真之介ははっと我に返り、どこか不安そうな顔で小夜を振り返った。

「えっと……」

 小夜は戸惑いながらも、真之介の方へ顔を向ける。

「わたしが、ここに残ってもいいと思ったのは、その……真之介さんがいるから、でもあるので」

 宗一郎が深々とため息をついた。

 真之介は頬を赤く染めて嬉しそうにうなずく。

「ありがとう、小夜。かならず幸せにする」

「はい」

 小夜も嬉しさをこらえきれずに微笑んだ。やさしい彼となら、きっと素晴らしい家庭をきずけるだろう。

「はあ、頭が痛くなってきた。すまないが、続きは明日話そう」

 と、宗一郎が言い、二人へ背中を向けた。

「分かった」

 そう返して真之介が立ち上がり、小夜も腰を上げた。

 何だか事態はさらにややこしくなったようだ。宗一郎には悪いことをしたかもしれないと、小夜は申し訳なく思った。


 風呂から上がり、浴衣に着替えて離れへと戻る。

 しっとりと肌に残る湯の温もりと、浴衣のやわらかな肌触りが心地よい。着慣れてみると、浴衣はとても楽だった。

 一度外に出ると外気が肌を冷まし、やや急ぎ足で離れの戸を開けた。

 下駄を脱いで裸足で廊下を歩いていくと、途中でしのと会った。

 小夜はその場に足を止めて彼女を呼び止める。

「しのさん、一つお願いしたいことがあるんですが、いいですか?」

 しのの小さな体が、小夜の視線の下でわずかにゆれた。彼女は丁寧ていねいな口調で答える。

「ええ、小夜お嬢様のご要望でございましたら、何なりと。どのようなことでございましょうか?」

 小柄な彼女を見下ろしながら、小夜は意識して穏やかな微笑みを浮かべた。その表情の裏には、ある決意を秘めている。

「わたしの洋服を、すべて燃やしていただきたいんです」

 しのの顔から、わずかに血の気が引いたように見えた。

 彼女は無言のまま、小夜の言葉の真意をはかろうとするかのように、目をじっと見つめた。

「未来へ帰る時に着るつもりでしたが、もう帰ることはあきらめました。だからって無責任に捨てたら、歴史に干渉しかねないでしょう?」

 小夜の言葉に、しのの表情に複雑な感情がよぎった。

「本当に、それでよろしいのでございますか? お嬢様にとって、大切なものではございませんか?」

 しのの問いかけに、小夜は迷いのない声で答えた。

「はい、かまいません。わたしのはいていた靴も、下着も、身につけていたものすべて、残らず燃やしてください。物理的になくすことで、心の整理がつくでしょうから」

 しのは小夜を哀れむような、しかし深い理解を示すようなまなざしでしばらく見つめていた。

 やがて、小さくため息をつくと頭を下げた。

「小夜お嬢様のお気持ち、確かにうけたまわりました。ひとつ残らず、燃やさせていただきます」

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