第8話 光

 服を着替えようかと思ったが、元々着ていた服が見当たらない。どうやらしのに回収されてしまったようだ。

 しかたなく袴姿のまま、畳に横になって目を閉じていた。

 武蔵野八幡宮まで徒歩で行って帰ってきたせいか、足が疲れていた。しかし眠る気になれず、心に浮かぶままに思考を巡らせるばかりだ。

 そうして十分ほど経った頃、朝彦と夕彦がやってきた。

「小夜姉、入っていい?」

「ちょっと待って」

 小夜は起き上がり、身だしなみを軽く整えてから返した。

「どうぞ」

 襖が開き、二人が部屋の中へ入ってくる。

「これ知ってる?」

 と、朝彦が手にしたものを小夜へ差し出してみせた。一瞬こけしのように見えたが、細長くて下部には台座がついている。

 小夜がすぐに答えなかったためか、今度は夕彦が手にしたものを見せる。

「輪投げだよ」

 ドーナツのように穴が空いた木製の輪だ。五つあり、先ほどの棒と同じく鮮やかな彩色がされていて可愛らしい。

「ああ、輪投げね。それなら知ってる」

 と、小夜が返すと、二人はにっこりと笑った。

「ぢゃあ、これで遊ぼう!」

「うん、いいよ」

 小夜も笑みを浮かべ、朝彦が手にした棒を部屋の中央辺りへ置く。

 夕彦は小夜の隣へ来て腰を下ろし、輪を渡した。

「まずは小夜姉からね。はい、どうぞ」

「ありがとう」

 受け取った輪をどうやって投げようか考える。

 朝彦がこちらへ戻ってきたところで、小夜は一つ目を軽めに投げた。輪は残念ながら棒をとらえきれず、畳に転がっていく。

「あっ、外れちゃった」

 朝彦と夕彦が楽しそうに笑い、その無邪気な笑顔に小夜もつられて頬をゆるめた。

 気を取り直して二つ目を投げる。今度は棒に当たったが通ることなく、カランと音を立ててそばに落ちた。

「もっと近くにする?」

 朝彦が小夜の様子を見てたずねた。

「そうだね、距離が近ければ入れられるかも」

 小夜の言葉を受けて、朝彦が棒を先ほどより手前に置き直した。

「これでどう?」

「これならいけそう。やってみるね」

 小夜は三つ目の輪を手にし、今度こそとばかりにしっかりと狙いを定めて投げた。輪はを描き、見事に棒の先端をくぐり抜けて落ちた。

「おっ、入った!」

「やったね、小夜姉!」

 二人が嬉しそうに声を上げ、小夜も少しだけ嬉しくなる。成功した喜びと、二人の喜ぶ姿に心が温かくなった。


 日暮れが近づくと真之介が呼びに来た。

「おい、小夜。そろそろ……」

 と、室内を見て苦い顔をする。

「何をしているんだ?」

 室内には朝彦たちの持ちこんだ玩具が散らかり、小夜も思わず苦笑する。

 朝彦と夕彦は肩をすくめながらも言う。

「小夜姉が退屈なんぢゃないかと思って」

「いろいろな遊びを教えてたんだ」

「……お前たちなぁ」

 真之介は室内へ足を踏み入れると、二人の前までやってきた。

「まだ十歳だから大目に見てきたが、いずれは界統御者として家業を手伝う身なんだぞ。未来人である小夜にあんまり干渉するな」

 双子は横目にちらちらと目を合わせると、声をそろえて「ごめんなさい」と言った。

 真之介はため息をつきつつ、二人の頭に手を置く。

「歴史が変わったらどうなっちまうのか、今度、きちんと教えてやる。おれたち界統御者がどれだけ重い責務せきむを負っているかも含めてな」

 幼い二人は真之介の真剣なまなざしに表情を引き締めた。

 見ていた小夜はそっと視線をそらす。自分の存在が異物であることを、あらためて思い知らされたような気になって苦しくなった。


 朝彦と夕彦に部屋の片付けを言いつけて、真之介は小夜を外へと連れ出した。

 建物から漏れる明かりだけが頼りだった。頭上には星がまたたき、辺りはすっかり夜の静寂せいじゃくに包まれている。

「悪かったな、さっきは」

 ふいに真之介が言い、小夜ははっと顔を上げた。

「え、何のことですか?」

「だから、その……寂しくさせちまったんぢゃないかと思って」

 どうやら小夜の気持ちをおもんぱかってくれているらしい。少しだけ嬉しくなった小夜だが、先ほどの真之介の言葉が脳裏のうりをよぎる。

 彼の後ろをついていきながら、小夜は静かに返した。

「いえ、気にしないでください。わたしが未来から来たのは、事実ですから」

 言い終えた途端に胸が鈍く痛む。百年という月日にへだたれていることを実感し、悲しいような苦しいような気持ちになる。

 真之介は何も言わず、二人の足音が沈黙ちんもく際立きわだたせた。


 敷地の境界である門のところで宗一郎が待っていた。

「待たせてすまん」

 と、真之介が声をかけると、宗一郎は首を左右に振る。

「いや、かまわないよ。それぢゃあ、行こうか」

「おう」

 二人が並んで歩き出し、小夜は後ろをついていく。

 外にはまったくと言っていいほど人気がなく、少し怖いくらいだった。

 見上げると星空が広がっているが、あまりにも綺麗すぎて小夜からすれば現実感がない。同時に、いかに自分の育った街が明るかったのかを知った。

 ほんの百年で街はすっかり変わってしまったのだ。不思議な気分になるが、小夜の生きてきた未来は、果たして正しい世界だったのだろうかと、ふと疑問に思った。


 道の先にぼんやりと光るものを見つけて、宗一郎が言う。

「光っているな」

 昨日、小夜を拒絶した門がぼんやりと光を発していた。金属的なフレームの輪郭りんかくがくっきりと見える。

「ということは、これはあっち側からぢゃないと閉じれないのか?」

「本の記述を信じれば、そうなるが……」

 宗一郎が門の前へ立ち、両手を伸ばして確かめるように触っていく。

「そもそも、門は時の違えだ。未来側に原因があり、こちらへつながっているという。だからこそ、こちら側で消滅させる必要があったわけだが……」

 ふと、宗一郎が門の向こうへと手を伸ばした。ゆらめく陽炎のような、薄ぼんやりとした方へ手が飲みこまれていき、見ていた小夜はびくっとしてしまう。

「やはりつながってはいるようだね」

 宗一郎は平然と手を引くと、小夜を見た。

「小夜さん。戻れるかどうか、もう一度試してみてほしい」

「はい、分かりました」

 呼ばれるまま小夜は近づき、宗一郎と場所を変わる。

 緊張しながら門へ一歩、踏み出す。しかし、昨日同様に見えない力が働いて押し返されてしまった。

「きゃっ」

 とっさに宗一郎が手を伸ばして小夜を支えてくれたため、倒れずにすんだ。しかし、昼間の参拝はどうやら無駄だったようだ。

「やっぱり駄目か。どうすりゃいいんだよ?」

 真之介が聞くと、宗一郎は小夜から手を離しながら返した。

「あちらへ行くしかないが、小夜さんをどうにかするのが先だね」

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