第4話 お守り

 ファスナーを開けて、かばんの中を探りながら小夜は言う。

「名前は中林小夜、十八歳。この前、高校を卒業したので、来月から大学生になります」

「女も大学に行くのか」

 と、真之介が驚いたように言った。思わず小夜が目をやると、真之介はうつむいていた。

「すまん、今のは聞かなかったことにしてくれ」

 彼の表情は見えず、いまいち意図いとをつかみかねる。

 小夜は困惑しながらも問いかけた。

「もしかして、未来に興味あるんですか?」

「……こんな家業を継いでおいて、興味を持たずにいられるかよ」

 ふてくされたような声で真之介が答え、小夜はくすっと笑った。

「そうですよね。わたしもきっと、同じように興味を持っちゃうと思います」

 真之介は否定ひてい肯定こうていもせず、あぐらをかいたひざの上にひじを置いて頬杖ほおづえをつく。

 小夜は褒められたことではないのを理解しつつ、財布を取り出して中から身分証明になるものを出した。

「わたしのマイナンバーカードです。えぇと、身分証明書みたいなものです」

 真之介がちらりとカードを見た。

「……小さいな」

「カードですから。それとこれが高校の学生証。もう有効期限は過ぎてるんですけど、なんとなく捨てられなくて」

 次に出してみせたのは、同じくカード型の学生証だ。プラスチック製で、小夜の顔写真と学校名、そして有効期限が印字されている。

「大学に入ったら大学の学生証を持ち歩くので、その時に入れ替えるつもりです」

「……へぇ」

 真之介はやはり興味がある様子だ。小夜はもっとたくさん教えたくなった。

「それとお金は千円札がこれで」

「せ、千えん札!?」

「えっ、そんなに驚きますか?」

「だって学生だろ? なんでそんな大金を持っているんだ」

「大金……?」

 首をかしげてはっと気づく。物価が違うのだ。貨幣かへい価値もまるでことなる。

 小夜は思考をめぐらせながら、小銭の入ったポケットを開けた。

「えーと、わたしのいた世界では、一円玉が最低金額なんです」

 と、一円玉を取り出した。

 真之介は我を忘れてこちらへ近づき、まじまじと一円玉をながめる。

「これが未来の一圓か」

 手を出すことはしないが、とても興味深そうだ。

「そうなんです。次が五円で、その次が十円、五十円、百円です」

 次々に硬貨を取り出して見せると、またもや真之介が驚愕きょうがくした。

「百圓が玉に……!?」

 どうやら百円も大金らしいと気づき、小夜は取り出そうとしていた五百円玉をそっとしまった。

「すごいな、未来っていうのは。まるで想像がつかない」

 目をキラキラさせる真之介に、小夜は戸惑いながらも微笑む。

「あんまり近づくと、またにおいがついちゃいますよ?」

 はっとして離れた真之介だが、視線は小夜へ向いたままだ。

「すまない……でも、おもしろかった」

 照れたようにうっすらと頬を紅潮こうちょうさせながら、真之介は好奇心を隠せない顔で言う。

「よければ、その……もっといろいろ、聞かせてくれないか?」

「かまいませんけど、大丈夫なんですか? 干渉することになりませんか?」

 小夜が疑問をぶつけると、真之介は悩ましげに頭を抱えた。

「そう言われると困る。けど、きみのことを調べなくちゃならないのも確かだ。うう、悩ましい……」

 本気で苦悩する彼に、小夜はどう言葉をかけたらいいか迷う。未来の話をもっとしたい気もするが、やりすぎると歴史を変えてしまうかもしれない。

 許される範囲が曖昧あいまいな中、とりあえず財布をしまおうとした時だった。

 ふいに真之介が何かに気づいた。

「何か落ちたぞ」

 指摘されて畳の上を見ると、薄桃色のお守りが落ちていた。

「すみません、ありがとうございます」

 と、小夜はすぐに拾い上げて、大切に財布の中へしまう。

「何だ、さっきのは」

「お守りです。ずっと昔から、大切に持ち歩いているんです」

 小夜が財布を胸に抱くようにして返すと、真之介はどこか意外そうに言った。

「未来でもお守りは残っているのか」

「はい。学業成就とか商売繁盛とか、いろいろなお守りがありますよ。わたしのは、ちょっと特殊とくしゅですけどね」

 小さく笑ってから、小夜は今度こそ財布をかばんへしまった。


 翌朝、真之介はいつもの詰襟に着替えてマントを羽織った。学生帽を片手に居間へ向かい、遊んでいた弟たちの前に立つ。

「どうだ、朝彦、夕彦。もうにおわないだろう?」

 朝彦と夕彦は遊びを中断して立ち上がった。二人は兄の服に鼻を近づけ、くんくんとにおいをかいだ後、同時に真之介を見上げた。

「うん、もうにおわないよ」

「大丈夫だよ、兄さん」

 真之介はほっとし、にんまりと笑った。

「よし。おれから変なにおいがすると言いふらしてないよな?」

「当然さ」

「してないよ」

 うんうんとうなずき、真之介は弟たちをじっと見る。

「絶対に誰にも言うなよ。もし外の人間に言いふらしたら、もう玩具おもちゃ買ってやらないからな」

「兄さんのお金ぢゃないぢゃん」

 と、朝彦は生意気を言ったが、夕彦はそんな朝彦をなだめた。

「兄さんがお小遣い使ってくれるんだよ、朝彦。ありがたいと思わないと」

「そりゃあ、ありがたいけどさぁ」

 まだ文句のありそうな朝彦だが、真之介は左右の手で弟たちの頭をぐしゃぐしゃとなでた。

「とにかくそういうことだ。いい子にしてろ」

 そう言いつけて、真之介は学生帽をかぶった。

「それぢゃあ、宗一郎のところへ行ってくる」

「いってらっしゃい」

「いってらっしゃーい」

 弟たちに見送られて出て行く真之介だが、朝彦と夕彦はすぐに顔を見合わせた。

「くさかったな、兄さん」

「まだ昨日のにおい、残ってたね」

 くすくすと笑い合い、朝彦は言う。

「絶対に何かあるぞ」

「まさか、ついてくの?」

「きっとおもしろいことが待ってるはずだぜ」

「そうかなぁ? 女の人かもしれないよ」

 首をかしげる夕彦だが、朝彦はかまうことなく駆け出した。

「それならますますおもしろい! 行こう、夕彦」

「えっ。待ってよ、朝彦」

 と、夕彦は一拍遅れて追いかけた。

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