第26話 謝罪

 その後のどさくさで、エリックはレオポルトからの告白を聞けなかった。そのまま数日が過ぎたが、その機会を逸し続けている。

 だけど聞けなかったとしても、構わないと思っていた。

 エリックはどんなことがあっても、レオポルトに着いていくと決めているのだから。

 それがあの牢獄から連れ出してもらった恩返しであり、共犯者としての情だ。

 ゲスナーは取り調べで、素直に全てを自供したらしい。彼は自棄になっているようだとエリックへ知らせたのは、取り調べを受け持ったヘンケルだ。


「どうしてあんなことをしたのか、自分でも分からないらしい。今は後悔している、と言っていた」

「そうですか」


 部屋で療養中のエリックは、ベッドに座って厚手の毛布をかぶりながら、それを聞いた。秋も終わりに近づいて、暖房をつけても部屋は冷える。


「ありがとうございます、知らせてくださって」

「いや、まあ。仕事だから、そうするだけだが」


 ヘンケルは胸元へ手を当てつつ、どこか気まずそうに目を泳がせた。どうしてだろうとエリックが首を傾げると、ヘンケルが声を張った。


「エリック・クレーバー。貴殿へ伝えねばならないことがある」


 なんだろうと戸惑うエリックの前で、ヘンケルが綺麗なお辞儀を披露した。腰の角度は四十五度で、手は体側へぴっちり揃えられている。


「すまなかった」

「ええっ!?」


 驚いて声を上げるエリックに、なおも頭をあげずにヘンケルが続ける。


「お前と殿下に、心無いことを言った。殿下には、既に謝罪済みだ」

「え、ヘンケル殿、何か言ってましたっけ」


 頭を抱えてうなっていると、ヘンケルはわずかに顔をあげた。口角をさげて、あからさまに沈んだ表情になっている。


「言っただろう。……行きの馬車で、散々、酷いことを」


 ああ、とエリックは頷いた。たしかに、あれはなかなか酷かった。


「殿下は、分からないですけど……僕は、まあ、慣れているので大丈夫ですよ」


 へへ……と笑ってみせる。ヘンケルは顔をあげて、片膝をついた。大げさな仕草に慌てふためくエリックを置いて、「大丈夫なわけあるか」と怒鳴るように言った。


「私が言うのは筋違いだと分かっているが、お前は私を責めていいんだぞ。むしろ、許さないでくれ」


 ふむ、とエリックは顎に手を当てた。しばらく考え込んだ後、にこりと微笑み返す。ヘンケルがそう望んでいるので、最も重たい一撃を繰り出すことにした。


「人に対して、怒るとか責めるとかって、けっこう疲れるんですよね。ヘンケル殿は、僕にそういう負担をかけたいんですか?」


 途端にヘンケルは言葉に詰まった。さらに表情が沈んでいくのを見て、エリックはけらけら笑った。我ながら性格が悪いが、責めていいと言ったのはあちらなのだ。


「この言葉でそれだけ喰らってるなら、あなたは大丈夫です。これからは、気をつけてくださいね」

「……かたじけない」


 いくつかの言葉を飲み込んだ顔で、ヘンケルが礼を言う。いいえ、とエリックは首を横に振った。


「許さないでくれ、だけは受け取っておきます。次も似たような発言をしたら、無限につつきかえしますから」

「ああ、そうしてくれ」

「僕にもそうしていいですよ。また喧嘩しましょうね」

「お前なぁ……」


 それでもヘンケルはやっと、すっきりした表情で頷く。エリックは、しげしげとその顔を見つめた。


「あなたって、本当に、レオポルト殿下のご友人なんですよね。すごく納得しました」

「は? なんでだ」


 怪訝な表情をするヘンケルを相手に、エリックは神妙な顔で頷いた。


「そういう妙に生真面目で、肝心なことは誤魔化せないところが、よく似ているので」


 ヘンケルは「はぁ……」と、気のない返事をする。


「たしかに殿下には、そういうところがあるが」

「分かります」


 エリックが食い気味で答えると、ヘンケルは「いや、その話はやめよう」と手を挙げた。


「友人の恋人と、その手の話題で盛り上がるのは、なんだ。気まずいだろうが」


 たしかに……と、エリックも頷いた。二人が黙り込んだとき、扉がノックされる。ヘンケルが立ち上がると、レオポルトが入ってきた。彼は二人をじっくり見比べて、にこりと微笑む。


「お前たち。私の悪口でも言っていたのか?」


 からかうような声に、エリックはわざとらしく「違います」とむくれてみせる。レオポルトはエリックのもとへ歩み寄って、隣に座った。


「いや、正直に言ってみろ。本当はなんだったんだ?」

「褒めてただけですよ」

「そうか。かわいいな」


 二人のやりとりを眺めながら、ヘンケルがげんなりした顔をする。エリックは見せつけるようにレオポルトへ抱きつき、ヘンケルへ得意げに笑ってみせた。

 ヘンケルはますますげんなりした様子で、首を横に振った。それでも、彼の唇には笑みが浮かんでいる。


「……それでは、私は下がります」

「なんだ。用は済んだのか?」


 レオポルトの問いかけに、「はい」とヘンケルは生真面目に頷いた。

 そうか、とレオポルトは頷く。それだけで、この二人には十分なのだろう。ヘンケルは丁重に礼をして、あっさりと立ち去った。

 残された二人は、顔を見合わせる。


「ヨーゼフに、謝罪されたのか?」


 先に口を開いたのは、レオポルトだった。エリックは頷いて、「真面目ですよねぇ」としみじみ呟く。


「なんだか、ヘンケル殿は殿下のご友人ということが、身に沁みました」

「どういう意味だ?」


 首を傾げるレオポルトに、エリックは神妙な顔で続ける。


「妙に生真面目で、肝心なことは誤魔化せないところが、よく似ています」


 レオポルトはぽかんと口を開けて、それからゆるゆると唇を引き結んだ。


「褒めてないな?」

「褒めてます、褒めてますって」


 取りなすように言っても、レオポルトは「どうだかな」と言って立ち上がる。そしてすぐ側のソファに座り直したので、エリックも毛布を置いて後を追った。


「ほんとに褒めてるんですよ?」

「俺はお前だったら、俺の悪口を言っていても許すが?」

「ほんとにほんとに褒め言葉です」


 甘ったるいやり取りをしながら、二人の距離が近づいていく。唇同士が触れ合い、やがて離れた。レオポルトが低くうなる。


「ヨーゼフも、なんだ。こんな色ボケした男を捕まえて、あの時は済まなかっただの、なんだの……」

「でも、いい人ですよね」


 エリックがそう取り成せば、「浮気か?」と耳元で囁かれる。びくんと震えたエリックの腰を、レオポルトが掴んだ。そのまま膝の上に乗せて、抱き寄せる。さらに顎の下をくすぐられて、エリックはあられもない声を上げた。

 レオポルトが、いやにしみじみとした声で言う。


「猫みたいだな」

「にゃに言ってるんですか」


 図らずも噛んでしまったエリックに、「かわいすぎる」とレオポルトはうなる。エリックはすっかり恥ずかしくなって、レオポルトの肩に手を置いて腕を突っ張った。


「なんですか、こんな大の男捕まえて、かわいいとか」


 ぶつぶつ呟いていると、レオポルトは「すまない」と謝罪する。しかしその顔は、だらしなく緩んでいた。

 全然申し訳なく思ってない。エリックはそう確信しつつ、「いいですよ」と抱きつきなおす。

 レオポルトは改めて、エリックを抱きしめた。少しずつきつく、きつくなっていく腕の力に、エリックはちいさく笑う。


「不安なことでもあるんですか?」

「……本当のことを言えば、たくさんある」


 素直な言葉に、エリックは頷いた。レオポルトはしばらく黙りこくった後、ぽつりぽつりと続ける。


「……お前を、この計画へ、巻き込まなければよかった」


 うん、と頷いて、エリックはレオポルトの背中をゆっくり叩いた。彼は前かがみになってエリックを抱き込み、懺悔するようにうめく。


「すまなかった。俺がお前を、こんなところにまで、連れてこなければよかった。俺の個人的な欲望に、他の者を巻き込むべきではなかった」

「レオポルト殿下」


 エリックは、咄嗟に名前を呼んでいた。そんなことを言わないでほしい、と強く思う。


「僕は、殿下がいなければ、死んでいたかもしれません」

「しかし俺がいなければ、お前はこんな酷い目に遭わなかった」


 レオポルトの声は震えている。エリックはしばらく、レオポルトの肩越しの天井を眺めた。

 何度「もしも」を考えても、エリックの中では、これ以上にいい結果は出ない。


「仮にですよ。僕が牢屋へ放り込まれなくて、普通に研究して、正当な手段で、この結果を得られたとします」


 訥々と語り始めるエリックの背中を、促すようにレオポルトが叩いた。エリックは頷いて、さらに続ける。唇を舐めて、決してどもらないように、気を払いながら口を開いた。


「その未来と、今を、選べるとします。そしたら僕は、迷わず今この瞬間を選びます」


 レオポルトの呼吸が、一瞬止まった。エリックは「ね」と、レオポルトの首筋へ頬ずりをする。


「僕を選んでくれて、ありがとうございます」


 大きな身体が震えはじめた。そのちいさな嗚咽に耳を傾けながら、エリックは目を瞑る。


(この人の苦しみを、少しは共有してもらえたのかな)


 エリックのシャツの布地を握って、声を殺して、すがりつくようにレオポルトが泣く。

 しばらく、二人はわずかな身じろぎをするだけで、お互いに寄り添い合っていた。やがてレオポルトが泣き止み、身体を離す。

 エリックは、その腫れた目元を指で撫でた。レオポルトは観念したように目を伏せて、ため息をつく。


「……俺はよき息子になれなかったが、お前の、よき相棒には、なれただろうか」


 その言葉に、エリックは目を瞬かせた。なんのことかはよく分かりませんけどね、と前置きをして微笑む。


「あなたほど最高の相棒は、いませんよ」

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