第16話 睦言

 部屋に戻ると、エリックはレオポルト手ずから、ゆっくりとベッドへ寝かされた。手が離れて、レオポルトはベッドサイドへ椅子を引っ張ってくる。

 エリックは寝ころんだまま、椅子に座ったレオポルトを見上げた。彼の表情はやわらかく、どこかあどけない。

 レオポルトはエリックの髪の毛を、指ですいた。その手つきの優しさに、エリックはうっとりと目を細める。


「お前も、男が好きなのか」


 その言葉に、はい、とエリックは頷いた。レオポルトを見上げて、あなたも、と口を動かす。

 レオポルトは「ああ」と静かに返事をして、エリックの顔を覗き込んだ。

 このやり取りだけで、二人には十分だった。レオポルトの手が伸びて、エリックの手を握る。エリックは自ら指を絡めて、強く握った。

 なぜかまた、涙があふれる。泣きだしたエリックの額を、レオポルトがそっと撫でた。

 二人は見つめ合い、しばらくの間、無言だった。エリックはその青い瞳を、星のように見上げた。


「……それとこれとは、話が違いますから」


 エリックの唐突な発言に、レオポルトは首を傾げた。エリックは目を伏せて、続ける。


「あ、あなたのことを信頼しているとか、そういうのは、僕の恋愛事情とは関係ないです」


 レオポルトは「分かっている」と笑った。そしてエリックの頬を掌で包むようにして、何度も撫でた。


「だというのに、危ない目に遭わせてしまった。申し訳ない」

「もう、いいんですって。僕は納得の上ですから」

「いいや。お前が信頼してくれていたのに、お前を守れなかった、私の落ち度だよ」


 悔いるようなその言葉に、エリックはうっとりと目を細めた。

 それから、と、レオポルトは軽く咳払いをする。


「それで、お前は本当に『それだけ』なのか?」

「えっ」


 不意打ちにきわどい質問を投げられて、エリックの心臓が跳ねる。目を逸らしたエリックに、レオポルトは喉を鳴らして笑った。照れたように、口の端が震える。


「……私には、とても『それだけ』のように見えなかったが?」

「えっ……!」


 どぎまぎしつつ、逃げるために寝返りを打とうとする。しかし肩を押さえられて、止められてしまった。視線を右往左往させていると、レオポルトが美しい笑みを浮かべる。


「かわいいな。エリック」

「か、かわいいって言われても。あなたこそ、僕のことが、好みじゃないくせに……」


 まるで当てつけのような発言をしてしまった。咄嗟に口をつぐむと、レオポルトは口元を手で押さえる。そして、じろりとエリックを見下ろした。


「わざとやっているのか?」

「え? わざと?」


 何を言っているのだろうか。胡乱に思って首を傾げると、「またそれだ」とレオポルトは咎めるように言った。


「首を傾げてきょとんとすれば、私が何でも許すと思っているんだろう」

「思ってませんよ。なんですかそれは」


 レオポルトの手が首へすべり、そっと顎の下を撫でる。


「ひゃっ!」


 エリックの喉から、甲高い悲鳴が漏れた。レオポルトはエリックの鎖骨の辺りを指で叩いて、「この……」と顔をしかめる。


「あざとい奴め。しかし……かわいいな……」


 ぶつぶつと呟きながら、エリックの頬を親指で何度も擦る。エリックはきょときょとと視線をさ迷わせながら、耐えた。


「わっ、わざとじゃないですって」

「分かっている。しかし」


 唸りながら、今度はエリックの頬をもちもちと捏ね始めた。どうすればいいのか分からなくて、エリックは祈るように胸の前で指を組む。


「うう……」


 何が嫌かと言えば、この現状を喜んでしまっている自分自身だ。エリックに犬の尾が生えていたら、勢いよく左右に振られていただろう。

 レオポルトはまじまじとエリックを見つめていた。その視線が恥ずかしくて、嬉しくて、きつく目を瞑る。

 しばらく経って、レオポルトの手が離れていった。ちらりと瞼を開けると、彼は頭を抱えてうなだれている。


「どうしてくれようか……」


 一体、何を悩んでいるというのだろうか。エリックがおろおろしていると、レオポルトは顔をあげた。そして、眉間にしわを寄せて、エリックの顔を覗き込む。


「どうかしたのか。何か、不満や不足でもあるのか」

「不満はないです……」


 ただ、この気持ちをどう表現すればいいのか、分からないだけだ。エリックはころりと寝返りを打って、レオポルトへ背中を向けた。


「なぜこちらを向かない」

「なんでもです……」

「なぜだ。理由を教えろ。それともやはり、危ない目に遭わされて、私が嫌いになったのか……?」


 心細そうに潜められた声に、屈してしまう。エリックは、おずおずと口を開いた。


「ほ、他の人にも、こういうことしてるんでしょ……」


 惨めったらしい声だ。すんと鼻を啜ると、レオポルトがエリックの背中をさすった。


「あれはただの噂だ。しかしそれを利用して、愚かな王子を演じていたのは事実だ」


 エリックは、レオポルトを振り返った。彼は苦笑いを浮かべて、エリックの頬を撫でた。


「昔、男へ恋をした。その時、告白しようと私の部屋へ呼んだのだが、『襲われかけた』と騒がれてな。以来、あんな噂が立ったんだ」


 その言葉に、きゅうと胸が苦しくなった。エリックは身体を起こして、レオポルトを抱きしめる。たまらない気持ちになって、「他の人にもなんて言って、ごめんなさい」と呟く。


「僕はちゃんと、あなたが、好きです」


 レオポルトはエリックを抱きしめ返して、「なあ」と呼びかけた。


「私は一体、どうしてしまったのだろう」


 エリックはレオポルトを見上げた。彼は途方に暮れた様子で、エリックへ微笑みかける。


「お前が殴られているのを見て、生まれてはじめて頭へ血がのぼった。衝動のままに動いてしまった」


 その告白を、エリックは静かに聞いていた。レオポルトは、わずかにベッドへ体重をかけた。エリックの身体も、わずかに傾く。


「俺はこんな、衝動のままに動けるような人間じゃ、なかったのに」


 聞いていられない、と思った。エリックは思い切って、レオポルトの手を引いた。彼はバランスを崩して、エリックもろともベッドへと倒れ込む。


「うわ」


 驚く間抜けな声に、かわいいな、と思ってしまった。エリックは邪魔な布団を蹴飛ばして、レオポルトへ抱き着く。


「あなたの方こそ、『それだけ』じゃなさそうですね」


 そう気障に言ってみる。レオポルトが何も返事をしないので、急かすつもりで頬へキスをしてみた。

 まだ無言。レオポルトは呆気に取られた表情で、じっとエリックを見つめている。


「……な、なんとか言ってくださいよ」


 全身が熱い。恥ずかしさで死ぬなら今だ。

 エリックがぼそぼそと呟くと、レオポルトが「そうか」と頷いた。そして身体を起こして、エリックを見下ろす。


「俺はきっと、それだけじゃない」

「は、はい。それは、そうなんでしょうね」


 どぎまぎと頷くと、レオポルトが無表情に言った。


「キスしてみよう」

「は、はぁ!?」


 突然の発言に、エリックの心臓が派手に跳ねる。しかしレオポルトの表情は、至極真面目だった。


「キスしてみよう、エリック。そうしたら、何かが分かる気がする」

「え、ええ……」


 急展開だ。エリックは戸惑って、もじもじと指を絡めた。

 とはいえ、本音を言えば、満更でもなかった。


「はい、しましょう。キス、を……ちゅーって……」


 もったいぶって言うと、レオポルトがまた頭を抱えてうなった。何事かと慌てて身体を起こすと、抱きしめられる。


「エリック」


 掠れて低い声に、どきりと心臓が跳ねた。エリックは目を閉じて、わななく唇をきゅっと閉じた。

 身動きする気配がして、唇に温かいものが触れる。柑橘の香りが、ふわりと残った。

 目を開けると、レオポルトが茫然とした顔をしていた。エリックはといえば、心臓がうるさくて、何も分からない。


「な、何か分かりました?」


 エリックが尋ねると、レオポルトは神妙な顔で頷いた。


「もう一回したい」


 仕方ないので、二人はもう一度キスをした。そして徐々に、唇の合わさる時間が長くなっていく。


「僕、いま、絶対安静なんですよ?」


 エリックがからかうように言うと、レオポルトは「そうだった」と慌てて身体を引こうとする。しかしエリックはそれを引き留めて、自らキスをした。


「でも、こっちの方が、元気が出ます……」


 甘い誘い文句に、レオポルトの喉仏が、大きく上下する。

 やがてエリックはベッドへ沈み、レオポルトがそれを追った。

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