第4話 餌をやる相手
こうして、レオポルトに「軟禁」されるエリックの生活が始まった。
それほど不便でもない、というのが率直な感想だ。もともと机にかじりついてばかりの生活だったし、部屋から出られないところで何も変わらない。
意外だったのは、レオポルトが強引にでも、エリックを外へ連れ出そうとすることだった。
多忙の合間を縫って、わざわざエリックのもとへやってきて、外へ誘う。
「運動不足になるぞ」
そう言って、散歩だとあちこち連れ歩かされる。
おまけに走らされたり、体操をさせられたり、何かと運動をさせられる。
おかげでエリックは、全身の筋肉痛と引き換えに、メキメキと体力をつけていった。
「これから山奥に行くのだ。体力をつけてもらわなければ困る。陛下から許可が下り次第、魔術師たちを連れて出発だ。時間はないぞ」
そういうことだから、エリックは文句を言わず、レオポルトの言いなりになった。
あとは外に連れ出されている間、レオポルトがやたらと距離を詰めるのが、最近の困りごとだ。
「エリック。何か欲しいものはあるか?」
宮殿の、比較的人通りの多い回廊。やたらと顔を近づけて、レオポルトが腰を抱いてくる。耳元で囁かれるともう、甘い声がたまらない。愛人という口実で保護されているため、体面を保つためには仕方ないことは分かっている。とはいえ、完全には割り切れない。
「ま、前にも言ったでしょう……実験で使う魔道具です」
「そうか。他にはないか? お前の望むものは、なんでもそろえてやりたい」
道行く人々は皆、白い目で二人を見ている。これもまた「愛人」の演出として必要なことだ。エリックは、羞恥心とときめきに耐えた。
レオポルトは、エリックが好みというわけではないらしい。が、エリックはレオポルトのことが、はっきり言って、好みだ。だからどぎまぎしてしまうし、うっかりときめいてしまう。
共犯者という罪の意識の共有も、背徳的な欲望を煽った。かりそめの契約関係だと自分に何度も言い聞かせるものの、あの美しい笑みを向けられると、それをころりと忘れてしまう。
悶々とする気持ちを誤魔化すように、そっぽを向いた。
「そんなことより、放っておいてください。研究、いいところだったんです」
ぶつくさ文句を言えるくらいには、レオポルトに気を許していた。レオポルトは鷹揚に笑って、また顔を近づける。
「そう言うな。かわいいお前に、いつだって会いたいのだ」
二人は親密な振る舞いをしながら、宮殿を歩く。
そしてやってきたのは、小さな荒れた庭園だ。ここに来るまでに散々いちゃつかせられて、へとへとに疲れた。エリックは日陰のベンチに座って、ふうと息をつく。レオポルトも隣に座った。人気がそれほどなくて、落ち着きはする。
彼はエリックを衆目へ見せびらかした後、よくここに連れてくる。わざわざこちらまでやってくる人も少ないから、休憩にちょうどいいのだろうか。
等間隔に植えられた低木の枝は、あちこちに飛び出している。花壇の株の種がこぼれたのか、道端のあちこちに鮮やかな花が咲いていた。その雑然とした雰囲気は却って、野原のようでほのぼのとしている。エリックは口に出さないものの、ここが気に入っていた。
春の日差しがさんさんと降り注いで、そよ風が気持ちいい。よく肥えた土と満開の花の、甘い香りがする。エリックは、うっとりと目を細めた。
「まったく。研究、いいところだったんですからね」
レオポルトは嫌な顔もせず、「そう何度も言うな」と受け流す。むしろ楽しそうに見えるのは、エリックの目がときめきで狂っているせいかもしれない。
「肉付きがよくなってきたな」
レオポルトはそう言って、エリックの手を取る。そっと腰を抱いて引き寄せられて、エリックは「えっと」と視線を泳がせた。
青い瞳をちらりと見ると、にこりと微笑みが返ってくる。全てが計算し尽くされているようで、悔しい。
視線を周りへ走らせる。警備に当たる騎士たちが数名、こちらを見ていた。
思い切って、レオポルトへしなだれかかってみる。
「服の上からじゃ、よく分からないでしょう。た……たしかめて、みます? ベッド、で」
ぎこちなくも、反撃してみる。レオポルトは途端にくつくつと喉を鳴らして、口元を覆った。あーっ、とエリックは声を上げる。
「いま、笑いましたね!?」
「笑ってない。かわいいと思っただけだ」
これはいけない。エリックは高鳴る胸を押さえて、レオポルトを軽くにらむ。
エリックは、恋愛に対する免疫がない。だからこんなことでときめいても仕方ない。完全にほだされたことを自覚しているだけ、マシなはずだ。ひそかに言い訳を考えながら、こっそりレオポルトを見つめた。
まさか、自分がこんな、男性といちゃつく真似ができるなんて。それも、こんなに好みどんぴしゃの。
浮かれながらも、頭の片隅ではいつも、辺境へ敷く通信のことを考えていた。
エリックは、あの成果を買われて、レオポルトに引き取られたのだ。
だから今のエリックの存在意義は、あの理論の実現にしかない。
そっと彼を見上げると、レオポルトはにこりと微笑み返してくれた。それにまた、不意にときめく。
「それでは、戻ろうか」
レオポルトが立ち上がり、手を差し出す。その手を取るのにも、随分と慣れた。
「おやおや。随分と仲睦まじいご様子で」
穏やかな庭の中に、嫌味な低い声が響く。レオポルトが警戒するように、視線を庭園の出口へ向けた。
その目線を追う。魔術師のローブをまとった、白髪で痩せぎすの老人が立っていた。手には黒檀の杖。高位の宮廷魔術師のみが所持を許される、儀礼用のものだ。少し腰の曲がった姿勢で、青い瞳で、こちらをにらんでいる。
「エリック・クレーバー。元気そうで何よりだ」
反射的に、エリックの背筋が伸びる。レオポルトから手を離した。何も考えずとも仕込まれた動作で立ち上がり、膝をつく。
首席宮廷魔術師にして、先王の長弟。
「ドミニク閣下」
ドミニクはレオポルトを一瞥して、フンと鼻を鳴らす。レオポルトは、華やかな笑みを浮かべた。
「お久しぶりです、大叔父上」
「お前も元気そうだな。いや、精力旺盛といったところか」
エリックは顎をわずかに上げて、唇を噛んだ。今の言葉は、レオポルトへ向けた嫌味だということくらい、分かる。
ドミニクは嘲るように笑って、歩み寄ってくる。二人の前で立ち止まり、杖でエリックの頭を軽く小突いた。
「やあ、盗人。媚を売る相手を間違えていないか? そいつに尻尾を振っても、尻を掘られるだけだぞ」
エリックは目線だけ上げて、ドミニクの青い瞳をにらみつけた。
「いいえ。間違いありません」
ドミニクは顔をしかめ、地面につけた杖の先を跳ね上げた。
「なんだ、生意気な!」
レオポルトが制止する間もなく、杖の先がエリックの肩を強かに打った。エリックは体勢を崩して地面へ肘をつく。それでも顔を上げ、ドミニクに微笑みかけた。金色の瞳は、太陽の光を爛々と反射している。まるで肉食獣のようだった。
「レオポルト殿下は、私によくしてくださっています。閣下こそ、餌をやる獣は、合っていらっしゃいますか?」
エリックは体勢を直し、肩を払う。そしてドミニクへ視線を戻した。
「さもなければ、噛みつかれます。獣は損得に敏感ですから」
ドミニクが顔を真っ赤にして、杖を振り上げる。しかし振り下ろす前に、レオポルトがその腕を掴んだ。
「大叔父上。肩が痛むでしょう」
そして、背中をさすった。ドミニクはその手を払い落とし、杖で地面を突く。
「ええい、忌々しい」
そして捨て台詞も残さず、彼はその場から立ち去った。後ろ姿が見えなくなって、やっと、エリックの緊張は解けた。
「はっ……」
全身から力が抜ける。無意識に呼吸が浅くなっていたのか、息が苦しい。
ふらふらと立ち上がると、レオポルトが背中をさすってくれた。
「すまない」
どうしてレオポルトが謝るのだろう。エリックは首を傾げて、それから「ありがとうございます」と礼を言った。
レオポルトは目を丸くして、しげしげとエリックを見つめる。
「……なぜ?」
「なぜって。あなたは、僕を助けてくれたでしょうに」
エリックは何故だかおかしくなって、笑った。レオポルトはつられたように笑って、そうか、と呟いた。
「お前は俺が、気持ち悪くなかったか?」
「……なんでですか?」
質問の意図が、まるで分からない。理由を考えようとうんうん唸り始めたエリックに、レオポルトはほっとしたように目を細めた。
「いや。分からないなら、それでいい」
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