011 ロマンテックな願いが溢れたら……
壊れたように赤くて、痛いほどきれいな夕陽が見える。
私はホテルのバーでベルガモットの冷たいカクテルに唇を当てた。ふいにスマホが震える。
「――光一の禊って、そういう事だったのね」
咲子の声は落ち着いていたが、口調に少しの後悔が垣間見れた。
私は通話終了のボタンを押す。
「……会社に辞表を出したそうだけど」
振り返ると陸が立っていた。いつものスーツ姿だった。
「うん。……この後、時間は取れる?」
陸は悲しそうな顔をした。それでもまっすぐに私を見つめる。
「時間ならいくらでも取るよ。今までは君が望まなかっただけだろ?」
陸はふっと微笑んだ。けれど、その瞳の奥には小さな涙の影が揺れていた。
「僕のこれからの時間全部を望んでくれれば、最大限努力するのに」
「……陸」
「部屋を取るよ。ルームナンバーをスマホに送るから、君はそれを飲み終わってから来るといい」
心から陸を愛している。でも、このままでは駄目だ。
誰かを不幸にしての幸せなんて、私には耐えられない。
一人で乗るエレベータは無機質で冷たく、空気さえ淀んでいる気がした。
こんな寂しさが、不倫をしている自分には相応しいと思えた。
部屋に入ると、陸はスーツ姿のまま窓際に立って夜景を見ていた。
「美里? 僕とこうするために辞表を出したの?」
「そうよ。最後に陸のものになりたくて」
陸は私を引き寄せる。
陸が大好きなのに、罪悪感が消えない。この胸は私を抱きしめるためにあるわけではない。
「抱かれたい女は、……こんなに体を強張らせたりしない」
陸と一緒にいると楽しくて幸せだ。
でも、このままだと想いが溢れて自分ではない生き物になってしまいそうで怖かった。
「……私は何の覚悟もなくて、陸のために人を傷つけることさえできない」
「いいよ、君がそんな子だって僕は知っている。人を傷つけるのを躊躇う子だから」
「陸、本当にごめんなさい。私は小さな男の子から貴方を奪う勇気は無いの。――別れましょう」
「それで……別れて、これから僕にどう生きろと言うの?」
「幸せになって。奥さんと子供を幸せにしてあげて」
「残酷で、我が儘だ。でも、それが君だね」
陸は目を細め、私の唇を撫でた。
「美里。君を抱くことはできない。不倫をすることに慣れてほしくないんだ。これからは自分の幸せを求めてほしい」
陸は優しい。それなのに私は意気地が無くて意地悪な女だ。陸を選べないくせに、自分だけを愛してほしいと願っている。
「美里。最後に一分間だけ、僕だけのために生きてほしい」
陸は私を抱きしめ、耳元にキスをした。
「――愛しているよ」
涙が溢れて止まらない。陸を愛している。
「罪は全て僕が引き受けるから」
そう言うと、陸は私の唇に触れた。儚くて優しい、忘れたくないと祈るようなキスだった。
角度を変えるたびに、陸の熱い吐息が触れる。
時間も忘れるようなキスの後、ふと、陸の存在が消え、ドアの閉まる音だけが聞こえた。
瞳を開けると世界はすべて滲んでいて、宝石のように輝く夜景だけに包まれていた。
――無意識に足が向いたのか、気が付くと「月猫楼」の前に立っていた。
からりと乾いた音でドアベルが鳴る。カウンターには理香の姿があった。
振り向きざまに彼女が言う。
「マスター、美里にロマンティックで綺麗なカクテルを。うーんと、お酒が強いのをお願い」
「そうだね」
何も聞かずに受け入れてくれる理香がそこにいてくれるから、私は前を向こうと思った。
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