第17話 急襲
エインゼルを乗せて再び離陸を急ぐルーベンスデルファーの耳に、「その声」は唐突に聞こえてきた。
(殺してやる……殺してやる!)
(ドイツ人、ドイツの飛行機、悪魔の独裁者ヒトラーの手先ども!)
彼の脳へ直接響いてきたのは憎しみの絶叫だった。
「今の声は……」
ルーベンスデルファーが振り仰いだ空の遥か高みに、うっすらと淀みが見えた。
淀みは激しく紫色の電光を放ちながら飛行機の形へ具現化してゆく。液冷エンジン特有の尖った機首と丸みを帯びた翼端はイギリスのハリケーン戦闘機にも似ていたがそれは……
ルーベンスデルファーは思わず叫んだ。
「ヤク1型!」
翼には白い縁取りの赤い星が描かれている。異世界へ召喚された刺客は、ルーベンスデルファーにも見覚えのある機体だった。軽快な動きで多数のドイツ機を翻弄し屠ってきた恐るべき強敵。幾度かロシア戦線で戦った経験のあるルーベンスデルファーは、その手強さを知っていた。
ヤク1型は顕現した途端、墜落するような動きで逆落としに突っ込んできた。標的は言うまでもなく……
「ルーベンスデルファー、あれは……?」
「敵だ! エインゼル、しっかり掴まっていろ!」
ルーベンスデルファーはエンジンを全開にし、愛機を滑走路に走らせ始めた。地上にいる離陸前の戦闘機は、反撃することも攻撃をかわすことも出来ない、いい標的なのである。
(ドイツの悪魔! 逃がすものか!)
こいつを殺せるなら地上に激突するのも構わない……というほどの意気込みでロシア戦闘機は躍り掛かった。急降下から翼を一転させると機首を引き上げ、懸命に地上を滑走するルーベンスデルファー機を捕捉する。
地上にいる基地の兵士達は固唾を呑んで、異世界の戦闘機の襲撃にルーベンスデルファーが為す術もなく撃墜されてしまうのかと見守っていた。
後部席のエインゼルはもう生きた心地がしなかった。
背後から凄まじい殺気と共に敵機が間近に迫って来る。操縦席のパイロットが見えたが、一目で悪魔に魂を売った幽鬼だと分かった。白百合のように可憐な顔の少女だが、悪魔のような薄ら笑いを浮かべている。
(ふふふ、捉えたわ……死ね!!)
エインゼルが思わず「ルーベンスデルファー!」と悲鳴をあげた……まさにその瞬間だった。
ルーベンスデルファーはスロットルを落とし、思い切りブレーキを踏み込んだのである。
メッサーシュミットは減速しつんのめるように機体の尾部が持ち上がったが、かろうじて踏みとどまった。進路上に幾筋もの火柱が突き立つ。敵機の地上掃射を寸前でやり過ごしたのだ。
エインゼルが見上げたすぐ上を緑の迷彩を施した戦闘機が通り過ぎていった。エンジンの獰猛な金属音が耳をつんざく。歯ぎしりして悔しがるさっきの少女の姿が見えるようだった。
そして……それを待ち構えていたようにルーベンスデルファーが再びスロットルを上げた。急激に速度が上がる。
飛翔する力を得たと感じた彼はそのまま離陸し、やり過ごしたロシア戦闘機を背後から捉えた。地上から見守っていたセント・ラースローの兵士達から「おお!」と、どよめきがあがる。
(こいつ、小賢しい真似を!)
背後を振り返ったロシア機パイロットの魔少女リディアは、追従するルーベンスデルファー機を鬼の形相で睨みつけた。
だが、ロシアの撃墜王と謳われた少女は、ルーベンスデルファーが自分を照準器に捉える前に操縦桿を右に倒すや、フットバーの左を蹴る。
するとリディアの戦闘機は魔法でも使ったように横滑りし、ルーベンスデルファーの銃撃を難なくかわしたのだった。
「こいつ、かなりの手練れだぞ!」
その動きにルーベンスデルファーは驚きの声を上げる。彼は対峙して相手が何者か知らなかったが、自分より凄腕のパイロットだと瞬時に察した。
ロシア機は大きく旋回して再びルーベンスデルファー機の背後を取ろうとしている。エンジンを二基積んだメッサーシュミットBF-110は、エンジンが一基の単発機ヤク1型よりもスピードこそ速いが、動きは鈍重なのだ。互いの背後を取り合う格闘戦に持ち込まれたら敵わない。
「やっかいな奴が出てきた……」
ルーベンスデルファーはこのまま相手と戦っても不利だと感じた。そのままスピードを上げ、その場を離れる。大きく旋回したロシア機は少しづつ引き離されながら、なおもルーベンスデルファーを執念深く追尾し続けていた。
エインゼルは不安そうに後ろを見やった。
「どこの飛行機なのでしょう……物凄い憎しみを感じました」
「ロシア。ドイツと戦争している東の大国だ。パイロットはきっと家族か誰か……大切な人を殺されてドイツを憎んでいるのだろう。俺と同じように……」
「……」
「もっとも、ロシア軍はもうドイツの首都ベルリンへ攻め込んでいる。あんな奴等がやることだ。ベルリンの街中はもう目も当てられない惨状だろう……」
エインゼルは、旅に出た最初の晩にドイツの話を聞きたがった自分へルーベンスデルファーが「楽しい話じゃない」と口を噤んだことを思いだした。
「相手よりこちらが速度で優っている。無駄に戦うよりこのまま相手を撒いて……」
そこまで言いかけたルーベンスデルファーは前方を見て目を見開き「シャイセ(くそっ)」と、つぶやいた。
「どうしたのです? ルーベンスデ……」
何事かと彼の視線の先を見たエインゼルは思わず口を手で覆った。
前方に二〇近い黒点が整然と並んでいる。国境の先に位置するゾルアディウスの戦闘機隊だ。古色然とした複葉機で、以前セント・ラースロー帝国の戦闘機隊をいなしたように普通なら逃げることが出来る相手だった。
だが、今は背後にロシア戦闘機がいる。
挟み撃ちを避けようと旋回すれば、そこを突いて彼女は襲って来るに違いない。
「嵌められた。そういう作戦だったのか……」
この挟み撃ちがランスロット皇子の略奪妃アリストゥスの仕掛けた罠だと彼は知る由もなかったが……
(このままでは狩られる)
ルーベンスデルファーは唇を噛んだ。
「エインゼル」
震えるエインゼルを気遣う余裕もなく、ルーベンスデルファーは厳しい声で命じた。
「頭を低くしていろ!」
ルーベンスデルファー機はスロットルを最大にあげた。最高速でゾルアディウスの戦闘機編隊のど真ん中を強行突破するしかないと即断したのだ。
後部席のエインゼルは震えながら祈った。
(ロゼリア様、どうか私たちをお守り下さい)
(フェリーリラへ水を届けるために……)
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