第17話 禁断の2重契約
ベッドの上の紗夜先生は、うわ言のように話し始めた。
「種子島がね...嫌いだったの...」
「先生?」
「生まれた時から...この能力のせいで...」
汗を拭きながら、俺は黙って聞いていた。
月明かりが、紗夜先生の銀髪を照らす。汗で濡れた肌が、妖しく光っている。苦しそうに眉を寄せ、時折小さく呻く姿は、病んでいるはずなのに、どこか扇情的で——
俺は慌てて視線を逸らす。看病に来たのに、何を考えているんだ。
「サキュバスの能力...協会のために働く運命...」
「島から離れても...協会のエナジーがないと...生きていけない...」
紗夜先生の手を握る。火照って明らかに暑い。
「縛られた人生...選択肢なんて...最初からなかった...」
涙が頬を伝う。
その時——
部屋の空気が、急激に変わった。
月光が一瞬陰り、紗夜先生の髪が変化し始めていた。
銀色だった髪に、紫の光が走る。まるで生き物のように、髪がゆらゆらと動き始める。閉じていた瞳が開き、深い紫色の光を放つ。
瞳孔が、縦に細くなっていく。人間のものではない、獣のような——いや、もっと別の何かの瞳。
唇が赤く染まり、牙のようなものが見え隠れする。
背中から、黒紫の靄のようなものが立ち上り、それは徐々に翼の形を取っていく。
サキュバスモード。でも、最初に見た変身とは違う。これは——制御を失った、本能だけの獣のような——
紗夜先生がベッドから身を起こす。四つん這いになって、獲物を狙う獣のように俺に近づいてくる。髪が逆立ち、爪が伸びている。
「陽太...くん...」
低い、掠れた声。人間のものとは思えない響き。
瞬間、紗夜先生が俺の腕を掴む。爪が食い込んで、痛みが走る。
「あなたの精気が...欲しい...」
顔が近づく。紫の瞳が、俺を飲み込もうとしている。
でも、次の瞬間——
「っ...!」
紗夜先生の表情が歪む。自分の頭を両手で押さえ、必死に何かと戦っているような——
右手で顔の半分を覆い隠す。指の隙間から、片方の瞳だけが見える。左目は人間の黒い瞳に戻っているが、右目は紫色に光ったまま。
「ダメ...逃げて...」
震える声で俺を押しのける。でも、体は俺を求めて前に出ようとする。まるで、二つの意志が一つの体の中で戦っているような——
「あなた...二重契約したら...死んじゃう...」
「な、なぜですか?」
「普通の人間なら、二人分のサキュバスに精気を吸われたら耐えられない。まして、暴走状態なら——」
——死ぬかもしれない。
その言葉が、重く圧し掛かる。
はるかとの契約だけでも、時々ふらつくことがある。それが二人分、しかも暴走状態となれば——
でも、目の前で紗夜先生が苦しんでいる。
体を丸めて、震えている。獣の本能と、人間の理性が戦っている。このままでは、彼女の精神が壊れてしまうかもしれない。
紗夜先生が再び呻く。今度は完全に獣の声だ。もう、限界が近い。
「関係ないです!」
俺は紗夜先生の手を握り返した。
「先生も、助けたい」
「バカ...なこと言わないで...」
「俺が決めたことです」
紗夜先生の顔を両手で包む。熱い。でも、どこか儚い。
「いいんです。俺は——」
言葉を言い終える前に、紗夜先生が俺の首に腕を回してきた。
唇が重なった。
はるかとは、全く違う感触だった。
はるかのキスは、甘くて優しい。時に激しくても、どこか幼さが残っている。
でも、紗夜先生のキスは——
大人の女性の柔らかさ。唇には艶やかな潤いがあって、吸い付くような感触。舌が絡んでくる動きも、慣れていないはずなのに、本能的に俺を捕らえようとしている。
甘い香りの中に、微かに危険な香りが混じる。それは成熟した女性の色香でもあった。
精気が吸い出されていく。激流のように、体の奥から何かが引き抜かれていく。
意識が遠のく。でも、離れられない。紗夜先生の腕が、俺をしっかりと捕らえている。
突然左手首が熱くなる。見ると、複雑な幾何学模様の刻印が浮かび上がっていく。右手首のはるかの刻印とは違う、より精緻な文様。
精気が吸い出されていく。でも、不思議と苦しくない。むしろ、紗夜先生に流れ込んでいく感覚が分かる。
彼女の苦しみ、孤独、そして——ほんの少しの安らぎ。
「これで...あなたも私の契約者...」
紗夜先生がそう呟いて、俺の意識は闇に落ちていった。
最後に見えたのは、安らかな表情で微笑む紗夜先生の顔だった。
【お礼】
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