第14話 紗夜の部屋へ招待されて...

 夜8時過ぎ。俺は夕飯の材料を買いに、近所のスーパーへ来ていた。


 野菜売り場で玉ねぎと人参を選んでいる。俺は基本的に全て自炊する。一人暮らしを始めてから、お惣菜は買わないと決めていた。節約のためもあるが、料理は意外と好きだったりする。


 レジに向かおうとした時、お惣菜コーナーが妙に騒がしいことに気づいた。


 店員が半額シールを貼り始めたらしく、人だかりができている。その中に、見覚えのある銀髪を見つけた。


「紗夜先生...?」


 ジャージにサンダル、髪も適当にまとめただけの姿。学校での凛とした雰囲気とは別人のようだ。必死に弁当を選んでいる。


「あ...」


 目が合った。紗夜先生の顔が見る見る青ざめる。


「な、なんであなたがここに!?」


 慌てて籠を背中に隠そうとする。


「このスーパーなら学校から遠いし、生徒は来ないと思ったのに...」


 ぶつぶつと呟きながら、逃げるように移動しようとする。でも、籠が重すぎてよろめいた。


 中身が見えてしまう。半額シールの弁当が5個、見切り品の野菜、特売のカップラーメン10個入りが3袋。


「先生、これ全部...」


「見ないで!」


 顔を真っ赤にして叫ぶ。


「あなたには関係ないでしょう!」


 必死に籠を持ち上げようとするが、重すぎて持ち上がらない。


「手伝います」


「いらない!」


「でも、このままじゃ...」


 案の定、バランスを崩してよろけた。俺は慌てて籠を支える。


「...ありがとう」


 小さな声で呟く。プライドと現実の板挟みになっているようだ。


 ***


 結局、荷物を運ぶことになった。紗夜先生のアパートは古い建物の2階だった。


 部屋に入って息を呑む。1Kの狭い部屋に、必要最低限の物しかない。小さなテーブル、布団、教科書の山。それだけだ。


「貧乏なのよ。笑いたければ笑えば?」


 投げやりな口調で言う。


「笑いませんよ」


「...私、施設育ちなの。弟もいて、学費を稼がないと」


 急に打ち明けられて戸惑う。


「じゃあ、俺は——」


 帰ろうとした瞬間。


「ギャーーー!」


 紗夜先生の絶叫。黒い影が壁を這っている。


「ゴキブリ!いやー!」


 次の瞬間、紗夜先生が俺に飛びついてきた。


 ボフッ!


 また顔が胸に——柔らかい感触、甘い香り、温もり。全てが一気に押し寄せてくる。


(やばい、やばい、やばい!)


 顔が熱くなる。心臓がバクバクする。こんなに密着されたら——


「ん、んー!」


 でも同時に息ができない。必死にもがく。


 バタン!


 暴れた拍子に、テーブルの弁当が全部床に落ちた。


 ***


 ゴキブリを追い払った後、紗夜先生は散乱した弁当を見て泣きそうな顔をした。


「今日の晩ご飯が...明日の朝ご飯も...」


「袋麺ありますよね?」


 俺は台所を確認する。案の定、袋麺が大量にストックされていた。


「それで何か作ります」


 野菜を細かく刻む。袋麺を茹でながら、別のフライパンで野菜を炒める。麺が茹で上がる直前に溶き卵を流し入れ、半熟状態で火を止める。炒めた野菜を乗せ、最後に刻みネギとごま油を垂らす。


「野菜たっぷり半熟卵の特製ラーメンです」


 さらに、余った野菜で即席の浅漬けも作った。


「すごい...本当に美味しそう」


 紗夜先生が目を輝かせる。一口食べて、表情が緩んだ。


「美味しい...袋麺なのにこんな美味しいラーメン、初めて」


 ずるずる一気に麺を勢いよく啜る姿は、学校での姿とは全く違う。なんだか、可愛い。


 ***


 食後、紗夜先生が真剣な表情で俺を見つめた。


「本気で私と契約し直さない?」


「...」


「あの子の力は危険すぎる。このままじゃ——」


「でも、はるかを裏切ることはできません」


「私なら、もっと上手く——」


「先生」


 俺は紗夜先生の目を真っ直ぐ見る。


「最初はちょっと誤解したけど、先生は悪い人じゃない。でも、はるかを捨てて先生を選ぶなんて、できません」



「そうよね...わかったわ。もう11時ね。帰りなさい」


 立ち上がろうとして、また口を開く。


「今日は...ありがとう」


 ドアの前まで見送ってくれた。なんだか、もう少し一緒にいたい気持ちになる。でも——


「おやすみなさい、先生」


「...おやすみ」


 ドアが閉まる音が、妙に寂しく響いた。


 ***


「結城くん、荷物運び手伝って」


 放課後、紗夜先生がプリントの山を抱えていた。


「はいはい」


 自然に荷物を受け取る。なんだか、距離が縮まった気がする。


「昨日のラーメン、また作ったの」


「え?」


「美味しかったから、朝も作ってみた。少し失敗したけど」


 照れくさそうに笑う。


「コツを教えますよ。野菜を炒める時は——」


 料理の話で盛り上がる。紗夜先生が楽しそうに笑った。


 ***





 廊下の角で、はるかは息を潜めていた。


 陽太と紗夜先生が、とても楽しそうに話している。二人の距離が近い。親密な雰囲気。


 ——なんで、あんなに楽しそうなの?


 胸が締め付けられる。昨日まで、陽太は自分だけのものだと思っていたのに。


 紗夜先生が何か冗談を言ったらしく、陽太が声を出して笑った。


 ——私といる時より、楽しそう...


 プツン。


 何かが切れる音が、確かに聞こえた。


「陽太くん」


 気づいた時には、陽太の腕を掴んでいた。強く。痛いくらいに。


「は、はるか?」


 驚く陽太を無理やり引っ張る。階段を降り、人気のない物置部屋へ。


 薄暗い空間。掃除用具の匂い。外の世界から切り離された場所。


 ——さっきの笑顔が、頭から離れない。


「はるか、どうし——」


 言葉を最後まで言わせない。唇を奪う。


 いつもとは違う。優しいキスじゃない。激しく、荒々しく、全てを奪うように。


 精気を吸い出す。もっと。もっと。全部私のものにしたい。


 ——紗夜先生なんかに渡さない。


 陽太が苦しそうに呻く。でも離さない。離したくない。


 ——私だけを見て。私だけのものになって。


 涙が零れる。自分でも、なぜ泣いているのか分からない。


 嫉妬。不安。怒り。悲しみ。全ての感情が混ざり合って、制御できない。


 ——これじゃダメだ。分かってる。


 でも、止められない。


 嫉妬の炎が、はるかの心を焼き尽くしていく...



【お礼】


 ここまでお読みくださった方、本当にありがとうございます。


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 これからも続けていけるよう、頑張っていきます。どうぞよろしくお願いします!

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