笑わぬ皇女と星渡る侍女

椎名 奈々

第1話 星を渡った女子高生

 これは、とある皇女さまが「女神」から「ただの女の子」に戻るまでの物語。

 その物語のそばには、星渡るひとりの少女がいました。





 たった一段、駅構内を下る階段を踏み外しただけだった。

 うわ、やばっ。

 脳内で、そんな声が漏れる。

 足先が宙に浮いたまま、頭の中に最悪のシナリオが浮かぶ。

 ——捻挫?骨折?それとも、頭を打って死ぬ?

 そう思って、反射的にぎゅっと目を瞑る。


「ーー…いたく、ない…?」


 どこにも痛みがないことを不審に思って、しばらくしてからそっと瞼を持ち上げる。


 視界に入ってきたのは一面の青だった。


 絨毯のような、果てが見えないほどに咲き誇るネモフィラのような美しい花と、私の顔を覗き込む、大きな青色の瞳。長い銀色の髪が、ふわりと風に舞う。

 陽の光を受けてキラキラと輝いて見えさえするそれは、小さな星を散らしたようだった。


「……天使?」


 漏れた言葉に、天使のような女の子はふふっと小さく笑う。小学1年生くらいだろうか、無邪気で、屈託のないとても可愛らしい女の子。


「いらっしゃい、星渡りのお客さま」


 これが皇女セレスティアと、私、瀬戸真理恵との出会いだった。



***


「(天国、では無さそうだけど、私にとってはほぼ同義だわ…)」


 駅の階段でつまずいたあの日から数日、私は王宮に「貴賓」として保護されていた。




 ここ、ルミエステ帝国。

 日本とは全く異なる、中世ヨーロッパ風の異世界。死んで天国に行く代わりに、私は異世界にやってきたらしい。

 異世界らしく、当然のように魔法という概念が存在し、国の全てのエネルギーは魔力で賄われている。



 天使のような女の子の名前は、セレスティア・ルミエステ。

 この帝国の皇女で、私が突然現れたのは彼女が愛してやまない皇女宮の庭園だった。

 最初こそ不審者として投獄されそうになったが(当然だ)、セレスティアの「星渡りの乙女よ」という一言で一転、囚人から国家レベルのお客様待遇に成り代わってしまった。

 両親と3人で住む一軒家がまるっと収まってしまいそうな広い部屋を皇女宮の中に与えられ、毎日ホテルのフルコースかと思うような食事を提供され、童話のお姫様が着るようなレースとリボンをあしらったプリンセスラインのドレスを着せてもらっている。素人でも分かる、とても良い生地で、レースの刺繍もとんでもなく繊細で。

 平凡な庶民の女子高生だった私にとっては、毎日が非日常だ。



 コンコンっ、と軽くノックの音がした。

 ひょこっとセレスティアが顔を出す。

 殿下、とか皇女様、とか呼ぼうとしたら「止めて」と怒られてしまった。ので、愛称として「セティ」と呼ばせてもらっている。


「兄様が帰っていらっしゃったから、挨拶したいんですって」

「兄様……って、皇太子殿下?」

「そうよ?」


 何驚いてるの?と言いたげなセティ。

 庶民は皇太子殿下においそれと謁見出来たりしないのだけれど。



 数ヶ月前から魔物討伐の遠征に出ていたらしく、まだ顔を合わせたことはない。

 セレスティアの両親である皇帝夫妻にもこの国に来てすぐ一度だけ謁見したが、「セレスティアが決めたことなら問題ないだろう」とサラッと私の滞在を受け入れた。


 どうやら、この国の中でのセレスティアの決定権はかなり大きいらしい。

 見た目小学生の女の子なんだけどな。


 こうして、心の準備も禄に出来ないまま、私は皇太子アレシオ・ルミエステと対面することになったのだった。

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