治療行為

 それはおぞましさを覚えずにはいられないちぐはぐの声を無理矢理縫合したような、つぎはぎだらけの不快な三重奏であった。

『『『カなえとあかシとたカしといっしょに‼‼』』』

「!」

 その声に対して最も早く反応を示したのはアンリであった。

 驚きながらも顔を向け、その漆黒の瞳と黄金の瞳で情報収集を開始する。

(瀕死であったはずのアークノアが三体同時に再始動した? まだ隠している能力があったというのですか?)

 いや、それはないとアンリは自らの思考を即座に否定する。

(あの3人のレプリカントの異能は分析済み。そのような能力がない事は戦闘の際、十二分に演算を繰り返して導き出した答えなので、間違いはないはず――ならば外部の異能によるもの?)

 アンリの黄金の目は忙しなく動き、幾つもの情報を統合し、一つの答えを形成していく。

『『『アおアああアあアああ‼』』』

(あの絶叫からして明らかにまともではない精神状態です。三人が同時にこのような錯乱状態になるのは偶然なのはあり得ません。なんらかの精神干渉の異能が絡んでいると見ていい)

 アンリは周囲への観察を終え、今度は空の一点を睨み付ける。

(周辺に敵はなし。感知できる敵は遠距離に二体。一体はソリッドの防御を貫通したあの攻撃を見る限り、クレイドルの最高幹部のあの『土星』と見て間違いありません。ならばもう一人は臆病な直人と見ていいでしょう)

 『土星』と直人がどういう訳か義兄弟という奇妙な協力関係である情報を事前に収集してたアンリは自らの仮説に確信を得る。

(ではやはり錯乱は直人の異能によるもの? ですが今の彼等を支配して動かした所で、精神に負荷をかけるだけで戦闘続行は不可能なのは明らか……駄目で元々のつもりで行ったというのですか?)

 いやそれもないとアンリは自らの思考を再度切り捨てる。

(直人だけであればまだしも、あの自他共に認める狩人である『土星』がそのような無駄な行動を行うとは考えにくい――ならば3人の精神に強大な負荷をかけるのが、彼等の目的であると見た方が良いですわ)

 そしてそれにより敵が何を引き起こそうとしているのかを、アンリの聡明な頭脳は正確に導き出した。

(まさか――敵の狙いはアークノアの『暴走』とでも言うのですか?)

『『『オおオおおおオオオおお‼』』』

 彼女の予測の証左を示すように、絶叫の三重奏をあげたと同時に、瀕死となっていたアークノアの一体――薄桃色のアークノアが真紅の輝きを放ち始める。

(……やられました)

 その変化……否、変異が何なのかをアンリは知っていた。

 血の如き赤い輝きを放つ薄桃色のアークノア。その中枢に無数の皸が入る。

 皸割れた中から伸びた糸のような細い繊維が一瞬で大量に溢れ出すと、それらは薄桃のアークノアとその傍らにいた二体の鋼の巨人を包み込み、巨大な繭を形成した。

(同じです……

 何もかも知っている。

 決して忘れることの出来ない罪の記憶。

 その始まりと目の前の光景は酷似していた。

「馬鹿な事を……これは直人ではなくあなたの仕業ですね『土星』!」

 既にこれが誰による策略であるのかさえも見極めたアンリは舌打ちをしそうな勢いで憎たらしそうに吐き捨てる。

 だが彼女に出来るのはそこまでであった。

 全てを見極める事が出来る慧眼。

 そしてそれらで得た情報で適切な答えを導き出す聡明な頭脳をアンリは持ち合わせている。

 だが、これから始まる地獄の顕現を止める術を彼女は持たない。

(……また主様に頼るしかありませんわね)

 己の無力を恥じながらも、事は一刻を争うという事を理解しているアンリは迅速に行動を開始した。

「一体、何が起ころうとしているんですかアンリ⁉」

「明らかに尋常じゃない様子ね」

「……その問いに答える前に先程の問いに答えさせていただきます」

 アンリは困惑する女神達に目を向けながら、ぱちりと指を鳴らした。するとその行動がトリガーとなっていたのか、再び結界内の時間を一時的に隔絶し、停滞が始まった。

「先程のノルン様からの問い――どうして主様の目が私の目と入れ替わっているのか――それは必要だったからですわ」

「必要だった――ですか? なんの為に?」

「レプリカントと戦うため……正確に言えば、その最終到達点である『暴走体』と戦うためですわ」

「『暴走体』なんですかそれは?」

「あれです」

 女神達の眼光を真っ向から受け止めたばかりか、逆に力強い意思を込めた両の眼でアンリは見つめ返すと、三体のアークノアを取り込んだ繭を指差した。

「今正に我々の目の前で起ころうと変異を始めているあの存在こそが『暴走体』……それに至る為の『暴走』の過程の第一段階です」

「『暴走』?」

「はい。魂や異能に詳しいお二方からこの世界からレプリカントに与えられる異能とアークノアの|恩恵〈ギフト〉の事を聞いた時、どう思われましたか?」

「……単純に馬鹿じゃないかって思ったわね」

「右に同じです。明らかに人に与えていい恩恵の範疇を超えています――本来世界の意思はその世界の秩序を守るはずなのに、どうしてこの世界の意思はそのような馬鹿げた行動をとっているのですか?」

この世界の意思は少々特殊なので――その話は追々していくとして、今はレプリカントの話です――女神様達の見立て通り、この世界がレプリカント達に与えている恩恵は異常にして過剰――なので当然のように問題が発生します」

 アンリは結界の外にある繭を指差した。

「ノルン様の言葉をお借りするなら人には過ぎた力を与えられた彼等は、いずれ与えられた『恩恵』の制御がきかなくなり、魂が『恩恵』に乗っ取られてしまうのです」

「魂が『恩恵』に乗っ取られる?」

「はい。そして始まるのは魂と『恩恵』の完全同化――我々の世界ではこれを『暴走』と呼んでいます……今、あの薄桃色のアークノアに起こっている現象が正にその『暴走』の第一段階です」

 「ちなみに」とアンリは心底辟易するように溜息を一つつく。

「――信じられない話かもしれませんが、今私達の目の前で起きている事は別に珍しい事ではないのです。レプリカントの『暴走』は人がいずれ死を迎える事と同じように、避ける事の出来ない結末……なので、この世界でレプリカントは例外なくあのような現象を引き起こします」

「……あれが、珍しい事ではない?」

「……どんだけやばいんですかこの世界は」

 結界外で起ころうとしている尋常ならざる事態がこの世界では日常茶飯事であると知らされた女神達は唖然とする。

「今は時間が停滞しているから余裕を持って話せていますが、本来はあの繭が形成すると、物の数分で中から『暴走体』が出現してきます……理性を失い、己の欲望の赴くままにこの世界に災厄を齎す正真正銘の化け物が」

「そ、そんな事が日常的に起こっていて、この世界は大丈夫なのですか?」

「勿論大丈夫ではありませんわ。レプリカントの『暴走体』はこの世界の並の者では太刀打ちできない程の規則外の戦闘力を持った存在――対抗出来るのはアークノアを所持する同じレプリカントぐらいのもの――この世界が彼等の物となったのは、単純な戦闘力以外にもレプリカントの抑止力になれるのは、同じレプリカントしかいないという理由もあるのです」

「でもその日常的に発生する災厄の元もレプリカントなんですよね? そんなの何時まで経っても堂々巡りじゃないですか!」

「はい。主様のいた世界の言葉で言うなら、この世界マジで詰んでますわ」

 言いながらアンリは今だ意識を失ったままの和に歩み寄り、そっと跪いた。

「この世界の現状を知り、憂えられた主様は、レプリカント達に対抗しうる力を欲されました。ですがそれは人には過ぎた力――だから半分だけ人を捨てられたのです……

「いや、ちょっと待って下さい!」

「今とんでもない事をさらりと言ったわよあんた⁉」

 どう見ても人にしか見えない少女の突然の人外宣言に女神達が震撼した。

「アンリ。あなた人間ではないのですか?」

「はい。私もキイラと同じ魔人――連合国家クレイドルのとあるプロジェクトによって魔物と融合させられた改造人間なのです」

「キイラがあんたの事を姉様って呼んでたのってそういう意味だったのね……」

「私も納得です――道理でそんな人並み外れた美貌を持っているわけです」

「いや、あんたは何処に納得しているのよ」

「私にとっては和さんの傍にいる女性なんで死活問題なんですよディアン。美を司る女神である私を超える美貌を持つアンリに敗北感を覚えていた私ですが、改造によって整えられたのであれば私は敗北者ではなかったという事になります」

「あ、この顔は特に改造のない自前ですわ」

「くそが‼」

「ぼろが出てるわよ運命の駄女神。私の知り合いにいる美の女神は間違ってもそんな言葉吐かないわ」

 変わらず敗北者であったノルンにディアンケトの冷静な指摘が入るが。

「っていうかぱっと見ても、全然改造人間って分からないのですが⁉ キイラちゃんのケモミミみたいに見た目で分かる改造人間要素をくださいよ!」

「すごいイチャモンの付け方ねあんた……とりあえず文句を言いたい魂胆が透けて見えるわよ」

「ディアンうるさい!」

 ノルンはディアンを睨み付けて黙らせる。

「申し訳ありません」

 そんなノルンにアンリは律儀に頭を下げる。

「キイラが魔人になって得たのは人並み外れた身体能力と変身能力で外面に特徴が分かりやすく出やすいのですが、私が魔人になって得たのは高速思考能力と無限の魔力という内面的なものなので、外見は一般的な人間とあまり変わらないのです」

「……すみませんディアン。あのパッキン自前美少女、またさらりととんでもない事をカミングアウトしませんでしたか?」

「高速思考する魔力無限大な人間はどう考えても一般人じゃないわね」

 やや白い目で自分の事を見ている女神達の視線は一切気にせず、金髪の少女は気を失っている和を抱き起こした。

「私の事はまた追々話します。今重要なのは主様が魔人である私と互いの目の交換を行う事で、魂レベルの同化をしている事ですわ――勿論主様の合意の元に」

「……へ、へぇ。それは大したものですが、残念でしたね。和さんが合意の元の魂の同化をした初めての女は私です……つまり、残念ながらあなたは二人目の女で間女という事になりますね」

「何で変な対抗意識を燃やしているのよあんたは。後、あんたの同化は合意じゃなくて不慮の事故みたいなものじゃない」

「ちょっとはマウントを取らせて下さい! 敗北しすぎて色々限界なんですよ! 泣きますよこらぁ!」

「まじで涙目になってるわね、この駄女神」

 本当に瞳を潤ませるノルンに、ディアンは呆れながら溜息を吐いた。

「勿論承知していますわ――何を隠そうノルン様の魂の欠片が主様の中にあったお陰で、主様の異能の改造が可能となったのですから――ノルン様には感謝しても仕切れませんわ」

「……ちょっと待って下さい」

 アンリの言葉を聞いたノルンは、途端に顔面を蒼白にした。

「和さんの異能が改造されているのには何か絡繰りがあるとは思っていましたが――え? 和さんの中にあった私の魂の欠片を利用したんですか?」

「利用とは人聞きが悪いですわ。只主様と同化した際に私の魂に取り込み、それを活用させてもらっただけです」

「わあぁ」

 ついに限界を迎えたのか、ノルンの涙腺は崩壊し、涙が流れ始めた。

「……ノルン様、泣き始めちゃった」

「そっとしてあげなさいキイラ。只でさえ負け続けた挙げ句、自分だけの唯一の無二のアイデンティティまで強奪されて完全無欠な敗北者に成り下がったのだから、色々限界を迎えたのよ」

「敗北者? ディアン! 取り消して下さい今の言葉!」 

「別に取り消してもいいけど……それよりノルン、私が聞いていた話では和の中にあるあんたの魂の欠片は大した影響を与えない筈じゃなかったの? どう考えても影響を与えまくってない」

「そのはずです! オッチャンのお墨付きでもあるので本来は不可能なはずなんですけど――」

 ノルンは警戒した目でアンリを見た。

「この少女がそれだけ規則外な存在であるということです」

「主様のパートナーですので」

「くそ! 和さんのパートナーなら仕方ない!」

「いや、なんでその理屈で納得してるのよあんたは」

 掌を返したように訳知り顔で頷くノルンに、冷静なディアンケトのツッコミが入る。

「それに取り扱い説明書も異能に付属していましたので、概要はすぐに分かりましたわ」

 言いながらアンリが目を向けたのは先程地面に置いた物――魔物カードなる物を挟んでいた真紅の本であった。

「主様にしか見えない仕様でしたが、魂が同化している為か私にも読めましたので主様の異能を理解する手間が大幅に省けたので助かりました――内容は全て記憶しましたので、今は改造を施して、主様を補助するオリジナルの神器として活用させてもらっていますわ」

「道理でその本に見覚えがあるはずです! 私が和さんの為に作った取り扱い説明書を改造した物だったんですね! ふざけんじゃねぇですよ‼」

 ノルンは自らが先程感じていた既視感の正体に合点がいき、憤慨する。

「……ねえノルン。言いたくないんだけど、あんたの作った神器、物の見事に悉く悪用されていない?」

「私が半分ぐらい悪いのは認めますが、もう半分はどう考えてもこのやべえ金髪女のせいです! 私が作った異能をどんだけ改造したら気が済むんですか! っていうか、煽りですか! 今更ですがどうしてこの危機的状況でわざわざ説明なんか始めたんですか!」

「理由は先程ソドムの説明をした時と同じですわ」

「さっき? ああ、これから起こる地獄のダメージを少しでも減らす為――でしたか?」

「いやでもさっきと違って和は今気絶中だから、地獄なんて見せようがないんじゃない?」

「はい。今回お二人にある意味で地獄をお見せするのは私ですわ」

「……どう考えても、やばい事が起こる予感しかしないのですが?」

「奇遇ねノルン。私もよ」

 ここまでの言動とアンリが行った神器改造の実績を鑑みて、彼女が起こそうとしている地獄が間違いなく自分達の精神にダメージを与えてくるものである事を確信した女神達は思わず身構える。

 それを見たアンリは満足そうに頷くと、



「先に断りをいれておきますが、これはあくまで治療行為ですので、お許し下さい」



 そう言い、抱えた和の唇に自らのそれを合わせた。

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