ケモ耳幼女キイラ 後編
「もう目を開けても大丈夫だよ」
「……え?」
キイラちゃんの言葉に従い、瞼を開くと信じられない事にこちらに迫っていたあの巨大な手はなくなっていた。
「え? えぇ?」
「一体、何がどうなっているの?」
かわりに私とディアンの目にうつったのはそびえ立つ巨大な壁であった。
夕暮れ時特有のオレンジの陽光が目の前の純白の壁を照らしていた。
「移動、したんですか?」
「屋外よね……ここ」
突然場所変わったとしか言いようのない現象に、私とディアンが落ち着きなく周囲を見回す。
広く、強大な平野を取り囲むように巨大な白い壁が四方に立っている。
先程まで感じていた地下特有の閉塞感はなく、何処からか吹いた新鮮な風が私の髪を撫でた。
どう見ても人が生活する用途で作られた場所ではない。目につく建物も向かい側の壁に寄り添うように建てられた五階建ての建物が一つのみで、それもまた生活の営みを行うための機能は排除したような何処か無機質な建物であった。
草木が一つもない不毛の大地を一切の凹凸のない巨大な純白の壁が取り囲んだこの場は、異様であるのに何処か既視感があった。
「ここはラタトスクの第二収集所」
キイラちゃんの言葉に私は既視感の正体に気が付いた。
和人さんがいた世界で何度か見た収容所。
そこにここは酷似していたのだ。
「本来は国中の罪人を収容する場所だったけど、唐沢 直人がこの国の王になってからは、罪人なんて出なくなったから今はレプリカントを収集する場所として使われている……壁が大きいのも、レプリカントがアークノアを出しても簡単に逃げられないようにする為」
「……アークノア」
先程ちらりと見えた巨大な手の光景が頭に浮かぶ。そりゃあ、あんなものを出す事の出来る相手の逃走を阻止しようとすれば、これぐらい巨大な壁も必要になるかと私は納得した。
いやそれも気になるのが、もっと気になるのはキイラちゃんが言っていた罪人関連の事だ。
「キイラちゃん。罪人が出なくなったって言うのはやはり――」
「……うん。この国の国民全員が、あの人の支配の異能の支配下に置かれたから」
「……どこまでも腐ってますね」
そう言わずにはいられない。先程私達や赤司少年達にやったように自らの異能を誰彼構わずに使っている事実に、嫌悪感しか湧かない。
「そりゃあ、罪人なんて出るわけありませんよね……」
なりたくてもなれないのだ。この国の国民全員があの男の命令を聞くだけの人形にされてしまっているのだから。
(……いけませんね)
あの男の事を話していると、また収まっていた怒りがぶり返しそうになる。
私は意図的に話題を変える事にした。
「……キイラちゃん。ここはひょっとしたさっきいた地下の上なのですか?」
「うんそう。ここはさっきいた地下の上。危なかったから、転移魔術を使って無理矢理移動したの」
私達の疑問に答えるように、キイラちゃんは手に持った物――先程懐から取り出していた一枚の長方形の紙を掲げて見せた。
「この姉様が転移魔術の術式を刻み込んでくれた魔術カードで」
「……カード、ですか?」
「うん。姉様天才だからこういう魔術道具を作れるの。これはその中でも特に凄いやつなの」
「は、はあ。具体的にはどう凄いんですか?」
「このカードは事前に術式を刻む事が出来るんだけど、魔力を流し込む事でその刻まれた魔術を魔術使の適正がない人間にも使えるようにする優れ物なの」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
この世界の事前情報を軽く思いますが、そんな便利アイテムの存在はなかったはずだ。
「それってつまり、誰でも魔力さえ支払えば魔術を行使出来るという事ですか?」
「正解。現に転移魔術が使えない私も、術式が刻まれているこのカードを使ってみんなをここに転移させて、脱出できた」
キイラちゃんの説明に私とディアンは顔を見合わせる。
「気のせいでしょうかディアン。私の持っている世界の知識だと、この世界の魔術の中でも転移魔術はかなり上位のものに属しているのですが?」
「間違ってないわよ。私だってそう記憶しているもの」
オリジンからの事前に与えられた知識では最上位に位置する転移魔術。
それを魔術カードなるものに刻み込んでしまう姉様とは……
「あのキイラちゃん? ひょっとしてあなたの姉様なる人は凄い人なんですか?」
「ひょっとしなくても凄い。姉様は天才だから」
複雑な幾何学模様が刻まれたカードは誇らしげにそう言った少女の手の中でその役目を終えたと言わんばかりに私とディアンに見守られながら塵となって消えた。
「でもこれを使う肝心の私は凄くない」
「そんな事ないですよ。それをあの絶体絶命の状況で咄嗟に使う判断をしてくれたキイラちゃんがいたからこそ、私達は助かったんですから」
「ノルンの言う通りよ。あなたがその魔術カードを使わなかったら私達皆今頃死んでいる所だわ」
だから謙遜はしなくていいと言う私達に対してキイラちゃんは何処か申し訳なさそうに「そんな事はない」と目を伏せると――
「だって転移魔術を使ったせいで魔力が切れて、もう身体がほとんど動かない」
そのままいきなり前のめりにぶっ倒れてしまったのだ。
「ちょ! ええ⁉ キイラちゃん⁉」
「なんでいきなりぶっ倒れているのあんた⁉」
突然の事に慌ててディアンと一緒に駆け寄って二人で抱き起こすが、その表情はひどく青白く、弱り切っている。
「一体どうしちゃったんですか⁉ さっきまであんなに元気だったのに!」
「姉様の魔術カードは凄いんだけど、使用にはとんでもない魔力が必要。特に転移魔術は酷くて、体内の魔力量が多い私でも使ったらほとんど動けなくなる」
「とんだ欠陥品じゃない⁉」
「なんて危ない物持たせてるんですかその姉様なる者は⁉」
「魔力を急激に消費してすごく眠い……ノルン様達は逃げて――私はちょっとだけ寝るから」
「それ絶対寝たら起きられなくなる奴ですから駄目ですキイラちゃん!」
頼もしい助っ人であるはずのキイラちゃんを一発で起き上がれない程に衰弱させる程の魔力を消費させた魔術カードの危険性に戦慄しながら、私は必死にキイラちゃんを眠らせないようにその小さな身体を必死に揺すった。
「は! そうですディアン! 今すぐキイラちゃんをあなたの異能で治癒してあげて下さい!」
「……さも当然のように無茶ぶりしてくるわねあんた」
「ディアンなら出来ます! 魔力だって回復出来るはずです!」
「なんで本人よりもあんたの方が自信満々なのよ……まあ、オリジンからの知識によればこの世界の魔力は精神力と同義だそうだから、私の異能なら魔力の回復も多分出来るはずだけど――」
言いながらキイラちゃんに触れているディアンの手が白い光を放ち始めた。
ディアンの治癒の異能の行使である。
「……あ、これ駄目な奴だわ」
しかし肝心の彼女は治癒を開始してすぐに首を横に振ってしまった。
「何が駄目なんですか⁉ 流石のディアンも魔力回復は出来ないのですか⁉」
「いいえそれは問題ないわ。予想した通り私の異能は他者の魔力の回復にも効果はあるみたいだから、本来は回復できるわ……問題があるのはこの子の方なのよ」
「キイラちゃんが?」
「ええ。さっき言っていた生物兵器の話は本当みたい――この子普通じゃないわ」
気のせいか、やや顔を引きつらせながらディアンは言う。
「単純に失った魔力量が多すぎるのよ。だからいくら私の異能で魔力を回復してもこの子の魔力総量から見れば微々たる物だからまったく効果が無い……人間で言う所の焼け石に水な状態なのよ」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
今度は私が顔を引きつらせる番であった。
「それってつまりディアンの異能でさえ回復が間に合わない程の魔力量をキイラちゃんがこの小さな身体の中に所有していたって事になりませんか?」
「そうなるわね……私の異能には対象者の身体状況を把握する効果もあるから分かったのだけど――この子の魔力総量は特別――多分、この世界の人間の中でも群を抜いて多いと思うわ」
「そ、そんなにですか? あれですか? 魔力を水とすれば、キイラちゃんの魔力総量は大ジョッキ――いやメガジョッキぐらい貯め込める感じですか?」
「ダムよ」
「はい?」
ダム?
「だからダムなのよ。その例えで表現するなら、この子の貯め込める魔力総量は人間が水を貯め込む為に用いるあの構造物サイズなのよ」
「……」
開いた口が塞がらなかった。
器のスケールがまるで違いすぎる。
「私がこの子の魔力総量が特別と言った理由が分かったかしら? もしこの子がこの世界の『普通』なら世界なんてとっくに滅んでいるわ」
「で、ですよねー」
レプリカントの件と言い、一体どうなっているのだこの世界は。
「というか、この子の魔力総量もやばいのだけど、もっとやばいのはその量を一瞬で消費させる程の転移魔術を発生させたさっきのカードよね。普通の人間が使えば普通に死ぬんじゃないかしら」
「た、確かに」
この世界において魔力は人間を構成する重要な要素の一つ。それが一気に失われるという事は非常に危険な事であるはずだ。
……あれ? そんな物をこんな幼い少女に持たせるなんて、姉様って実はやばい奴だったりするのだろうか?
「姉様は悪くない」
ディアンの異能が効果を発揮したのか、それまで喋るのも辛そうだったキイラちゃんが絞り出すように声を発する。
「さっきの転移魔術は元々、姉様が私の事を心配して持たせてくれた緊急待避用の物……本来一人で使う物なの」
「え。でも私とディアンとキイラちゃん。三人を転移させたじゃないですか」
「術式を書き換えたの。三人で転移できるように。姉様のように私は頭が良くないし、時間もなかったから大量の魔力を使った力業で……」
キイラちゃんの告白に私とディアンは絶句した。
「――それに加えて三人分の転移魔術の魔力も払ったから、こうなった……だから悪いのは私。無能でごめんなさい」
「あ、謝らないで下さいキイラちゃん‼」
謝るのはむしろお荷物である私達女神の方だ。そんな私達を自らの身を省みず助けてくれるキイラちゃんをどうして責められようものか。
「でも大丈夫。女神様達の事は絶対に逃がして見せる」
震える手でキイラちゃんが懐から取りだしたのは、先程彼女が持っていた物と同じ魔術カードだった。
「キ、キイラちゃん? それはまさか――」
「姉様から託された予備の転移魔術カード。今の私に残った魔力でも女神様達だけならこれを使って壁の外に逃がしてあげられる」
しかもこの上まだ己の身を削って私達に献身しようとするキイラちゃん。その姿はどこか私の最推しである彼に似ていた。
「ぬおおおおおお‼ させるかぁぁぁ‼‼」
「あ」
そう感じた私は、考えるより先に行動を開始した。
キイラちゃんからカードをひったくると、一切の躊躇いなくそれを破り捨てたのだ。
「ノルン様……なんで?」
「なんでもなにもありません! 冗談じゃありませんよ! こんな良い子を犠牲にして私達だけ生き残るなんて、そんな事許されるわけないでしょうが!」
他の神が許しても運命の女神たる私が許さない。
「でもこのままだと逃げられないわよね」
「なら戦うまでです! ディアン!」
「何かしら?」
「私は何か間違っていますか⁉」
「いいえ。全然」
私の勢いを乗せた問いかけにディアンは即答で返してくれた。
ならば最早、迷いはなし。
「安心して下さい。危ないところを助けてもらったんです。今度は私達がキイラちゃんを助ける番です」
その手段が私にはある。
「……まずい。アークノアも来る」
ぴくぴくと自前のケモミミを動かしながら発したキイラちゃんの警告。
次の瞬間地面を下から粉砕しながら、巨大な手が突出してきた。
「えらく見覚えのある手ね! 転移した私達を探してご丁寧に地下から追って来たのかしら⁉」
見間違える筈のない先程私達を握り潰さんと迫っていた鋼の手の再登場にディアンは身構えていた。
「何の問題もありません! 私の異能で粉砕してくれますよ」
意気揚々と立ち上がった私はキイラちゃん達の前に出る。
「ノルン様」
「大丈夫ですよキイラちゃん! 私の異能は和さん……あなたの兄様と同じ物です! あんな腕の一本や二本、敵じゃありませんよ!」
「……本当に二本目が来たわよ」
先程と同様で轟音と共に地面から再度出現したもう一本の腕。
それを見据えながら私は強気を維持して言う。
「かかってきなさいアークノア! この運命の女神が相手です」
「あれがアークノア? ノルン様それは違うよ」
だがどういう訳か、キイラちゃんは可愛らしく小首を傾げた。
「ふぇ?」
「アークノアは腕じゃない」
そんな彼女の言葉を証明するように、地面から伸びた二本の手が地面につく。
(……まさか)
嫌な予感がした。
そんなはずはないという私の希望的観測を否定したのは、唐沢 直人の言葉と他でもない特撮オタクとしての強い既視感であった。
あのクソ野郎はこう言った。
『アークノアはレプリカントに与えられるもう一つの姿であり力です』
私が推す怪獣。
世間一般的に彼等は敵役で人類に仇なす存在だ。
ではそんな彼等を倒す存在は何なのか?
その答えは只一つ――
「完全展開時にはレプリカントと同化して全長30メートルになる鋼の巨人体となる」
怪獣にも勝ると劣らない巨大な存在でありながら、人型。
光を司る正義の巨人――ウルトラヒーロー。
『……』
地面から激しい土煙を上げながら出てきたのは、正にそんな彼等を機械化したような単眼の鋼の巨人であった。
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