Un Cease

@Magusmorgana

【冒頭】矛盾した契約

 夜、森の闇は生き物のようにゆらめき息づいて、古い木々が絡みつく枝葉を伸ばし、葉すれの音が嘲笑うように響く。

 そんな木々の隙間を縫うように、異形の影がよろめき、木々にしなだれかかりながら進む。

 それは人型をした、されどもその巨躯と触手の塊という異貌から明らかに人ならざるもの。

 その存在ーーいやここではあえて彼と呼ぼう、彼は旧支配者と呼ばれる邪神の一柱だった。

 その名はハスター、黄衣の王の化身、人間の依代を基に3次元世界へと降り立った高異次元の存在だが、今はただ苦痛に喘ぎ死を待つだけの存在となっていた。

 有り得ない、しかし腹部に深く食い込んだ傷口から漆黒の腐った血液を止め処なく垂らし、地面を汚す、無縁のはずの死の危険が宇宙の果てから響くような焦燥を起こす。


「くそ……【深淵を見返すもの】、だと?

……あの狂信者共、有り得ない……」


 その声は肢体の喉から絞り出される湿った呻き声として出力される。

 彼はとある邪教の教団に召喚された。

 捧げられた大量の生贄を飲み込み顕現したばかりの瞬間に、召喚した本人から目的を告げぬまま何かで依代の腹を刺された。

 死体を用いた事で文字通り腐っていても、ハスターは邪神だ。

 端末にすぎないこの肉体の消滅や機能停止など異次元に存在する本体に影響するはずはない。

 だがあの武器、おそらくは何らかの神の体組織を刃に加工したものだったのだろう。


『警告、重度次元侵食を確認 レベル11、神域の流出を直ちに抑えてください』


 化け物であるハスターの視界に不釣り合いな警告表示が続けて表示されるが視界の邪魔だと言わんばかりに彼はそれを振り払う。

 ここで死ねば、黄衣の王たる本体でさえも永遠の虚空に消えると異界の知識が警鐘を鳴らす。

 人気のない森の奥深くまで逃げ込んだことで肉体のストレスに限界が来たのか、触手の塊が震え、口のような裂け目が開く。


「うぅっ、ゔぉえぁっ」


 びちゃびちゃと不快な水音を立てて、血と粘液に塗れた大量の人の形をした肉が森の中に転がり落ちる。

 死体は判別できる限り皆一様の金髪に光を失った緑の瞳、同じような造形から一族郎党を生贄に用いたのだろうか。

 ハスターは息を整えると、吐き戻した死体をかき分ける。


「この中からでもいい、契約を……使えるものを、探さねば……」


 なりふり構わない、旧支配者としての矜持すら確実かつ完全な消滅を前に持っていても仕方がない。

 そんな中、かき分けられた死体の山から……


「ぅう、けふっ、え゛っ……かはっ」


 と、微かに繋いだ命を繋ごうと踠く咳き込みが聞こえる。

 ハスターが歓喜と共にその前に立つと、一糸纏わない死体の山に混ざって裸体の少女がその微かな息でその慎ましい胸を弱々しく上下させていた。

 少女は息が整うと、今度は眼を見開いて喉を振るわせ、絶叫の声を上げる。


「ぁぁ……ぁっ、あぁっ、あーーー!!あぁーーーっ!!ぅあぁ……ぁ」


 邪神の体内の狂気に当てられた絶望、家族の悲鳴、一瞬にして奪われた暖かい日常への後悔と虚無、その全てが彼女を苛み、記憶を絶望の彼方へと追いやる。

 記憶さえ失った相女は見えない瞳を押しつぶすように両手で覆い体を弓なりに振るわせる。

 だが発狂する少女を前にして死にかけた邪神は慈悲など持ち合わせていない。

 触手の一本を彼女の体に巻き付けて持ち上げ、木の幹に叩きつける。


「ぁぐっ……ぅ、ぁぁーー……あぎっ!?」


 弛緩する彼女の頬を触手で叩き、触手の先端に蛇のように開いた口が彼女の両手足に鋭い牙を以て噛みついた。

 悲鳴をあげて涙を浮かべる少女に、ハスターは悍ましく低い声で発音する。


「契約を結べ、人間。望みを言え!

それを叶えてやる、それで経路ができれば我はこの世界に留まれる!

さぁ言え、魂を貪られる苦痛を代償に何を叶えるか!」


「あー……ぁ、ぅぅ」


 少女の体が震える。


「うぐぅっ、くぅ…・・・・あぁ、あが、がああぁぁぁああ!!」


 恐怖が、徐々に変わる。

 奪われた家族の顔が浮かび、一族の血が視界を赤く染める。弱々しい悲鳴が、喉から迸る咆哮に変わる。怒り――全てを上回る、宇宙的な憎悪。


「殺して、やる……」


 唇を噛み、血の滴る口を開き、少女のそれでありながらハスターに勝るとも劣らない低く悍ましい声で、少女は望みを口にする。


「お前を含む……すべての邪神を殺すに足る力が欲しい!」


 黄の王の笑みが、死体の唇に浮かぶ。


「良し……良いだろう、承った!」


 ハスターの視界に無数の次元の情報がウィンドウとして表示され目まぐるしい速さで異次元の情報を検索する。

 そしてこの世界には存在しない、異次元にて高名な邪神ハンターの名を該当させてその口から放った。


「シュルズベリィ! 不断の探究者シュルズベリィを名乗るがいい、少女よ!

名前はそうだな、ライラが良いか?」


「ライラ……私は、ライラ=シュルズベリィ……んむっ!?」


 少女が自らの名を受け入れた瞬間、触手の隙間から抜け出た人間のーーハスターの依代となった死体の唇がライラの唇を塞いだ。


「んんっ、んーーーっ!!〜〜〜っ!!」


 ファーストキスの衝撃よりも堪らなかったのは、その唇から髪の毛ほど細い触手の束が溢れライラの口からその全身の神経に無理やり接続し、知識を、経験を、異界の情報を濁流のように脳へ直接インストールされる不快感であり、ライラの全身がハスターの触手の腕の中でビクンビクンと跳ね回る。

 口が離れ、遅れて口内に詰め込まれた極細の触手の束がごぽりという音と共に引き抜かれる、さいごにびくんと跳ねてライラはその場に膝をつく。

 その顔には苦痛だけではなく、官能的な熱を帯び、粘液が乾きかぴついた肌の上から玉の汗を浮かばせる。


「これは餞別だ、ライラ=シュルズベリイ……お前はこれから我……いいや、俺と共に邪神を狩る、その度に俺はお前の魂を削り、代償として力を与える。」


 その言葉に、官能的な疼きが彼女の体を駆け巡る。

 触手の感触が、快楽と恐怖の狭間で溶け合う。


「……良いだろう、承った」


 少女は、見えない瞳をハスターに向けて睨み返し、あえて彼と同じ言葉で返すと立ち上がった。

 触手の巨躯は幻であったかのように消え去り、その場にいたのは裸の男女。

 そうこの次元、この世界において、彼らは今この瞬間を持って誕生した。

 だが、これは始まりにすぎない。深淵は、決して止まない。Un Cease――不断なる永遠の渦が今、動き出す。

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