第三十三話 龍造寺コマ

 翌朝。


 宿の土間にて、女将が焼き魚と麦飯を盆に載せて運んでいた。香ばしい匂いが広がり、四人は卓を囲む。


 六は湯呑を両手に取り、何気ない風を装って口を開いた。

「女将さん。この町には、旅人でも手を合わせられるような祠などございますか?病人を連れておりますので……静かな場所で心を落ち着けられればと思いまして」


 伽耶は箸を止め、思わず六を見た。昨夜の懐紙をここで出さずとも、言葉ひとつで信用を引き出す――その巧みさに舌を巻く。しかし同時に焦った。

(やべぇ!また病人のフリしないと……!)

 伽耶は小さく咳をし、焼き魚を食べる手を止める。


 女将は少し考えるように首をかしげ、指を折りながら答えた。

「そうですねぇ……良い所といったら、高伝寺や龍泰寺でしょうかね。お参りするなら間違いありません」


「なるほど」

 六が軽くうなずく。


 女将は続けて、少し声を落とした。

「ただ……この辺には、何の由緒かわからない祠もありましてね。人が寄りつかないもんですから、気味が悪いと言う者もおりますしねぇ。近場でしたら與賀(よか)神社が良いですよ。城下の者もよく参りますし、安心してお詣りできますから」


「いわれもわからない場所とは……怖いですね。知らずに近くを歩いてしまわないか心配です」

 六はさりげなく応じる。


 女将は伽耶へ目をやり、病人を気遣うように言葉を添えた。

「そうですねぇ。病の方に何か憑いてしまっては困りますから。ここを出て、角の味噌屋さんを右に曲がった辺りにありますので、そちらへは行かれない方がよろしいですよ」


 六は深く頭を下げた。

「ご親切に、痛み入ります」


「こほっ……こほっ」

 伽耶はとりあえず病人のフリをする。



 宿を出ると、六は迷わず味噌屋の角へと歩き出した。


「ちょ、ちょっと! そこ行っちゃダメって言われなかった!?」

 伽耶が慌てて声を上げる。

 六は微笑み、静かに答えた。

「祠の場所がわかりましたね」


 三人は揃って首を傾げる。


「探しているのは人に仇なす化け猫です。由緒あるお寺や神社ではありません。……うまく場所を聞き出せました。まずはそこへ行ってみましょう」


 伽耶はぽかんと口を開け、おもとは感心したように鼻を鳴らした。ハクは表情を動かさないまま、ただ六の後を歩く。


 やがて、草むらに囲まれた小さな祠に行き当たった。苔に覆われ、文字は風雨にさらされて判別できない。人影もなく、ただ風が笹を揺らす音が響いていた。


「これでしょうか」

 六は祠の前に立ち、深く息を吸った。


「――コマさーん!おられますかー!」


「……おもとちゃんの時もだったけど、妖呼ぶ時、叫ぶのなんなん!?」

 伽耶が小声でツッコむ。


 声が山裾に響く。だが祠は沈黙を保ち、木の葉が揺れる音だけが返ってきた。



 しかし、どれだけ待っても祠からは何の反応もなかった。


「ここにはおらんな」

 おもとが短く言い捨てる。


「仕方ありませんね。次の策を使いましょう」

 六が呟いた。


(さすが策士!)

 三人は心の中で同時に叫んだ。


「どんな策?」

 伽耶が身を乗り出す。

「相手は化け猫。つまり、化けていない時は普通の猫の姿でしょう」

 三人は大きくうなずく。

「つまり……?」

 伽耶が問う。


「町中の猫を探します」


三人「……」


 (さっきまでの策士っぷりはどこへ……)

 三人は心の中でそっとツッコむ。



 六の独断で、二手に分かれて探すことになった。六とおもと、伽耶とハク。


 六は注意を促す。

「役人や同心を見かけたら慌てず避けること。家を覗くなど怪しまれる行動もしてはいけません」


 伽耶はこくこくとうなずきつつ、(私、絶対怪しいことしちゃいそう……)と内心焦った。


 探索が始まる。


 六とおもと組は、屋根の上に座る猫を発見した。が、ただの野良猫。

 一方、伽耶とハク組も路地裏で猫を見つけるが、ハクは首を振る。

「妖力を感じない」


 思いのほか野良猫は見つからず、探索は難航した。


 昼もとうに過ぎた頃、伽耶とハクは茶屋で握り飯を買い、道端に座って食べることにした。


 食事中も寡黙なハク。沈黙に耐えられない伽耶は、どうでもいい雑談を繰り返す。

「ねぇ、猫ってやっぱり魚が好きなのかな……あ、でもさ、おもとちゃんは肉食べたいとか言ってたね」


 ハクは返事をせず、握り飯を口に運んでいたが、不意に手を止めた。


(やばい!うるさいって怒られる!)

 伽耶は背筋を伸ばし、硬直する。


「……どうやって現世から来たの?」

 ハクが小さな声で尋ねた。


「えっ?」

 伽耶は握り飯を持つ手を止めた。

「理由はわからないけど……」

 常世に来る直前のこと、六に助けられたことを、伽耶はぽつぽつと語る。



 ハクは俯きがちに、ぽつりと漏らした。

「伽耶は……強いんだね」


「え? いや、逆だよ。私は何もできなくて……」

「三人の妖を動かしてる。それは伽耶の力じゃないかな」


 伽耶は言葉を失った。

(私の……力? そんなこと、考えたこともなかった……)


「あたしもあの時、伽耶みたいな心があったら……」

 ハクが小さく呟く。

「え?何?」

 伽耶が聞き直すと、ハクはハッとした表情をした。

「そ、それより猫探さないと」


 話に夢中になっているうちに、夕方になっていた。


「やばい!そうだった!コマさん探してたんだ!」

 伽耶とハクは慌てて握り飯を口に押し込んだ。


 その時。


「――私に、何かご用ですか?」


 背後から静かな声がした。振り返ると、一人の女性が立っていた。


 袴姿。すらりとした体躯。白く長い髪の毛が風に揺れ、優しそうな瞳が伽耶を見据える。二十代前半ほどに見えるが、その眼差しは年齢を超えた冷ややかさも帯びていた。


「だ……誰?」

 伽耶の声が裏返る。


 女は軽く頭を下げ、落ち着いた声で言った。

「ごめんなさい。今日は道場で鍛錬をしてまして。遅くなってしまいました」


「え?……え?……誰だっけ……」

 伽耶はついつい本音を漏らす。


 女は薄く笑みを浮かべ、静かに名乗った。

「私は――龍造寺コマです」


 伽耶とハクは思わず口に含んだ米を吹き出した。



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