第十一話「炒飯騒動‣後編 / 老兵の祈り」

太鼓がドンと鳴り響く。


広場の中央に並ぶ調理台を取り囲み、人々のざわめきが波のようにうねる。


壇上だんじょうの進行役が大声を張り上げた。


「諸君――! これより月例の料理対決を始める!」


「チャイヨー!(万歳!)」


観客の歓声がどっと沸き起こる。筒井 景虎つつい かげとらも思わず拍手してしまった。


「アユタヤの恵みたる米と食材を、いかに調理し、いかに魅せるか!

料理人の腕と――心が試される!」


進行役は指を一本、天に突き上げた。


「一つ! 調理時間は太鼓三度――三十分!」


二本目の指を立てる。


「二つ! 材料は会場に揃えられたものを使うべし!

ただし調味料のみ、持ち込みを許す!」


三本目を突き上げる。


「三つ! 勝敗を決するは三名の審査員!

味、技、そして――心!」


審査員席には、絹織きぬおり豪商ごうしょう、冷徹そうな役人、そして僧衣そういの老僧。


人々は「おお!」とどよめいた。


「勝者には千五百バーツ! さあ――始めぇいッ!」


銅鑼どらが打ち鳴らされ、鍋の音が一斉に響いた。



「よっしゃ!やったるで!」


筒井は腕まくりをし、中華鍋の前に立つ。


観衆側から「がんばりましょう!」とソムチャイ。


隣の娘も真似て「ましょう!」と声を上げる。


筒井は二人に向けて笑顔を飛ばした。


「いくで!」


鍋を強火で熱し、油をたっぷりと注ぐ。


卵を割り入れ、滑らせる。


「ほいで――すかさず米や!」


筒井は炊いた米をどさりと放り込み、鉄杓子てつしゃくしで打ち鳴らす。


その瞬間、白煙と香ばしい湯気が一層立ち上がる。


カン、カン、カン。

米が宙を舞い、卵と絡んで黄金色に染まる。


「いい調子です!」とソムチャイ。


だが具材を取ろうと材料台に向かった瞬間――筒井の顔がこわばった。


「う、嘘やろ……」


彼の割り当てられた食材は、明らかに劣化していた。


色のくすんだ米、肉は鮮度が落ち、野菜もしなびている。


遠くから視線を感じ、顔を上げると――


観客の隙間に借金取りたちが腕を組み、にやにやと薄笑いを浮かべていた。


「ざまぁねぇな」という無言の圧力が、鍋の熱気より重くのしかかる。


「まさか、あいつら……!」


筒井の胸がざわつき、汗が背中を伝う。


「くそ…!」


筒井は、鍋の柄を握り直す。


「逃げるわけにいかへん。工夫次第で、まだ旨くできる!」


崩れた米を指先で丁寧にほぐし、油を多めに回しかけた。


火を強め、米粒を鍋肌で乾かすように炒める。


肉は小さく切り、鍋の中央で一気に焼き固め、香ばしさを引き出す。


しなびた野菜も、塩を振り強火で飛ばすことで、甘みを引き出した。


「ここで手を抜いたら、全部パァや……!」


鍋の中で米が踊るたび、仲間たちの顔が浮かぶ。


真之介しんのすけ清次せいじ宗田そうだ殿、松下まつしたちゃん、そして藤波ふじなみ


――みんなに食べさせたい、この料理を。


「いま、ナンプラーを!少しでいい!」ソムチャイが叫ぶ。


「よっしゃ!」筒井は笑みを浮かべ、黄金色の米に琥珀こはくしずくを垂らした。


最後にライムをぎゅっと絞ると、柑橘かんきつの香りが立ちのぼる。


「よし、これでいけるはずや!」皿に盛り付け、額の汗を拭う。


太鼓の三度目が鳴り響いた。調理終了だ。



審査員が次々と料理を口にしていく。


筒井の番になると、三人の顔が曇った。


「米が……べちゃっとしておるな」豪商。

「火加減が甘い」役人。

老僧も首を横に振った。


筒井の心臓が冷たくなる。


「くっそ……無理やったか」


借金取りたちが観客の後ろで、勝ち誇ったように肩を揺すって笑っている。


だが、老僧が口を開いた。


「いや……待ちなさい」


老僧はもう一口食べ、目を細めた。


「確かに技は未熟。しかし――」


僧の声が広場に響く。


「焦げの香ばしさとライムの清涼が、全体を救っている。そして何より、この料理からは作り手の想いが伝わってくる」


「想い……?」豪商と役人が顔を見合わせる。


「料理は技だけではない。誰のために作るのか――その心こそが料理の真髄しんずいです」


老僧は筒井を見つめた。


筒井は震える声で答える。


「わいは……仲間のためや。一緒にこの国に来た連れに食わせたかった。

それと……困っとるおっちゃんを助けたかった」


老僧は深く頷いた。


「優勝はできません。しかし特別賞を授けましょう。千バーツです。

…その心を忘れてはいけませんよ」


会場がどよめいた。借金取りたちの顔色が、見る間に渋くなる。


「千バーツ!?」筒井は思わず声を上げた。



結果発表。優勝はベテラン料理人に渡った。


だが筒井に悔しさはなかった。


「おっちゃん」筒井はソムチャイに賞金を差し出した。


「もとを言や、あんたがうまいカーオパット食わしてくれたおかげや。受け取ってくれ」


「そんな!ダメです!これはあなたが頑張って…」


「ええから。…訳ありなんやろ? それに、ええもん学ばせてもらったわ」


「しかし……」


「代わりに、一つ頼みがあんねん」


ソムチャイが戸惑いながら顔を上げる。


「な、なんでしょう?」


「仲間に食わせてやりたいんや。カーオパットを五人前、心込めて作ってくれへんか」


ソムチャイの目に涙がにじむ。


「喜んで!!最高のものを作ります!」


筒井は豪快に笑った。


「おおきに!」


その笑いの余韻が、遠く響いていく。


-----------


宗田 巌そうだ いわおは一人、アユタヤの日本人町を歩いていた。


どうしても、この町を自分の目で確かめてみたかったのだ。


「ふむ……」


路地を歩けば、のき先に提灯ちょうちんが吊るされ、暖簾のれんひるがえっている。


そこに書かれた文字は「日本酒」「蕎麦そば」「鍛冶かじ」――懐かしい日本の文字が目に飛び込んでくる。


香ばしい醤油の匂いが漂う屋台の奥で、

片言の日本語を話すシャムの子供が笑っている。


母親らしい女が蕎麦を打ち、通りすがりの客に日本語で挨拶をする。


(なるほど……異国にあって、こうして暮らしているのか)


シャムの文化に染まりつつ、日本の名残を必死に繋ぎとめる町。


だが、どこかいびつで、中途半端に見える。日本でもなく、シャムでもない。

混ざり合った先に生まれた「異郷いきょうの日本」。


(ここの人々は、どんな思いで暮らしておるのだろう……)


望んで来た者もいれば、故郷を捨てざるを得なかった者もいるだろう。

あるいは、流れ流れて気づけばこの地にたどり着いた者もいる。


その姿を見て、宗田は自分を重ねずにはいられなかった。


五十を越えた今、なぜ自分はここにいるのか。


朱刃組しゅじんぐみ”の”武傭兵ぶようへい”として徳川とくがわに雇われ、この地へ渡ってきた。


妻と、元服した息子、嫁いだ娘。家族のために金を残そうと、この最後の勤めを選んだ……表向きはそう言える。


だが宗田の胸の奥底で、もうひとつの声が囁いていた。


(――


武士として、最後にふさわしい最期を。


それを求めて異国にまで来たのではないか。



やがて、小高い一角にほこらがあった。


竹を組んだだけの簡素なやしろに、粗末ながら小さな鳥居が立っている。


供え物の皿の跡、線香の残り香。人々が折に触れて集まり祈る場所なのだろう。


宗田はゆっくりと近づき、膝をついた。両の手を合わせ、目を閉じる。


浮かんでくるのは、戦で散った友や同輩どうはいたちの顔。


「済まぬ……」


小さく声をもらした。


宗田は生き延びた。戦場で倒れず、今もこうして生きている。


いわおよ……お前は臆病者だ」


心の奥で誰かが責める。


だが別の面影おもかげも胸をよぎる。妻の笑顔。子供たちの声。


その姿に支えられている自分を、否応いやおうなく知る。


長く息を吐き、顔を上げたそのとき――。



背後に足音がした。


振り返ると、ひとりの日本人が歩いてくる。年の頃は五十を過ぎ、白髪の混じった髪。


深いしわの刻まれた顔に、腰の刀が重たげに揺れていた。


「…邪魔をしたか」


低くしわがれた声。


「いえ、もう終わりました」


宗田が答えると、男は無言で祠の前に立ち、手を合わせた。


祈りを終えると、素早く振り返り、宗田を見やる。


「お主、”朱刃組”のひとりか?…噂は聞いている」


宗田は敵か味方かを測るかのように、少し間を置き、落ち着いた声で答える。


「…宗田 巌と申す」


「俺は片倉 主馬かたくら しゅめ。この町で警固をしている」


名を聞き、宗田は目を細め、鋭く観察する。


「片倉……伊達家に仕えておられたのでは?」


「ほう…知っておるか。昔の話だ。今はただの浪人崩れよ」


二人は祠のかたわらの木陰に並んで腰を下ろした。


「なぜ、この地に?」


「戦乱と漂流よ。関ヶ原の後、居場所を失ってな。流れ流れて、気づけばここだった」


「今は警固を?」


「ああ。刀を振るう気力も尽きた。今はただ町を見回るだけだ」


その声音こわねには、諦めと倦怠けんたいがにじんでいた。


「家族は?」と宗田が問えば、主馬しゅめは首を振る。


「妻も子も、戦で失った。もう何もない」


その言葉の重みが胸に沈む。


主馬はぼそりと呟いた。


「心など、刀で斬り捨ててしまった方が楽だ」


「……」


「家族も故郷も失った。生きていくには、心など邪魔なだけだ。思い出があるから痛む。忘れてしまえば、ただ生きられる」


主馬は宗田をじっと見据える。


「お主の心は、まだ日本にあるのか」


宗田は言葉を失った。


「……儂にも分からぬ」


やっと口を開く。


「日本なのか、この地なのか。それとも、どこにもないのか」


二人の間に重い沈黙が落ちる。


そのとき、町の方から騒ぎ声が響いた。


「何だ?」


二人は顔を見合わせ、同時に立ち上がった。


宗田の表情が引き締まり、主馬は静かに腰の刀へ手を添える。


「行くのじゃな」


宗田が短く告げる。


主馬は無言でうなずき、二人は騒ぎの方へと駆け出していく。




第十一話 了

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