第五話「修羅に燃ゆ」

出航から一月ほどが過ぎた。


海鳴丸かいめいまる”は順調に南へと針路を取り、

本州の山並みは遠い記憶のように霞んでいる。


残されたのは、生き物のようにうねる海原と、

潮の流れに呼応するように流れる白雲だけだった。


俺たち“朱刃組しゅじんぐみ”の五人は、すっかり船での暮らしに馴染んでいた。


朝は稽古に始まり、 昼は松下 華子まつした はなこからシャム語を学び、

夕刻は読書や酒盛りなど、自由に時間をあてる。


「ペン ヤンガイ バーン?」

「マイ ペン ライ」


波音に混じり、俺たちのつたない発音が響く。

松下の根気強い指導もあり、舌の回りは日に日に滑らかになっていった。


「皆さん、とても上手になりましたね」


嬉しそうに微笑む松下。


「松下殿のおかげです」

佐伯 清次さえき せいじが涼やかにほほ笑む。


「ほんまやな。松下ちゃんはええ先生や。ラーオ!」

筒井 景虎つつい かげとらも歯を見せて笑った。


「…”ラーオ”は“酒”のことだろ」 呆れつつ俺は突っ込んだ。


海上の日々は、穏やかで規則正しかった。

だが――その平穏は、唐突に破られることになる。



その日の朝は、明らかに空気が違っていた。


薄雲うすぐもが空を覆い、風は荒く、波が船腹せんぷくを叩いては船体を大きく揺らしている。


「今日は荒れそうだな」


甲板かんぱんに出た俺は、顔にかかる潮風を払いながら空をあおいだ。


「そうじゃな……風向きも妙に変わっておる」


宗田 巌そうだ いわおも目を細め、不穏な気配を含んだ空を睨む。


その時――。


右舷うげんに船影!」


見張り台から張り詰めた声が響いた。


全員が一斉に右舷へ目を向ける。 水平線の彼方、波間に小さな黒点が揺れていた。


「何事だ!」


船長・佐久間さくまが駆け寄り、険しい表情で問いただす。


「分かりません! ですが、こちらへ一直線に近づいてきます!」


見張りの船員が声を張り上げた。


そこへ藤波 志津ふじなみ しづが甲板に現れる。手には望遠鏡が握られていた。


「どうです?」


俺が問う。


藤波はしばし黙し、望遠鏡を下ろすと低く告げた。


「……海賊だ」


「海賊?」


筒井の顔が強張こわばり、だが口角には戦を前にした獣のような笑みが浮かぶ。


「間違いない。あの船体の造り、そして旗の色――

南シナ海で暴れ回っている連中だ」


宗田の顔には往年の武士の険しさが増し、対照的に松下は不安げに教材を胸に抱きしめている。


「…どうしますか」


佐伯が藤波に問う。


「逃げ切れぬ。向こうの方が速い」


望遠鏡を覗き込んだまま、藤波は短く答えた。


「ならば……」



藤波の一言に、甲板に立つ俺たちの背筋が一斉に伸びた。


――ついに、海上での初陣の時が来たのだ。



「総員、戦闘準備!!」


佐久間の号令が響く。


船員たちが慌ただしく動き回る。

大砲の準備、武器の配布、帆の調整。船全体が戦闘態勢に入った。


「”朱刃組しゅじんぐみ”、武装しろ」


藤波の指示で、俺たちは急いで武具を身に着けた。


藤波が全員を見回し、鋭い声を放った。


「海上での初戦闘だ。決して油断するな。

敵の力は未知数だが、我らには積み重ねた鍛錬がある。それを信じろ」


「はい!」


俺たちは胸を張り、一斉に応じた。


松下が俺たちの側に駆け寄る。


「皆さん、どうか無事で……」



やがて水平線の向こうから、海賊船が姿を現す。


黒々とした帆を張り、波を切り裂くように迫ってくる中型船。


その船体は獣のようにうねり、甲板には剣や槍を構えた屈強な男たちがひしめいていた。


「……来るぞ!」


佐久間の叫びが甲板を震わせる。


潮の匂いが一層濃くなり、緊張で喉が渇く。


最初に響いたのは、大砲の轟音だった。


ドォォォン――!


海賊船から放たれた砲弾が、”海鳴丸かいめいまる”の脇に着弾する。

轟音とともに高く水柱が立ち、冷たい飛沫しぶきが甲板を叩いた。


「こちらも撃て!」


佐久間の命令に応じ、”海鳴丸”の大砲が火を噴く。

砲煙ほうえんが立ちこめ、火薬の匂いが鼻をついた。


煙の向こうから、海賊船がなおも迫ってくる。


接舷戦せつげんせんの準備!」


藤波の声が鋭く響いた。


やがて両船は横付けされ、鉤縄かぎなわが投げられる。

きしむ音と共に二隻が強引に結ばれ、敵が一斉に雪崩なだれ込んできた。


荒れた肌、汚れた衣服、獣のような眼光。

手にした錆びた剣や斧を振りかざし、異国の言葉で咆哮ほうこうする。


「迎え撃て!」


藤波の号令と同時に、戦いが始まった。



俺は“桐月兼光きりづきかねみつ”を抜き放ち、目前の敵へ踏み込む。


大斧を振り回す巨漢。陸であれば難なくいなせる相手だが、

揺れる甲板では、一瞬の体勢の乱れが命取りになる。


船のうねりに合わせて重心を波のリズムに溶かす。

振り下ろされた斧がうなりを上げ、眼前に迫る。


刹那、俺は半身を返すようにして斬撃をかわした。


斧が甲板を叩きつける轟音。


木片が飛び散る中、俺は体を滑らせるように懐へと潜り込む。


その勢いのままに刀を下段に構えて胴を狙い、横なぎに一閃――


刃が肉を断つ、確かな手応え。

鈍い手応えとともに、鮮血が紅い弧を描いた。


巨漢のうめき声がこぼれ、甲板に叩きつけられるように崩れ落ちた。


「一人目…!」


”桐月兼光”の刃の鋭さに、思わず身が震える。

まるで久方ひさかたぶりに人血を吸った刀身が、うずめき喜んでいるかのようだった。


「真之介ぇ! 後ろや!」


振り返った刹那、きらめく刃が振り下ろされる。


咄嗟とっさに受け止めた。火花が散り、衝撃が腕を痺れさせる。


「ぐぅっ…!」

船の揺れが力を奪い、このままでは押し切られる——。


その瞬間、筒井の槍が横から豪快に突き出された。


鋭い穂先が海賊の脇腹を貫き、肉を裂きながら深々とめり込む。


筒井はそのまま軽々と、敵を弾き飛ばした。


「はぁ…ふぅ、助かった!」


「はっ! お互い様や!」


背中合わせになり、筒井とともに周囲の敵を睨み据える。


甲板では激しい戦闘が続く。

怒号と金属音が入り混じり、火薬と血の匂いが漂っている。


佐伯は二刀を巧みに操り、まるで水を泳ぐがごとく、反撃の隙を与えぬ太刀筋で敵を斬り伏せていた。


宗田は高所に陣取り、矢を次々と放っては、敵兵の急所を正確に射抜いていく。



藤波が目に入った。


「すごい…」


俺は思わず息を呑んだ。


その剣技は、まさに神業であった。


三人の海賊が同時に襲いかかる。 左からは手斧、正面からは曲刀きょくとう、右からは槍。


藤波はゆらりと重心をずらし、柔らかに左に身を傾けた。


斧の刃が頬をかすめ、風が頬を撫でる。


次の刹那、一歩踏み込み、肘から先を流麗りゅうれいに断ち切る。

血飛沫と共に斧が甲板に転がった。


間髪入れず、槍の穂先が迫る。


藤波は反らすように身をかわし、反動をひらりと跳ねに変える。


首筋へ横一文字。

無駄のない切先は深くも浅くもなく、ただ正確に命を絶つ。


槍使いが崩れる間には、すでに重心を低くし、短く踏み込んだ。


「Arghh‼(ウアアア!!)」


曲刀が振り下ろされる。


ギィィィン――!

鋭い衝撃を刃を合わせて受け流し、金属音が甲板に響いた。


逸らした隙を逃さず、滑らせるように胸元の一点へ刃を突き込む。


残るは片手を失った男。血走った目で素手のまま飛びかかってくる。


藤波は刃の血を払って、納刀のうとう

拳を右で受け流し、左掌底しょうていで顎を撃ち抜いた。


海賊は糸の切れた人形のように崩れ落ちる。


一連の動きに淀みはなく、まるで千変万化せんぺんばんかの舞。


揺れる甲板すらも、その舞の一部に取り込まれていた。


「……Iblis(化け物め)」


周囲の海賊が震えて声を漏らす。


血煙の中に立ち、居合の如く次の敵へ切り込む。


その姿はまるで、修羅のごとき気配を纏っていた。



「くそ、きりがねぇやんけ!」


筒井が叫ぶ。


確かに海賊の数は予想以上だった。

倒しても倒しても、次から次へと湧き出してくる。


「……このままでは不利ですね」


佐伯も汗を拭いながら息を整える。


敵の数が多い上に、揺れる甲板が体力を削り取っていく。


「じり貧ではまずいな……」


そのときだった。


甲板の奥から、異様な気配と共に巨漢が姿を現した。


「Woi, woi, woi!(おうおうおう!)」


大柄な体躯たいくに、金糸と銀糸で鱗の紋様もんようを施した派手な上衣。

左目には黒い眼帯、右手には鋸刃のように歯を刻んだ大曲刀だいきょくとうを握っている。


「Hahaha‼ Berani melawan kami, nampaknya!(ガハハ!!俺たちに逆らうとは、面白いじゃねぇか!)」


「Di laut ini, aku raja! Serah semua harta kamu, cepat!(だがこの海では俺様が王だ!大人しく金目の物を差し出せ!)」


異国の言葉が甲板に響き渡る。

意味は分からぬが、ただならぬ威圧感だけは伝わってくる。


切りかかるべきか迷ったそのとき――


「Kami takkan serah.(渡すわけがない)」


藤波が一歩、前へ出た。


「Hoh! Ada perempuan keluar! Menarik!(ほう、女か。面白ぇ!)」


頭領の眼がぎらりと光り、口元が獰猛どうもうに歪んだ。


「Lawan aku. Kalau menang, aku lepas. Kalau kalah… faham, kan?(俺と戦え。勝てば見逃す。負ければ……分かるな?)」


「Aku terima.(受けよう)」


「藤波殿!」


意味を測りかねて声をかけた俺を、彼女は手で制した。


「任せろ」


頭領と藤波が向かい合った瞬間、 潮騒しおさいすら遠のいたように、甲板の喧騒は静まり返った。


誰もが息を呑み、この異国の一騎打ちの行方を見守る――



第五話 了

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