#ホストに恋して地獄

猩々けむり

第1話 #地獄の門

 地獄に堕ちたと思ったら、歓楽街だった。


 この街は、女たちのシャンプーの匂いと、安っぽい香水と、男たちの体液が混ざったような匂いがする。いつも息苦しく感じるのは、誰かの恋慕の亡骸が、割れて散って灰になって、街の空気に混ざっているせいかもしれない。すれ違う女が、背後を行く男が、誰を狂おしく想っているのか知らずとも、少し通りを歩くだけで他人の恋愛事情を目撃できる。道端のゴミ捨て場、コンビニ、うどんチェーン店にすら咽び泣く人が居て、時に「死にたい」なんて言葉まで聞こえてくる。

 好き、大好き、触りたい、触られたい、愛されたい、大切にされたい、私がいないと生きていけないと思われたい、飽きられたくない、捨てられたくない。そんなふうに、自分の恋物語が苦くて消耗するだけのものであっても、廃ビルの屋上から飛び降りるほど追い詰められていたとしても、恋心を消し去るために、ストロングゼロで流し込む鎮痛剤が致死量であっても、この街に集まる人間のほとんどは、恋をしないと生きていけない。

 そんな邪悪で陳腐な街を語るには、怪談こそが相応しいと、先輩怪談師———ビビタニさんは言っていた。中でも実話怪談というジャンルは、人間や街の混沌とした部分から生まれるものであり、そうした混沌を、混沌のままに語るものだという。


「いいかい宵山よいやまくん。賞レースで勝ちたいなら、自分の命を投げ打つ覚悟で、その混沌に飛び込むんだ。そして、お前のその濁った相貌で地獄を見てこい。そうでなければ数多の怪談師に埋もれるだけだぞ」


 振り返ると、怪談師を始めて四年。霊感がないことを理由に、他人が見聞きした怪談を集め、それを披露することで活動を続けてきた。

 けれどそれも限界だ。ビビタニさんが言うように、いつまでも怪異が身に降り掛かるのを恐れ、水族館の分厚いアクリル板を通して人喰い鮫を見るように、安全圏で怪談を語っていても、真の恐怖を伝えることはできない。僕が怪談師として一旗上げるためには、この街で『地獄』と対峙することが必要不可欠である———が、


「死にたくねぇ」


 というのが本心であった。そんな呟きは、通り過ぎるアドトラックの音楽に掻き消され、「お兄さん元気ないね。オッパイどう?」というキャッチの声に上書きされる。


 僕の歓楽街、地獄巡りはなんとも縁起の悪い幕開けを迎えたのだった。

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