第8話 ピンがすべて倒れたあとに

翌日。


僕たちは、またもや、りかこの発案でボーリング場に来ていた。

あの独特のワックスの匂いと、天井の低い照明、そしてバカでかい音のスピーカー。

まるで“無害にカオスを再現しました”というインスタントのアミューズメント空間だ。


例の“大中小のヤンキー君たち”も誘っては見たが、案の定現れなかった。

たぶん彼らにとっては、ボーリングなんて“ノリが軽すぎる”遊びなのだろう。

人生を背負っている者にとって、ピンの倒れ方ひとつにもドラマが必要なのかもしれない。


メンバーは、りかこ、あおい、しおり、トオル、僕、そしてもうひとり、小清水くん。

このメンバーの中において、小清水くんの存在感は例えるなら「色を塗り間違えたジグソーパズルのピース」だった。

悪目立ちはしていないけれど、何かが決定的にズレている。

空気の読み違えというより、“文脈のバグ”と言った方がしっくりくる。


最初の集合場所で、彼はそのあまりの気弱さによって、逆に目立っていた。

おそらく彼はこれまでの人生で、自分が座りたかった席に素直に座れたことなど一度もなかったのではないか。

席も、話題も、視線も、すべてにおいて“譲る”というより“避ける”タイプの人間だ。


なのに、なぜか他人との距離感だけが狂っていた。

親しくもない女の子たちをいきなり「しおり」「あおい」「りかこ」と呼び捨てにし、

誰も尋ねてもいないのに、突然ビックリマンチョコの“裏設定”について語り始めた。


「ヘッドロココって、つまり“カリスマ”と“信仰”の化身だったんだよ」


その顔はいたって真剣で、まるでノーベル賞の候補論文でも朗読しているかのようだった。

小学生の頃なら、きっと“無視されるかいじめられるか”の2択を突きつけられただろう。

けれど、なぜか僕は彼のそういう“ねじれた無邪気さ”が気に入っていた。


ランドリーに連れていったり、夜のスーパーに一緒に行ったり、

気がつけば、彼は僕に懐き、僕に懐いた彼を見て、みんなも次第に受け入れていた。

その奇妙な人懐っこさも、「いじられ枠」としての役割にうまく変換され、

気づけば、小清水くんも「仲間内」の一部になっていた。


この日も、ボーリング大会に参加していた。

ゲームはダブルス対抗、男女でグーチョキパー。

僕はりかこと、トオルはしおりと、小清水くんはあおいと組んだ。


投げ始めてみると、誰にとっても“想像通り”の展開になった。

女の子たちは実に女の子らしいフォームで、ボールをやさしくガターへ誘導していく。

トオルは、腕はともかく空気の読み方でスペアを量産。

小清水くんは、運動神経のなさという名の才能を発揮し、見事に全フレームで笑いを取った。


そして僕とりかこは、というと。

僕はこう見えて高校時代には花園出場直前まで行ったラグビー部のレギュラーで、更に“遊びに命を賭ける”タイプだった。

りかこはそれに輪をかけて身体能力が高かった。

僕たちは終始トップを走り、5ゲーム中、全5ゲームを圧勝で締めくくった。


「勝者には報酬を!」という空気の流れに乗って、

りかこと僕のゲーム代は、他のみんなにおごってもらうことになった。

僕たちは気分良くハイタッチを決め、店を出た。


帰り道。りかこが突然、道の真ん中で立ち止まって笑いながら叫んだ。


「しっかし、3人共本当に私に興味ないよね!いっそ清々しいわ!」


唐突な一言に、場の空気が一瞬だけ止まった。

僕たち男性陣は、それぞれに心当たりがありすぎて、目が泳いだ。


「え?」「どういうこと?」「そ、そんなこと…」


「トオルちゃんはしおりちゃんにデレデレだしさ、

小清水くんは…そもそもよくわかんないけど(笑)

そいで中田は二股かぁ?!?」


あおいによると僕がしおりに夢中なのはみんなにバレバレらしいけど、僕とのあの夜のことも親友のりかこに喋ってしまってるんだろうか…

僕の頭の中は、急に出された四択クイズの問題用紙みたいにざわつき始めた。

正解はどれか、それとも全部ハズレか。

ただの勘か、悪ふざけか。

どうにかこの場を無難に切り抜ける言葉を、僕の脳みそは古い辞書をめくるように手探りで探し続けた。


でも、それは杞憂だった。

りかこは続けて、肩をすくめて笑った。


「なんかさー、しおりちゃんとずっと散歩とか行ってるかと思ったら、

昨日はあおいと2人でカウンターにしけこんでたしさー。

もしかして、あおいの方が本命だったりして!わははは!」


それはあまりにも豪快で、あまりにも無邪気な笑いだった。

何かを知っている空気感は、微塵もない。

りかこはただ、“その場のノリ”を演出していただけだったのだ。


「いやー、2人ともすっげー可愛いし、どっちにしよっかなー!?」


僕はりかこに調子を合わせ、ふざけたように言いながら、

心のどこかで冷や汗をかいていた。

まるで床にうっすら撒かれたオイルの上を歩くように、慎重に。


そして、穏やかな休日の夜はそのまま何事もなく終わる…はずだった。


でも、ホテルの角を曲がったところで、

しおりがふいに立ち止まり、僕の方に向き直った。


他の誰にも聞こえないように、小さな声で、でもあの声で、はっきりと。


「私、やっぱり、君のこと、嫌い」


その一言は、ピンがすべて倒れた瞬間よりも、ずっと重い音を立てて僕の中に落ちた。

あの少しかすれた、甘くて切ないミルキーボイスが、残響のように耳に残っていた。

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