夏凪ボコボコ討伐作戦

 翌日、土曜日。早起きした俺は朝食のレシピを確認しつつ、白瀬家へ。

 

「おはよ」


 敷地の外に春乃さんがいた。普段より明るさ控えめで、小さく手を振った。


「おはよう。どうしてここにいるの?」


 6時……起きるにしても早いだろうし、実際春乃さんの目は半開きだ。


「だってあなた、鍵持ってないじゃないですか」

「……確かに!」


 どうやって家に入ろうと思ってたんだ俺は。

 起こさずに朝食の準備をするなんて、鍵がなければ不可能だ。


「もー、おっちょこちょいだなぁ」

「昨日気づかなかったなら、お互い様では?」

「たしかに」


 うつらうつらな春乃さんは、ゆっくり俺に歩み寄る。


「はい、手ぇ出して」


 言われるままに手を差し出すと、春乃さんの両手に包まれた。


「どーぞ」

「……鍵だ」


 電気スズメのストラップがついた鍵。

 ……し、ししし白瀬家の鍵ッ⁉ 受け取ってしまっていいのだろうか。

 でもお手伝いさんという職務上、持っているべきだろうか。


「信頼の証ですよ」

「嬉しいな。――でもそれなら、まだ受け取れない。みんなから信頼を――」


 夏凪ちゃんに認められてからにしよう、と鍵を返そうとすると。


「やだ! もう朝いちばんに起きたくないの!」

「ぁ、そういう問題⁉」


 朝はよほど弱体化するのか、春乃さんの目には涙が浮かんでいた。


「アラームもうやだ人の声で起きたい。藍緒くん、起こしてくれるって言ったもん」


 普段は頑張って一番に起きて、チビたちを起こしているんだな。

 アラームが嫌になる気持ちはわかる。動画で流れたらビクってなるもんな。


「じゃあわかった、今は一旦返すよ」

「……あたしから合鍵渡されてるってのに」


 惑わせるようなことを言うんじゃないよ。

 自分が好かれていることを、もう完璧に理解していやがっている。


「夏凪だって、別に嫌がらないよ」

「ん……まぁ、俺の気分の問題かもしれない。大丈夫だよ、すぐに貰うから」


 夏凪ちゃんは理解を示すだろう。お手伝いさんなのだから、と。

 だけど。


「今日中に、夏凪ちゃんの目の色を変えさせてやる」

「……目の色を」


◆◆◆


 さて、ゆったり朝食の用意をして8時。

 みんな(二度寝した春乃さん含む)を起こして、食卓。


「すっごく、朝ごはん!」


 ご飯に味噌汁、鮭に卵焼き、漬物。

 ステレオタイプの朝食に、秋穂ちゃんが思い通りの反応をしてくれた。


「わぁ……」


 フレンチトーストにコンソメスープ。

 パン派の二人は目を輝かせてくれた。


「食べきれなきゃ残していいから。俺が食う」

 

 時間がないから食べられないのか、体質的に朝だけ食べられないのか。

 それぞれが違う可能性もある――と思ったのだけど。

 

 三人は、差はあれど表情豊かに、美味しそうにもくもくと食べてくれた。

 しかし春乃さんは、さっきから味噌汁にしか口をつけていない。

 

「もしかして朝弱いのは春乃さんだけなのでは?」

「うっ……バレてしまっては仕方ない……」

「正体を現しそうな言い方だ」


 朝激よわな春乃さんが起こす担当ゆえ、時間がなくなって朝食を食べられない。 

 なおさら俺がいなければ。


「食べずに部活行ったら死んじゃうよ」

「いつものことだよ~ぅ」


 いつも死んでるということなのか。もっと喉を通りやすいものを用意するか。

 おかゆかうどんか、味噌汁が食べられるならスープだけでも……。


「フユくん、ちょっとちょうだい」

「え~、しょうがないな」


 冬樹くんがフレンチトーストを小さく切り分け、秋穂ちゃんの口に運んだ。


「ん~!」


 甘いものはなんでも好きらしいからな。

 こんなとろけるような顔をされたら、いくらでも貢ぎたくなる。


「食べさせてもらえたら」

「……え、俺が?」


 ………………まぁ、それで食べてくれるなら。


「あー」

「介護だなぁ」

 

 チビたちの前でこんな姿を晒してもいいのか。

 というか食べさせたら食べられるなら、ただの怠惰では?



 結局半分程度食べてもらえたので、後は俺の分として。


「じゃあチビたちお願いね」

「うん。いってらっしゃい」

「いってきます!」


 部活に行く春乃さんを見送り、ひとまず片付けてしまおう。


「……うめ~」

「自分で作って食べてそんな顔できるなら、幸せなものね」

「そりゃあ、俺は俺が作ったのが一番好きだから」


 双子はリビングでゲームを始めたが、夏凪ちゃんはなぜか俺の隣に座っている。

 都合が良いからさっさと俺もゲームに行きたいんだけど、どうしたものか。


「ねぇねと付き合ってるの?」

「ぐふッ――ご、え、いや――全然⁉」


 むせた。

 もうちょっと脈絡とか、駆け引きとか、ないんですか。


 夏凪ちゃんは納得いかないような顔をして、黒い髪先を指でいじった。


「付き合ってもないのに、ここまでするの?」


 怪しまれている――というより、単に疑問なのか。


「仕事なんでね」

「どうしてここまでできるの? ねぇねと一緒の歳でしょ」

「ねぇねにできないことができるだけだよ。俺にできなくてねぇねにできることだってたくさんある」


 ……いや、これは求める答えじゃないだろうな。


「まぁ……罪滅ぼしかな」


 人の心を理解しようとするのなら、こちらも見せねば無作法というもの。

 だが追及される前に手を合わせ、食器を片付ける。


「何かすることない?」


 食器を洗う時、夏凪ちゃんに声を掛けられた。

 洗い物はすぐに終わるし、洗濯は用意が必要なうえ春乃さんがいる時がいい。


「ゲームでもする?」

「そうじゃなくて……。――ゲームはしない」

「好きじゃない?」


 夏凪ちゃんは俺を一度見上げてから、小さく頷いた。


「つまんないから」


 秋穂ちゃんが言うのとは別の意味のはずだ。

 でなきゃクソゲーを好んでやる意味がわからない。


 ……素直に聞いてみようか。

 

「どうせ自分が勝つから?」


 洗い物を終わらせて、手を拭き、夏凪ちゃんのそばで屈んだ。


「……うん」


 今度は俯いたまま、迷いながら夏凪ちゃんは頷いた。


「じゃあ俺と勝負しよう」

「話……聞いてた?」

「夏凪ちゃんが勝ったら……何か言うこと聞くよ」


 俺が勝ったらどうしてもらおう。名前を呼んでもらおうかな。

 ひとまずそこから――



「じゃあ、出てって」



 …………。


「ねぇねは説得するから、どうにかして……他の人を」

「俺が男だから?」

「うん」


 今度は一片の迷いもなく、夏凪ちゃんは頷いた。

 父親のことか、あるいは別の理由か。

 彼女に何があったかは知らない。知らないままで、出て行けるものか。


 どうやら目の色を変えるべきなのは俺の方だったらしい。


「わかった。でも条件がある」


 立ち上がり、俺は続ける。


「満足するまでやろう。全部夏凪ちゃんが得意なのでいい。一回でも俺が負けたら、出てってやるよ」

「この流れで自分に不利な条件つけることあるの⁉」


 俺の勝利条件は夏凪ちゃんから熱を取り戻すこと。

 単に勝つことじゃないからな。


◆◆◆


 ひとつめ、将棋。


「勝てる……の?」

「わかんない。初めてやる」

「負けたら、いなくなっちゃうんでしょ?」


 聞かれてたか。様子からして、秋穂ちゃんは知らないようだけど。

 それに俺と数回やった冬樹くんが言うのだから、腕は相当なのだろう。

 

「大丈夫だよ。負ける気はないから」


 

 ――結果から言えば、勝ちは譲らなかった。危なげもなかった。

 これなら、よほど冬樹くんの方が強い。


「もう一回」

「いいよ。何度でも」


 ――結果から言えば……その、何というか。


「僕、夏凪ねぇには最初の一回しか勝てなかった」


 人が変わったようだった。

 一戦目は、ただルールを知っているだけというふうだった。

 だが今回は違う。


 俺の手に最善の――俺からすれば最悪の手を指してくる。


 狙いを読まれている――それができるなら、どうして一戦目はあんなに弱かった?

 …………もしや夏凪ちゃんは、将棋を知っているわけではないのでは。


「……ぐッあ~~結構なお手前で!」

「将棋ってそういうこと言うの?」

「言わない!」


 将棋を――つまり定石や戦術を知っているわけではない。

 その場で俺の意図を汲み取り、理解し、対応しているのだ。


 人間技じゃねぇ。もはやこんなのは将棋ではない。ただの○×ゲームだ。

 だが夏凪ちゃんが全てを学び終えるまでは、意図的な悪手、罠で逃げ切れる。


「……ん……勝てない」


 三戦目を終え、夏凪ちゃんはそう呟いて席を立った。

 それからリビングの棚を探りに行く。


 一度の敗北で全てを知り、相手の思考を理解し捻じ伏せる。

 人の形を保った化物か。


 3勝0敗。


◆◆◆


 ふたつめ、クロスワード。

 語彙の差で勝つことは恐らく不可能だ。


「『クリスマスケーキ』」

「せいかい!」


 秋穂ちゃんが両手で大きくマルを示してくれた可愛い。


 思考時間はほぼゼロ、最速だったはずの夏凪ちゃんは、俺の解答用紙を覗いた。


「え”」

「ふたつしか埋めてないよ」


 今回の勝利条件は正解のワードを答えること。埋めることじゃない。


「一文字目が『ク』五文字目が『ス』で『みんなで食べるもの』なら『クリスマスケーキ』でしょ」

「卑怯……」

「何とでもいいな」


 4勝0敗。


◆◆◆


 みっつめ、格ゲー。


「……ぁ、う、えぅ……う、ハメられ、あっ」


 7勝0敗。

 

◆◆◆


 よっつめ、真っ白ジグソーパズル。


「まずどうしてこれが家にあるのか教えてほしいな」


 8勝0敗。


◆◆◆


 いつつめ、記憶。


「赤青黄紫青赤紫赤緑黄青赤黄緑紫緑青赤黄紫青赤赤……」


 8勝0敗1分。


◆◆◆


 むっつめ、リスニング折り紙。


「いや、リスニング折り紙ってナニぃ?」


 10勝0敗1分。


◆◆◆


 ななつめ、バルーンアート。


「はい、双子うさちゃん」


 11勝0敗1分。


◆◆◆


 やっつめ、早押しなぞなぞ


「八百屋さんがトラッ――」

「『スピード』」

「せ、せいかい……」

「過去問演習の差です」


 13勝0敗1分。


◆◆◆


 ここのつめ、ポーカー。


「ほい、フルハウス」


 14勝0敗1分。


◆◆◆

 

「そろそろお昼にする?」

「……まだ、勝ててない」


 ギャン泣きされかねないほどに、容赦なくやっているものの。

 夏凪ちゃんは泣くはおろか、悔しそうな顔もしていない。


 そんな彼女が持ってきたのは冊子。


 とお、最難関中学の入試問題、算数。


「そりゃあ、俺は春乃さんに比べれば成績は下だけどさ」


 夏凪ちゃん86点に対し、俺は100点。


 15勝0敗1分。


「俺だって永嶺だよ」


 いや86点は十分おかしいけどね? あんた小5なんだから。


 夏凪ちゃんは解答用紙を眺める後、バサッ――と強くテーブルに叩きつけた。


「……っう……」


 震える小さな呼吸を繰り返し、夏凪ちゃんは自分の胸を両手で押さえた。

 テーブルにおでこを擦り付け、跳ねるように起きて俺を見上げた。


 上気した頬に潤んだ瞳。それは泣き顔というよりも……なんというか。

 悔しさでも怒りでも憎しみでもなく。

 心のトキメキを抑えられない少女のような恍惚とした……ええと。



 瞳孔に『♡』を映すように、俺には見えた。

  


「ぜんっぜん勝てない……ッ♡」

 


「なんか思ってたのと違ァう!」

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