第8話 失われた記憶
朝の通勤途中、山田隼人は多くのパトカーとすれ違った。
何か事件でもあったのかと思いながら、いつも通り駅前のコンビニに入ると、そこにもパトカーが停まっていた。
「大田さん?」
その場で聞き込みをしていたのは、居酒屋「わっしょい」の常連仲間である大田だった。
いつもの普段着とは違うスーツ姿を見て、山田は彼が刑事であることを初めて知った。
「おお、山田君、おはよう!」
「大田さん、警察の方だったんですね?」
「まぁ、わっしょいでも一部の人間しか言ってなかったからな。」
「な、何かあったんですか?」
「まあ、ちょっとな…。俺の口からは話せないが、昼にはニュースになるだろう。」
大田は既に嗅ぎ付けてきた記者らしき集団を指差した。
「大田さん!被害者には交際中の人間が複数いたようです!」
後輩刑事の熊谷が駆け寄ってくる。
「よし、まずは恋愛のもつれから当たってみるか…。じゃあ山田君、今度また一杯やろう」
山田は会釈して大田を見送り、コンビニに入った。
しかし、そこにいつもいるはずの栗城の姿はなかった。
昼のニュースで、山田は栗城が殺害されたことを知り、愕然とした。
顔見知りだっただけに、彼のショックは大きかった。
警察の捜査は続き、栗城はストーカー被害に遭っており、昨夜栗城宅に侵入していた鈴木という男の身柄を拘束したらしい。
鈴木は精神に異常を来しており、殺害した栗城の遺体を畑の案山子にして放置したことを認めていたが、殺害については断固として拒否を示した。
「殺ったのは俺じゃねぇ!犯人は他にいる!俺が栗城の家に行った時には殺られてたんだぁぁ!」
この事件は、馬場の事務所でも大きな話題になっていた。
「…普通に『俺がやりました』なんて言う犯人はいないよね…。」
冷静に苦笑いしながら入沢が言った。
「ぜってぇ、この鈴木だろ?なんで殺してねぇのに遺体を案山子にしてんだよ…。」
タバコを吸いながら興奮気味に藁谷が言い、由紀はニュースに拒絶を示した。
「ヤバいよね?殺されて案山子だよ?私、絶対嫌なんだけど…。」
隣で黙々と新聞を開いている夫の峯岸に「うちもストーカーとかされたら頼むよ、旦那様!」と話しかける由紀。
「山ちゃん、この子知り合いだったんだろ?」
新倉の問いに、山田は肩を落として頷いた。
「まあ、アイスでも食って元気出せよ。ここんとこ、ろくなことないからな…。」
新倉から手渡されたアイスを受け取ると、背後から呪いのような馬場の声が聞こえてきた。
「おお!山ちゃん!アイスなんか食っちゃって、ずいぶん余裕だな?知り合いが殺られてショックだろうが、俺はお前が会社の信用を落とすのがショックだわ!」
馬場の非情な突っ込みに、一同は苦笑いを浮かべる。
「す、すいません…」
山田は悲しみをこらえて頭を下げた。
「お前、今朝は酒臭かったよな?どこで飲んでたか知らんけど、ちゃんと仕事してから飲みに行けよ。」
「す、すいません…。」
馬場は不意にテレビのニュースに目を向け、それから山田を見た。
「案外、このコンビニ店員殺したのは…山ちゃんだったり?」
山田はもはや反論する気力もなかった。
「社長、それ言い過ぎ~!」
「い、いくらなんでも山ちゃん、可哀想でしょ?」
由紀と藁谷がフォローを入れる。新倉は笑いながらアイスを口に運んだ。
「そんなこと言って、馬場ちゃん、俺の冷蔵庫のアイス、密かに食ってるだろ?」
「あ!新倉さん、バレてた?」
山田をよそに、事務所は盛り上がった。
山田は笑うことすら馬鹿らしくなり、些細な馬場のジョークにも怒りが湧いてきた。
「お先に失礼します…」
山田はそそくさと事務所を出る。下で資材を確認している小林と挨拶を交わし、駐車場に停めた車へ急いだ。
「山ちゃん!気持ちはわかるが、深酒はやめとけよ」
小林は、山田の内なる怒りに気づいているかのように彼を見送る。
山田は振り返らずに頷き、車に乗り込んだ。
「も、もつ煮を…もっと、もつ煮が食いたい…」
無意識に言葉が漏れる。
彼の脳裏を昨夜、妻の由香子が作ったもつ煮がよぎる。
それと共に、栗城が恐怖の表情で逃げ惑う姿がモノクロにフェードバックした。
「あ、あれ?栗城さん?なんで逃げてるんだ?」
山田は、失われていた自分の記憶を不審に思いながらも、真っすぐ自宅へと向かった。
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