「本当に……馬鹿なんだから……!」
別に何も間違ったことをしたとは思っていない。たとえ貴族社会的にはそうじゃないとしても、俺は俺の心に従って行動したんだ。
余計なお世話? そりゃそうだ。これは俺のわがままで自己満足だ。あいつだってこんなことしてほしいと思ってたわけじゃないだろうさ。
俺一人じゃ絶対にできなかった。こんなことしようと思わなかった。……いや、そもそもの話あいつらがいなけりゃあいつと知り合うこともなかっただろうな。
だから感謝してるんだ。まだ素直に伝えるには恥ずかしいけどよ。いつか絶対にこの気持ちを返してやりたい。そう思ってる。
俺がフィデル家に乗り込んだあの日。
普段組合はこんなことしてくれないからな。組合の指定の依頼を優先して片付けるという取引もあったが、まあ仕方ないところだ。基本そういうのはあんまり他の人間がやりたがらない依頼ばっかりだが、組合からの信頼が稼げると思えば悪いことばかりじゃない。この先長くやっていくには信頼なんていくらあっても困るもんじゃないからな。
「貴様、今更何の真似だ……!?」
「何の真似も何も、俺がスピリッツ家に融資をする。スピリッツ家はその金でフィデル家への借金を返す。それだけの話だろ?」
応接室で相まみえたルキウスは俺を射殺さんばかりに睨みつけていたが、そんな視線全く怖くないわ。俺が何を相手にしてきたと思ってんだ。
俺はスピリッツ家の当主――フレイアの父親に金を渡すとその場を後にした。無責任なやり方かもしれないがフィデル家と交渉するのは俺の役目じゃないし、正直に言って今にもぶっ倒れそうだったっていうのもある。
全身傷だらけだし血も流しまくりだし、魔力もすっからかんだった。気合だけで立って動いてたみたいなもんだ。
魔性侵攻の主と一対一で戦う? あの時の俺は頭に血が上った馬鹿だったんだ。こんな無茶二度とごめんだ。もし仮に次があるとしたら今度はアルタやら他のやつらやらも連れて、しっかり連携しながら戦うわ。……まあ、次なんてない方がいいに決まってるんだが。
俺が部屋を出る時フレイアが何か言いたげに俺を見ていたが、俺はその視線を無視してフィデル家を出て行った。俺もフレイアに言いたいことはいろいろあったが……そういう話をする場所じゃないってのはわかるだろ?
フィデル家の外で待ってた仲間たちと一緒に帰路に着いた。仲間たちはやいのやいの何か言ってたが、その辺でだいぶ限界だった俺は全く話が頭に入ってなかった。
家に着いたら騒がしい使用人やらを無視してサッと湯浴みだけすると、さっさと自分の寝台で横になった。怪我の治療やらなにやらは最低限組合でしてもらってたから、家に帰ってまで何かすることもない。
今日着てた服は……処分だな。ズタボロだし血が染み込んでるし、もはや服として成り立っていない。
また新しい仕事用の服を買い直さねぇとな……なんてことを考えながら、その日はそのまま眠ったのだ。
嘘みたいな本当の話なんだが、眠ってから俺が起きるまでなんと三日かかったらしい。起きたら体中痛ぇわだるいわ、喉は死ぬほど乾いてるわ、適当に寝台に転がったはずなのにきちんとした姿勢で寝てるわ、起きた瞬間はマジで意味が分からなかった。
まあでも本当に意味が分からなかったのはもっと別のことで。
「……おはよう、でいいのかしら」
目が覚めて一番最初にかけられたのは、最近聞き慣れたそんな声で。
無意識のうちに声のした方に首を向ければ、そこには落ち着いて品のある白いブラウスと紺色のロングスカートに身を包んだ真紅の髪の少女がいて。
「フレイア……?」
眉とか口の端がぴくぴくと動いて、表情が動くのを意志の力でねじ伏せているような、そんなよくわからない表情をしたフレイアが俺を覗き込んでいた。
「なんでここに――げほッ……」
「ああ、馬鹿! いきなりしゃべろうとするんじゃないわよ! ……はい、お水。ゆっくり飲みなさい」
寝台の脇に置かれていた水が入ったグラスを差し出してくるフレイア。俺は痛む体を何とか起こしてフレイアからグラスを受け取り、言われたとおりにゆっくりと飲み込んだ。
一口、二口……張り付くように乾ききっていた喉に水が染み込んでいく。気付けばグラスの中はとっくに空になっていて、それを見たフレイアが俺からグラスを受け取った。
「……ふぅ。ありがとな、フレイア」
「どういたしまして……なんて、こんなこと私が言う資格なんてないのかもしれないけど」
今までに見たことがないくらい萎れた態度のフレイア。いつもの勝気な瞳は今は弱弱し気に伏せられていて、俺から受け取ったグラスを握る手が心なしか震えているように見えた。
俺はそんなフレイアに何か言葉をかけようとして、なんて言っていいかわからずにただ空気を吸い込むだけになってしまった。
目が覚めたらフレイアが何故か俺の横に座っている。その状況が未だに飲み込めていないのに、その肝心のフレイアは何故か全く元気がない。
この部屋には俺とフレイアの二人しかいなくて……そこまで考えたところで、ふとそれまでのことが蘇ってきた。
「なぁ、あの後どうなったんだ?」
俺が金を渡した後どんな話し合いが行われたのか。俺にはどんな修羅場があってどんな内容の取引があったかなんてわからないが、なんとなく一つだけわかることがある。
端的に言って今のこの状況がそれを表している。だってそうだろ? 貴族の子女が婚約者でもない男と室内で二人きりになるなんて普通ない。……ないよな? 俺、古いかな……。
なんて一人内心考えていると、フレイアがぽつりぽつりと口を開き始めた。
「あなたの持ってきたお金のおかげで、スピリッツ家のフィデル家に対する借金は無くなったわ」
「そりゃよかった」
「本当にありがとう……スピリッツ家はあなたに対して返しきれない恩ができたわ。これから何かあればスピリッツ家に何でも言って。必ずあなたの助けになるわ」
「へぇ……助かる話だな」
借金が無くなったっていうのは朗報だな。まああれだけ金貨積んだんだから無くなってくれなきゃ困るってもんだが。スピリッツ家の助けもありがたい話だ。
……でも、俺にとって重要な話はそこじゃないんだ。お金の話とか、そういうのは些末なことなんだ。もっと大事なことは他にあって、俺も仲間もそのために体張ったんだ。命張ったんだ。
「フレイア、教えてくれよ」
俺の呼びかけにフレイアの肩がピクリと揺れる。……まあ、フレイアだって何聞かれるかはわかってるだろ。
それなのにこの反応……もしかして、もう手遅れだった……?
――たとえそうだったとしても、俺は聞かなきゃならないだろ。事実を。現実を。フレイアとルキウスの婚約が決まったのか、それともそこは流れたけど俺との婚約は白紙になったのか。
なんだ。何を言われても、俺は受け入れるさ。なんて思っていたのに。
「……あなたのおかげで借金も無くなったのに、あなた以外と結婚するわけないじゃない! この馬鹿! 何やってんのよ、みんなを巻き込んで危ないことして! 私なんか放っておけばいいのにっ。あなたの優しさに甘えて、馬鹿なこと言って……! 何もできなかった私なんて……」
「フレイア……」
「組合の人とか、みんなから話を聞いて愕然としたわ……魔性侵攻の主に一人で突っ込んでくなんて馬鹿じゃないの……?」
「いや……その……まぁ……」
「散々自分で才能無いって言ってたくせに! 危ないことに首突っ込んで! こんな大怪我負って! 何してんのよ!」
決して大きくはない。けれども力の籠ったフレイアの叫びに、俺は何も言えなくなってしまった。
いつの間にかフレイアの目からぽろぽろと涙が零れていて、さっきのフレイアの不思議な表情はこれを我慢していたのかと今更ながらに理解した。
「……もう目を覚まさないかと思ったわ」
「……そんなわけないだろ。俺は剣聖と賢者の息子だぞ?」
「馬鹿……本当に。本当に死んじゃうと思ったんだからぁ……!」
そう言って子供の用に泣きじゃくるフレイアを胸の内に抱きしめる。体が痛みを訴えてきたが、全く気にならなかった。
「何のためにあんなのと戦ったと思ってんだ。死ぬわけねぇだろ」
「本当に……馬鹿なんだから……!」
涙でボロボロのフレイアの顔を俺に向けさせる。特に何かを考えたわけでもない。でも、自然とそうなった。だって俺達結婚するんだし、こんなの当たり前だろ?
俺とフレイアの唇の距離がゼロになる。吐息をお互いに感じて、それからそっと離れていった。
「好きだ、フレイア。俺と結婚してほしい」
「好きよ、ディッカ。私と結婚してください」
それからもう一度だけ口付けをして。
俺のために、俺の仲間のために怒って、泣いてくれる。笑ってくれる。俺の家とか才能とか関係ない。俺自身を見てくれている。
『周りの人があなたを形作るのではありません。自分自身であなたを形作るのです』
なんだか爺の言っていたことが今更ながら少しだけわかったような気がして。
フレイアのことを好きになって、フレイアが俺のことを好きでいてくれて、今俺の腕の中にいてくれて。
心からよかったと、そう思えたのだ――
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