そんなフレイアの様子に、俺もつられて笑ってしまった。
フレイア――婚約者なのだから呼び捨てで構わないと言われた――は人の機微をよくよく見ている人間だった。それは人の顔色を窺って生きているわけではなくて、人の上に立つ存在として自分の周りにいる人、その周囲にいる人の様子を自然と把握している。そんな感じだった。
そしてそんなフレイアの観察眼は俺にも向けられていた。あれこれと小言を言われていたこととは別に、フレイアは俺の普段の言動から俺の内心を知りたがった。
「あなた、学校は楽しくないのかしら?」
「……楽しそうに見えるか?」
「見えないから聞いているのだけれど」
俺は気分が乗らなければ授業に出ないし、冒険者登録している組合から仕事が斡旋されればそもそも学校にも来ない。卒業に必要な単位を確保するために最低限の出席日数を確保してはいるが、はっきり言って学校に来ているかどうかは半分半分だった。
特に学びたいことも無いし、そもそもたいして居場所もない。俺がこうなる前から「落ちこぼれ」の俺には居場所なんてなかったし、今と以前とで俺にとっての学校は特に価値のない場所で共通していた。
家から通えと言われたから通っている。それだけの場所だ。
俺にとってはその程度の学校にも律儀に毎日通っているフレイアは、俺が学校に足を運んだ日にそんなことを聞いてきた。
「別に、楽しいと思ったことはない」
「……ま、ディッカのその様子じゃそうよね」
「悪かったな。俺との婚約はいつでも解消してくれていいんだぞ」
「馬鹿ね。しないって言ってるでしょ。それにあなたのことを悪く言ったつもりは無いわ。人には向き不向きがあるんだもの」
俺がフレイアに声を上げた日以降、俺はフレイアに事ある毎に「婚約を解消してくれていいぞ」と告げていた。
俺の家の方から婚約の解消を申し入れるとフレイアに問題があったと思われてしまうし、そもそも父親のあの様子からして婚約解消なんてこちらから言い出すのは無理だろう。その点、フレイアから婚約の解消を申し込んでくれれば非は俺にあると認識されるし、卒業したらさっさと出て行く家と街からどう思われようと俺は一向に構わない。
だからできれば婚約解消はフレイアの方から言い出してもらう必要がある。それなのに何故かフレイアは一向に俺との婚約を解消しようとはしなかった。
特に隠すつもりもなかったけど話しあぐねていた「自分の家とこの街を出て行く」という俺の予定も、目を見て話しましょうと言われたあの日以降にさっさとフレイアに告げていた。
「……お前みたいに才能のあるやつが俺みたいなやつとの婚約にこだわる必要なんてないだろ? それこそ引く手数多だろうに、なんでまた」
誰もいない放課後の教室。
西日の差し込む赤く染まった部屋には整然と机と椅子が並べられていて、魔法で浮いたランプが輝き、箒と塵取りがひとりでに掃除を行っていた。
そんな教室で自分の席に座った俺と、俺の目の前の席に勝手に座ったフレイア。
金を稼ぎに組合に行こうとしていたところを捕まって、何故かこの状況になってしまっていた。
「そうね。確かに私は才能があるかもしれないわ。それは自分でもそう思う。客観的に見てね? でも、私の才能とあなたとの婚約は何も関係ないわ。これは私の家とあなたの家との話し合いで決まったことだもの」
「そんなの、お前が一言俺が気に入らないって家に申し入れればすぐに反故になる程度の話だろ」
「そうかもしれないわね。でもそうじゃないかもしれない。あなたの家のことは正直……どうかと思うけれど。私の家には私の家なりの事情があるかもしれないじゃない? まあ、そもそも婚約を解消するつもりなんてないからこの会話に意味なんてないのだけれど」
真紅の髪に指をくるくると絡ませながらそんなことを言うフレイア。
正直に言って俺はフレイアが何を考えているかが全くわからなかった。フレイアだって俺が何を考えてるかなんてわからないだろう。まあ、それを理解するために俺の様子を観察して、こうして会話の機会を作っているのかもしれないが。
「貧乏くじだってわかってるだろ?」
「自分のことを貧乏くじだなんて言うのはよくないわ。少なくとも私はそう思わないし」
「俺たちが正式に籍を入れるだろう年齢の頃には俺はこの街にいないし、あの家からも出て行ってる。前も言っただろ? そんな状態で婚約もクソもない」
「あのね、私はあなたの家と婚約したわけじゃなくて、あなたと婚約したの。確かに婚約の話は私の家とあなたの家との話し合いだったかもしれないけど、実際に結婚するのは私とあなたよ。家は関係ないわ」
何を言っても反論される。フレイアの反論自体にも筋が通ってるとは思わないが……婚約を解消する意思が無いことだけはハッキリと伝わる。そんな反論だ。
フレイアを説得しようと頭を悩ませている俺を見て、フレイアは思わずといったように小さな笑みをこぼした。
それは普段大勢の人間の先頭に立って仕切っている「天才フレイア」とは思えないような、どこか年相応の少女の様な笑みに見えて。
「……なんだよ」
「別にー? 婚約解消しないって言ってるのに、頑固だなーって」
「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ」
「なによ! そんなことないでしょ!」
そんなフレイアの様子に、俺もつられて笑ってしまった。
――こんな、作り物じゃない笑顔なんていつぶりだっただろうか。
「それで? そのフレイアって女の子がここに来たがってるって?」
「来るなって言ってるのにうるさいんだ」
ある日の夜。
いつもの仲間と集まる集会場で、俺はいつも通りにアルタと気の置けない会話をしていた。
「お前みたいなお嬢様が来るような場所じゃないって言ってるのに、俺の話なんて聞きやしない」
「はっはぁ! 確かに貴族だか豪商だか知らねぇが、そんなとこのいいとこのお嬢ちゃんが来るような場所じゃあねぇな!」
「だろ? 今日も着いてくるんじゃねぇって止めるのに必死だったんだぞ」
自分の単車に跨って夜空を見上げる。
集会場のううるさい喧騒と街の汚い空気とは裏腹に、夜空に輝く星は綺麗で、透明で――
「にしても、お前も大概変わってきたな、ディッカ」
「……は? どこが」
突然のアルタの言葉に見上げていた夜空から視線を外して、思わずアルタの方に視線を向けた。
そこには何故か満足そうな顔をした筋肉質の男の怖い顔があった。
「お前、気付いてねぇのかもしれねぇけど、フレイアちゃんの話をしてる時に薄っすら笑ってるぞ」
「……そんなわけないだろ」
アルタに言われて、反射的に右手で口の周りを触ってしまう。
……フレイアの話をしている時に、俺は笑ってる? そんなまさか。
「なんだ、ちゃんと大事になってきてんじゃねぇか。フレイアちゃんのことが」
「……馬鹿なこと言うなよ」
これまでなら明確に強い言葉で否定していたであろうアルタの言葉。
何故だかその時の俺は強く反論できなくて。
「――あと、お前が軽々しく『フレイアちゃん』とか呼ぶな、馬鹿野郎」
そんな言葉で、俺自身の心から目を逸らしたのだ――
※一週間ほど一日一話更新します。その後は未定です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます