第2話 冷たい視線と孤独な朝食

メイド長マーサに案内され、俺は広大な屋敷の廊下を歩いていた。

磨き上げられた床は俺の姿をぼんやりと映し、壁にかけられた歴代当主であろう肖像画の数々が、無言の圧力を放っているようだ。


(でかい……とにかく屋敷がでかすぎる……)


これが辺境伯の邸宅か。

俺が住んでいた安アパートが、蟻の巣みたいに思えてくる。

まあ、比べるのもおこがましい話だが。


廊下のあちこちで、忙しなく立ち働くメイドや使用人たちの姿が見える。

彼らは俺の姿を認めると、一様に足を止め、深々と頭を下げる。

その動作は洗練されていて、さすがは貴族の屋敷といったところだ。


しかし――。


彼らが顔を上げた瞬間、俺に向けられる視線は、どれもこれも針のように冷たかった。

あからさまな嫌悪や侮蔑を向けてくる者はいない。

だが、その瞳の奥には、まるで汚物でも見るかのような、あるいは近づきたくない厄介者を見るかのような、そんな感情が透けて見えるのだ。


(うわあ……マジで嫌われてんな、俺……いや、ジールは)


覚悟はしていたが、実際にこの空気に晒されると、想像以上に精神的にくるものがある。

これが「世界最悪の悪役貴族」の日常か。

胃がきりきりと痛むような気がした。


やがて、重厚な扉の前にたどり着く。

ここが食堂らしい。

マーサが無言で扉を開けると、中にはすでに家族の姿があった。


広いマホガニーのテーブルの奥に、父クラウス・レイヴァルト・ディアル。

銀髪に厳格な顔つき、鍛え上げられた体躯は、まさに辺境を守る武門の当主といった風格だ。

今は魔導板のようなもの――おそらく新聞のような情報端末だろう――に目を通しており、俺が入室しても一瞥もくれない。


その隣には、母セラフィナ・レイヴァルト・ディアル。

柔らかな金髪を上品に結い上げ、穏やかな顔立ちをしているが、その目元にはどこか深い憂いと疲労の色が浮かんでいる。

俺の姿を認めると、一瞬だけ、本当に一瞬だけ、悲しげな微笑みを向けたが、すぐに俯いてしまった。


そして、テーブルの俺とは反対側に座っているのが、妹のミレイア・レイヴァルト・ディアル。

年は十歳くらいだろうか。銀色の髪を可愛らしいリボンで結び、人形のように整った顔立ちをしている。

だが、彼女は俺の存在などまるで無いかのように、ただ黙々と目の前の皿に視線を落としていた。

兄が入ってきたというのに、顔を上げようともしない。


(……これが、ジールの家族、か)


原作ゲームでは、この家族関係の破綻が、ジールのさらなる凶行と孤独を加速させる要因の一つだった。

父はジールに失望し、母は心を痛め、妹は兄を恐れ、嫌悪する。


ひどく重苦しい空気の中、俺は指定された席に着いた。

目の前には、見るからに豪勢な朝食が並べられている。

焼きたてのパン、色とりどりのフルーツ、上質なハムにチーズ、そして温かいスープ。

どれもこれも、俺が今まで口にしたことのないような高級品ばかりだ。


だが、正直、あまり食欲は湧かなかった。

この冷え切った空気の中で、果たして何を食べても美味しいと感じるのだろうか。


カチャリ、と銀食器の触れ合う音が、やけに大きく響く。

誰も、何も話さない。

ただ黙々と食事が進められていく。


父クラウスは時折、小さくため息をつきながら魔導板のページをめくり、母セラフィナはほとんど料理に手を付けず、ただスープをゆっくりと口に運んでいる。

妹ミレイアに至っては、小さな口でパンを齧ってはいるものの、その表情は能面のようだ。


(気まずい……気まずすぎる……!)


まるで針の筵だ。

こんな食事、消化に良いわけがない。


俺はとりあえず、目の前のパンを手に取り、ちぎって口に運んだ。

味は……美味い。さすが貴族の食事だ。

外はパリッとしていて、中はふんわりと柔らかい。噛むほどに小麦の甘みが広がる。


だが、それ以上に、周囲の冷ややかな空気が喉に痞えるようで、素直に味わうことができなかった。


(これが、悪役貴族ジールの日常……)


昨日までの俺の日常とは、天と地ほども違う。

金銭的には恵まれているのかもしれないが、精神的には、まるで牢獄だ。


ふと、顔を上げると、父クラウスが魔導板から顔を上げ、厳しい視線で俺を見ていた。

その瞳には、明確な失望と、どこか諦めのような色が浮かんでいる。


「ジール」


低く、威圧的な声だった。


「はい、父上」


俺はできるだけ平静を装って答える。

内心は、心臓がバクバクと鳴っている。


「……また家庭教師のエルマン先生を困らせたそうだな」


(うっ……いきなりそれかよ……)


頭の中のジールの記憶が、昨日の出来事を再生する。

確かに、エルマン先生の授業をサボタージュし、あげく暴言を吐いて追い返した、という記憶があった。

悪行の数々の一つだ。


「申し訳……ありません」


素直に謝るしかない。

今の俺に、反抗する意思も力もない。


父は、ふん、と鼻を鳴らした。


「謝って済む問題ではない。お前にはディアル家の嫡男としての自覚が決定的に欠けている。いつになったら、その愚行を改めるのだ?」


その言葉は、まるで刃のように俺の胸に突き刺さる。

ぐうの音も出ない。事実だからだ。


「……努力します」


そう答えるのが精一杯だった。


父はそれ以上何も言わず、再び魔導板に視線を戻してしまった。

母は、さらに悲しげに顔を伏せ、ミレイアはピクリとも反応しない。


(ああ、もう……最悪だ……)


これが、俺がこれから変えていかなければならない現実。

あまりにも険しい道のりだ。


それでも、俺は諦めるわけにはいかない。

破滅を回避し、穏やかな未来を手に入れるためには、この冷え切った家族関係をどうにか修復しなければならないのだから。


食事中、俺は何度か妹のミレイアに視線を送ってみた。

何か話しかけるきっかけはないかと探ってみたが、彼女は頑なに俺と目を合わせようとはしなかった。

その小さな肩が、微かに震えているように見えたのは、気のせいだろうか。


やがて、重苦しい朝食の時間が終わった。

誰もがほとんど言葉を交わすことなく、それぞれの席を立つ。


俺は一人、食堂に取り残されたような気分で、まだ湯気を立てている紅茶のカップを見つめていた。


「本当に……これからどうしたものか……」


ため息が、自然と漏れた。

その時、ふと食堂の隅で控えていたメイドの一人と目が合った。

彼女は慌てて視線を逸らしたが、その一瞬見えた瞳には、やはり冷ややかな光が宿っていた。


(まずは……俺自身の行動を改めることから、だな)


この屋敷の全ての人間に、俺は嫌われている。

その事実を、改めて骨身に染みて感じた朝だった。


自室に戻る足取りは、朝来た時よりもずっと重かった。

だが、同時に、腹の底からふつふつと何かが湧き上がってくるのも感じていた。


(見てろよ……絶対に、この状況、変えてやるからな……!)


孤独な悪役貴族の、静かな反撃が、今、始まろうとしていた。

そのためにはまず、過去の「俺」が何をしでかしてきたのか、もっと具体的に知る必要がありそうだ。

確か、ジールの部屋には……。

俺は、あるものを思い出し、少しだけ早足になった。


―――



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