第3話 私が産まれたから
私の両親は喧嘩が絶えなかった。
毎日のように口論になり、母は手当たり次第、父に向って物を投げつけた。
食器が割れる、物の命が終わった時の悲痛な音が今も耳から離れない。
父は父で、そんな夫婦関係に耐えられなかったのか、いつからか必ず飲酒して帰宅するようになっていた。
それは余計に母を苛立たせ、アルコールの入った父も歯止めを失って母に手をあげた。
家でもそうだったし、家族で外出しても二人は必ず喧嘩になった。
だから両親との楽しかった思い出は、私にはまるで無い。
結局、私が12歳の11月、両親は離婚した。
自家用車に荷物を積んだ父は、去り際に「やっと俺の人生だ」と言い残した。
当時の私には、まだその意味を汲むことはできなかった。
**
父がいなくなってから、我が家には束の間の平穏が訪れた。
母はパートに出るようになり、私は家事を出来るだけ手伝った。
母は大変だったと思うが、私にとっては物心ついてから現在に至るまで、最も幸せな時間だった。
「今度ね、詩織ちゃんの誕生日なの。2月22日。覚えやすいでしょ?」
「へぇ、覚えやすいわね。あ、そういえば2月22日、病院に行ってあなたがお腹にいるってわかった日なのよ。覚えやすいでしょ」
「わぁ!すごい偶然!」
その晩、詩織ちゃんへのプレゼントは何が良いかなとワクワクしながらベッドに入った。
そして、私は別のことに思いが至り、一転して凍り付いた。
両親の結婚記念日は同年5月5日、こどもの日。
そして私の誕生日は、同年9月の28日だ。
つまり、両親はデキ婚だった…?
私がデキてしまったから、両親は仕方なく結婚せざるをえなかった…?
両親の喧嘩が絶えなかったのは、私のせい?
今までの家庭内不和は、全て私が原因?
父が出ていったのは、私のせい?
―――やっと俺の人生だ
私は、父の人生を奪っていた?
「ひっ……!うわぁっ…!」
咄嗟にベッドから飛び起きた私は、勉強机のペン立てにあったカッターナイフを握っていた。そして自分の左手首を切った。
赤い液体が私の手首から滴り落ち、ピンクのカーペットを汚した。
ズキンズキンと、拍動に合わせて激しい痛みが走り、顔を歪めた。
しかしその時、今まで自分を苛んでいた罪悪感が軽くなっていることに気が付いた。
とても、楽になっていく感覚があった。
“赦された”と感じた。
それ以来、私は罪の意識に囚われるたび腕や肩、太ももなどを切るようになった。
**
シングルマザーとしての生活に疲弊していったのか、実はあんな結婚生活にも多少の未練があったのか、母は次第に心を病んでいった。
笑うことが極端になくなり、食事量は少なくなり、横になって過ごすことが多くなっていった。
パートも辞め、私達は福祉のお世話になって暮らすことになった。
私は母の力になろうと、家事の殆ど全てをこなしたし、学校を休んで一緒に通院することもあった。
私が14歳になった年の3月4日、母は自殺した。
リビングのドアノブにロープを掛けて、首を吊っていた。
発見したのは学校から帰ってきた私だった。
不思議と、混乱や悲しみは生まれなかった。
いつかこうなることを、私はどこか予想していたのだと思う。
もう学校に通いながら家事や母の世話をしなくていい。
そんな身勝手な安堵感も同時にあり、それには自分でも驚いたし、最低だと思った。
「すみません。母が首を吊って自殺しています。はい。住所は〇〇市△丁目の…」
私は至極冷静に110番し、遺書らしいものはないかと周囲を見渡した。
母の手元に、小さなメモ用紙が落ちていた。
『あんたなんか産むんじゃなかった』
それだけが、書かれていた。
一転して私の心臓は早鐘のように脈打ち、全身の末梢から血の気が引いて氷水のように冷たくなっていった。
「あ…………あ………」
―――やっと俺の人生だ
―――あんたなんか産むんじゃなかった
全てが絶対的に確実な事実へとつながった。
やはり全ての罪業は、私にあった。
私が産まれたから、少なくとも二人の人間が不幸になった。
私が産まれたから、一緒になりたくもない二人は結婚せざるを得なかった。
私が産まれたから、二人の人生は狂ってしまった。
私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。私が産まれたから。
私が、産まれたから。
「あ………ああ……あ」
私はフローリングに四つん這いになって、ただ呻くことしかできなかった。
涙は、一滴も出なかった。
窓の外では、パトカーと救急車のサイレンが鳴り響いていた。
そこから先の記憶は、無い。
**
というのが事の顛末だ。
私は生まれながらにして既に罪を背負っていた。
俗にいう“原罪”というやつだ。
だから私は償わねばならない、贖わねばならない、清算せねばならない。
痛みという罰をもってして、切実に、赦されたい。
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