第5話 迷える子羊の森

 「いや、あの頭を上げて。」


 見捨てる選択肢もあった。最終的には真凛の言葉で体が勝手に動いていただけで、命を天秤にかけていたのは事実だ。だから、素直にティルの感謝の言葉を受け止めることができない。

 俺の言葉を聞いてもゆっくりと頭を上げると、真っ直ぐな瞳とぶつかった。

 『白狼はくろう』、その名に相応しい美しい白い毛と狼が持つ神聖かつ勇猛な雰囲気を漂わせる。ラノベ的に言うなれば、亜人もしくは獣人といったところか。こういった種族が住まう異世界に来てしまったのだと改めて納得しなければならない。

 ティルは、俺が左腕に巻いた止血の布切れをギュッと握りしめて、さらに言葉を続けた。


 「この御恩には必ず報いてみせます。」

 「いやいや、本当に大したことはしてないんだって。」


 あの時は必死で、頭をフル回転させていたが、実際のところ、俺は近くにあったありふれた薬草から、何の特別感のないスキルを作って、超初歩的な薬を作り出しただけだ。

 仮に魔法だとしても、回復魔法を1回詠唱すれば、ポーション5個分の回復なんて容易いし、よくある毒という状態異常も直せる。ティルが命の危機に瀕していたのは事実だが、冷静に考えれば考えるほど、大層なことはしていないのだ。


 「一体どのような魔法を使ったのですか?」

 「魔法だなんて、俺はそんなの使ってないよ。」


 近くに生えていた『カイフクソウ』を手にとって、ティルへと差し出す。


 「これだよ。この薬草から回復薬を作ってHPを回復させただけ。」

 「や、薬草・・・ですか?」


 困惑した表情。やっぱり。これを聞いて彼女も落胆したに違いない。こんなもので自分の命が救われたのだと。御恩に報いるとか、仰々しい言い方を悔やんでいるに違いない。


 「そう。あーあとはそこに生えてた薬草使って毒消しも作った。だから、別に特別なことはしてなかったんだ。」


 ティルは二拍ほど間を明けてから、くすくすと笑い出した。


 「ユウスイ様は面白いことを言いますね。」

 「な、なんか変なこと言ったか俺?」

 「いいんですいいんです。気にしないでください。」


 笑うたびにふわふわと揺れる白い髪や尻尾を見ると、ますます何がおかしかったのか疑問に残るが、まぁそんだけ笑ってくれるほど元気になってくれたということでよしとしておく。


 「なぁ、そういえばここがどこだかわかるか?」


 俺が話題を変えたのと、ひとしきり笑ったのもあって、少し頬を赤ながら喉の調子を整える。


 「ここは『迷える子羊の森』です。」


 真顔で伝えられたせいで、今度はこちらが笑いを堪えられなかった。


 「な、何かおかしいこと言いましたか私?」

 「い、いや、想像したよりも可愛い名前だなと思って。」

 「名前は可愛くても、実態は名の通り恐ろしいものです。」


 至って真剣な眼差しであるティルに、申し訳なさが優って自然とこちらも真剣な表情に落ち着いた。


 「この森に迷い込むと、来た道だけでなく、自分が誰だかもわからなくなるのです。そして、次第に恐怖で怯え、まるで子羊のようになると、この森に食われることになります。」

 「森に食われる?森が食うのか?」

 「えぇ、血や肉も骨も魂も全て。」


 思わずごくりと唾を飲み込む。


 「ど、どうやって?」

 「わかりません。何せ誰も見てないところで跡形もなく食べてしまうのですから。」

 「でもティルは自分が誰だか分かっているんだよな?大丈夫なのか?」

 「この森は、白狼族には何も影響を与えないのです。古代から白狼族にとっての聖地であり、この森が外部からの敵の侵入を守ってくれています。」


 ここはただの森ではなかったというわけか。森からはそんな恐ろしい雰囲気を感じ取ることができなかったが、それは俺がこの世界の人間ではないからなのか。


 「なので安心してください。私と一緒にいれさえすれば、迷うことはないですよ。」


 微笑を讃えたのも束の間で、再び空気が緊張した。


 「けれど同時に、黒狼こくろう族の聖地でもあり、互いの縄張りの中間地点にあるので、小さいいざこざが絶えません。」

 「なるほど、じゃあティルはそのいざこざに巻き込まれてしまったと。」

 「巻き込まれたわけではないです。自ら戦いに志願したのです。」

 「なぜ?君は族長の娘なのだろう?いわば種族の姫君じゃないのか?」


 姫、という言葉に少し恥じらう姿を見るとあまりそういう言い方に慣れていないことがわかる。


 「姫だなんて、そんな綺麗なものではありません。族長の娘だからこそ、力を見せなくてはならないのです。」


 俺は、その力強い言葉に対してすぐに返答することができなかった。てっきり少しやんちゃな箱入り娘かと思っていたのだが、実情は違った。いわば戦士として戦場に立っている。狼に相応しい気高い種族なのだろう。


 「ところでユウスイ様はなぜここにいらしたのです?」


 ここまでの話が真実であるなら、この答えには注意を払う必要がある。ティルが言うような、自分が誰なのか、とかどこから来たのかわからない、というような状態に陥っていない。ちゃんと自我もあるし、自分がどこでどうやって死んで今ここいるのか理解している。

 となると、ティルからしてみれば俺は異質な存在だ。恩人という言葉に嘘はないのだろうが、どこかで俺を怪しんでいる。それがこの気迫にも出ている。

 正直に話すか、嘘をでっち上げるか。どちらが最前か。


 「俺は─」


 言葉発したその時だった、頭上から激しい音を立てながら木々が落ちてくると同時に、何か重いものが背中にのしかかった。


 「誰じゃ貴様!!!ここで何をしておった!!!」


 獰猛で怒りに満ちた声が上から降り注ぐ。荒々しい息使いから、相当な勢いでここまできたことを推測させる。

 声を出そうにも、肺が押し潰されてうまくできない。まるで岩石が乗っているかのようにびくともしない。また意識が飛びそうだ。


 「やめて兄様!!!その人は私の恩人ですよ!!!」


 兄様?ティルの叫びと共に、体にのしかかる圧が弱まった。同時に肺に空気を送り込めるようになった。


 「恩人じゃと?こやつが?お前を襲っていたのではないのか?」

 「逆です!黒狼族に追われて、傷だらけになった私を癒してくれたのです!」


 まだ呼吸がぜぇぜぇするが、のしかかった体をようやく抜け、仰向けに転がり込んだ。そして急に体が浮かんだと思ったら、さっきまで俺の上に乗っかってたであろう、ティルと同じ白毛を携えた、筋骨隆々で上裸の白狼族が目の前にいた。俺の両肩を鷲掴みにして、人形のように持ち上げているようだ。よくよく見ると、この男だけでなく5人ほど同じ白狼族が周囲を囲っていた。

 男は顔をグッと近づけ、品定めするかのように全身をくまなくチェックすると、ニカっと牙を剥き出しにして笑った。


 「そうかそうか!!!お主がティルを救ってくれたのか!!!これは恩人だ!!!」


 声がでかい・・・耳がバリバリする・・・

 ひょいと俺を地面に降ろして、右手を掲げて大きく息を吸った。


 「よおし!!!皆帰るぞ!!!宴だぁぁ!!!」


 それを合図に周りにいた白狼族も一斉にウオォォォ!!!と叫び出した。

 一体何が起きているのかと、ティルに助けの視線を送るが、ティルは苦笑いして俺を見ているだけであった。


 「え、、あ、あの、帰るってどこへです?」


 唸り声に明らかにかき消されているが、それでも耳はいいのか俺の言葉を聞き取ってくれたようだ。


 「そんなの決まっておろう!!!白狼族の里じゃ!!!」


 

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