二日目 先遣隊

東の空が白み始める頃、王都の正門前には百名の影が集まっていた。

騎士団から選抜された王宮兵六十名は、統一された装備に身を包み、騎士ガルトの号令の下で整然と列を組んでいる。

対照的に、冒険者ギルドから集まった四十名は思い思いの装備で、普段の仲間同士で小さな集団を作りながら談笑していた。

「一攫千金の大仕事だ」

破格の報酬に釣られて集まった熟練冒険者たちからは、楽観的な声も聞こえてくる。しかし、昨日の戦いに参加した者たちの表情は重い。

彼らは無言で武器の点検を続け、時折不安そうに仲間と視線を交わしていた。

「準備は良いか」

ガルトの声が朝の静寂を破る。


城門が開き、馬蹄の音が響いた。

先頭を行くのは白馬に騎乗した女性。

朝陽を背に凛とした姿で手綱を取っている。

腰には佩剣を帯び、濃紺のマントが朝風に揺れていた。

その後ろには、銀の鎧を纏った近衛騎士が十騎ほど従っている。

「陛下......!?」

ガルトが驚きの声を上げた。

周囲の兵士たちが一斉に膝をつく。

冒険者たちも慌てて頭を下げた。

女王が馬上から百名を見渡す。

その眼差しは鋭く、しかし温かみを帯びていた。

「顔を上げよ」

静かな声が、朝の空気を震わせた。

女王は馬を降り、ガルトの前に立った。

「騎士ガルト。未知の脅威の調査を、そなたたちに任せる」

「畏まりました」

ガルトが深く頭を下げる。

女王は冒険者たちにも視線を向けた。

「冒険者諸君。王国は諸君の勇気に感謝する。どうか、無事に帰還してほしい」

その言葉に、冒険者たちの表情が引き締まった。

楽観的な空気は消え、誰もが覚悟を決めた顔つきになっている。


一行は王都を後にした。森の向こうに見える巨大な石造建築――昨日の大地震とともに突如現れた地下迷宮が、朝靄の中に黒い影を落としている。

迷宮の入口は、まるで大地に突き刺さった楔のような石造建築だった。

古代文字が刻まれた門扉の向こうに、深い暗闇が口を開けている。

「照明の準備を」

ガルトの指示で、魔術師たちが光球術を唱える。

青白い光が暗闇を照らし出すと、湿った岩壁と石の床が見えた。

第一層は、岩壁に滴る水音が響く湿った洞窟だった。

空気は重く、どこか腐敗臭に似た異臭が漂っている。

足音が反響し、誰もが無意識に武器に手をかけていた。

「何かが来る」

前衛の冒険者が剣を抜く。

暗闇の奥から緑色の影がよろめくように現れた。

ゴブリン――だが、その巨躯は明らかに異常だった。

「デカすぎる…」

「あれが本当にゴブリンか?」

通常のゴブリンより一回り以上大きく、本来なら扱えないはずの鋼の剣を軽々と振り回している。

続いて現れたオークも、常識を超えた大きさだった。

「アークゴブリン…」

「アークオークもいるぞ!」

学匠院から事前に伝えられていた情報と一致する。

二百年前に絶滅したはずの魔物が、なぜここに現れているのか。

戦いが始まった。

兵士たちは盾を構えて前進し、冒険者たちは得意の術や弓で援護する。

だが、敵の膂力は想像を超えていた。

アークゴブリンの一撃で兵士の盾が粉砕され、アークオークの斧が石の床を削り取っていく。

「くそっ、硬い!」

「魔術が効きにくい!」

それでも数の優位は覆らない。

死闘の末、先遣隊は第一層のアーク種たちを討ち果たした。

だが、すでに数名の負傷者が出ていた。

「負傷者は後方に下がれ。治癒師は応急処置を」

ガルトが冷静に指示を出す。

重傷ではないものの、数名が包帯を巻いた状態で隊列の最後方に回る。

全員で先へ進んだ。


しばらく進むと、洞窟の奥に開けた空間があった。

「泉だ」

誰かが呟いた。

石壁に囲まれた小さな泉。澄んだ水を静かに湛えている。

「不思議だな。この辺りだけ、空気が澄んでいる気がする」

確かに、泉の周りだけは先ほどまでの異臭が薄らいでいた。

「飲めるのか?」

「やめておけ。何があるかわからん」

ガルトが制止する。

先を急ぐべきだ。一行は泉を後にした。


やがて、奥に続く石段を発見した。

「地下に降りる階段か」

一行は慎重に石段を下っていく。

光球術の青白い光が石壁を揺らし、長い影が踊るように伸びていた。

負傷者たちは隊列の最後尾で、仲間に支えられながら歩いている。

第二層は、さらに深い洞窟だった。

そして、そこには妙な違和感が漂っていた。

「何だか変な匂いがするな」

魔術師のひとりが眉をひそめる。

空気に混じって、かすかに異臭が漂っている。

それは腐敗臭とも違う、何とも言えない不快な匂いだった。

瘴気。まだごく薄いものだったが、敏感な者には感じ取れる程度には存在していた。

「気分が悪くなるような匂いだぜ」

若い冒険者が顔をしかめる。

「何だろう、この嫌な感じは」

誰もが漠然とした不快感を覚えていたが、まだそれが何なのかは分からなかった。


そんな中、暗闇の奥から『それ』が姿を現した。

正視するのも困難な怪物だった。

発達しすぎた筋肉が体中に張り付き、灰色がかった皮膚は所々が爛れて膿んでいる。

四肢は本来あるべき形から歪み、歩行するたびに不快な摩擦音が響く。

顔は原形を留めず、口元からは粘液にまみれた何かがはみ出していた。

「うっ…」

冒険者のひとりが吐き気を催して膝をつく。

「何だ、あの化け物は…」

震え声でそう呟いたのは、若い戦士だった。

その醜悪な姿は、見る者に本能的な恐怖を抱かせる何かがあった。

だが、異形は答えない。

ただ歪んだ顔を見せると、鋭い爪を振り上げて襲いかかってきた。

剣戟と叫声が洞窟に響く。

魔術師たちが炎弾を放ち、弓兵が矢を射掛ける。

異形の動きは緩慢だったが、その膂力は恐ろしく、一撃で兵士の胸当てを砕いてしまう。

「効いているぞ!押し切れ!」

ついに、集中砲火の中で異形は崩れ落ちた。

黒い体液が地面に広がり、それもまた瘴気となって立ち上る。

「やったか…」

誰かが安堵の声を漏らした、その時だった。


洞窟の奥の大空洞から、地響きのような足音が響いてきた。

そして次の瞬間、青白い光球がゆっくりと、その巨大な影を照らし始める。

まず見えたのは、無数の腕だった。

次に、いくつもの歪んだ顔。

そして最後に、その全容が光の下に現れた時――

それは、人の想像を絶する異形だった。

複数の人間の胴体が無理矢理つなぎ合わされたような体躯。

あちこちから腕が突き出し、蠢いている。

それぞれに違う顔が歪んだ表情を浮かべていた。

下半身は無数の脚が絡み合う。

移動するたびに湿った肉の擦れる音が響いた。

全身から滴る体液が石床に落ち、黒い瘴気となって立ち上っていた。

先遣隊の誰もが、言葉を失った。

百名全員が恐怖に支配された。

「あ…ああ…」

「何だ…あれは…」

足がすくんで動けない者、その場に崩れ落ちる者、武器を取り落とす者。

そして負傷者の何人かが石段へ向かって逃げ出した。

しかし、巨大な異形が近くの岩塊を掴み、逃げる者たちに向かって投げつける。

岩石は凄まじい勢いで後方の負傷者たちを直撃し、一瞬で肉塊と化した。

そして、その巨大な異形の無数の口が、一斉に笑い始めた。

「モウ……モドリタクナーイ……」

人の言葉。

だが、それは複数の声が重なり合い、洞窟全体に響く狂気の合唱となっていた。

異形は笑いながら、巨大な腕を振り下ろす。

一撃で三人の兵士が壁に叩きつけられ、赤い染みとなって崩れ落ちた。

滴り続ける体液が瘴気となって立ち上り、洞窟内の空気をさらに汚染していく。

「逃げろ!」

「戦えるものじゃない!」

誰かが叫んだが、もう遅かった。

狭い洞窟に響く笑い声と絶叫、そして肉の潰れる音。

「散開!散開だ!」

ガルトが叫ぶが、狭い洞窟では逃げ場は限られていた。

魔術は弾かれ、矢も効果が薄く、剣は歯が立たない。

それでも何人かが必死に抵抗を続ける。

若い冒険者が果敢に戦斧を振るう。

しかし結果は変わらなかった。

騎士ガルトも剣を振るったが、巨大な拳に捕らえられ、鋼鉄の鎧ごと握り潰された。

熟練の冒険者たちも、魔術師も、弓兵も、一人また一人と地に倒れていく。

最後まで残った三人の冒険者が石段へ向かって逃げ出したが、伸びてきた腕に足を掴まれ、暗闇へと引きずり込まれていく。

そして、洞窟に静寂が戻った時、そこに立っているのは巨大な異形だけだった。

午後遅く、迷宮の奥深くから異様な音が地上まで伝わってきた。

地響きのような轟音、そして人のものとは思えない笑い声。

やがて、すべての音が止んだ。

不気味な静寂が森を包む。

誰一人として、迷宮から戻る者はいなかった。

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