実体のない執刀
瀬古悠太
第1話 プロローグ
「こちらが見学室になります。医師などの関係者しか立入禁止なのですが美玲さんは今回特別ということで」
白い長髪を結った色黒の中年医師、
正面に設けられた大きな窓ガラスからは手術室全体が、側壁のモニターから内視鏡で写した術野など手術の詳細が観察できるようになっていた。手術室には患者が手術台の上で仰向けに寝ている。ごくありふれた手術の光景だが通常と異なるのは患者の真横に6本のアームを携えたロボットが鎮座しているところだ。
「あれが最新型のSaverですね」
美玲はロボットをまじまじと眺める。手術支援ロボットSaverの純白な腕は滑らかで柔らかい流線型を描き、洗練されたデザインであると共に理に適った形状であることが伺える。左右3本対称に配置された腕の先端には術式に使用するクリップやナイフが取り付き、一見すると攻撃的な印象だが、全体のフォルムからまるで翼を折り畳んだ天使が自らの使命を待ち構えているような高貴さ、崇高さを感じた。このロボットになら自分の手術を任せられる、素人の美玲でもそう思わせるような不思議な存在感があった。
腹腔鏡手術を支援する内視鏡下手術支援ロボットは患者の腹部に小さい穴を開け、アームと内視鏡を挿入することで手術を行う。本来、開胸が必要となる手術でも手術支援ロボットを用いれば患者の負担が少ない低侵襲で治療でき、早期の退院が可能となる。ここ数年での手術支援ロボット技術は飛躍的に向上し、数々の手術を成功させた実績から一気に普及した。大病院だけでなく中規模の病院でも手術支援ロボットが1台は導入されるほど医療現場では身近になり、多くの患者の命を救う手助けをしている。
中でもNIMT社(Nippon Medical Technology Co.)が開発した手術支援ロボットSaverは難易度が高く開胸しなければ不可能と言われていた手術を成功させ、その名を世間に轟かせていた。
「今、守崎が入室しました。そろそろ始まります」
手術室に隣接するSaverの操作室に男性医師が入ってきた。色白で線の細い青年、彼が守崎
Saverによる腹腔鏡手術で治療不可能と言われた高難易度な治療を成功させた天才医師であり、医療業界だけでなく世間では彼の腕前を"神の手"と称賛している。美玲からの要望で高町は丁度予定していた手術の見学に連れてきたのだった。
守崎がSaverのサージョン・コンソールに座り3Dビュワー内視鏡と接続された接眼レンズを覗き込む。Saverはサージョン・コンソールに設置されたグリップとフットペダルを使って操作される。ペダルを踏むことで6本のアームの制御を切り替え、グリップにより把持や切除を行う。何度かグリップを握る動作を繰り返し、Saverのアームを確認すると守崎はマイクに向かった声をかける。
「これよりロボット支援下での大動脈弁再建術を行う。術式は弁形成術だ」
それを聞いた手術室の助手やスタッフたちが目配せをして各々頷く。
助手の医師は患者の右第四肋間にメスで3センチほどのワーキングポートを開ける。次に右第三肋間にロボット左手用の小さい切り口、右第六肋間にロボット右手用の切り口を。内視鏡用のカメラポートは、ロボット右手用と左手用の真ん中に確保した。
「各ポートの確保ができました」
守崎は助手の合図でSaverを操作し、アームをポートから患者の体内に挿入していく。
室内のモニターには3D内視鏡により心臓が大きく映し出された。今、見学室のモニターに映っている映像は守崎がサージョン・コンソールで見ている映像とリンクしている。
「アプローチが早い。しかも弁形成術って言ったよな?」
モニターで見学してた医師たちの会話が美玲の耳に届いた。
それを察して高町が説明する。
「通常、大動脈弁再建術での弁形成は胸骨正中切開で行いますが守崎はSaverで弁を成形します。豆腐のように脆い大動脈弁を胸の中という狭い空間で縫い合わせることができるのは守崎以外にいないでしょう」
聞きながら美玲は守崎の正確で一切無駄のない動きに釘付けになっていた。
既に患者は心臓を停止、人工心肺に乗り大動脈弁形成に移っている。
アームの先端に取り付けられたジョーと呼ばれる鉗子が、糸のついた針を掴んで弁を縫い合わせていく。あまりにも見事な縫合だ。収縮し役割を果たせなくなっていた弁がみるみるうちに形を取り戻していく。
「これが"神の手"と呼ばれる理由ですね」
「ええ、複雑な立体構造の弁を守崎は素早く正確に縫い合わせてしまいます」
気が付けば手術は終盤へと差し掛かっていた。弁形成が終わり、今度は人工心肺から患者の心臓に戻すため大動脈遮断を解除する。大動脈の鉗子が外され心臓の鼓動が再開した。
「拍動、再開しました。体外循環、離脱します」
心臓内に残っている空気の脱気が始まり、患者の心臓が自己脈を出し始める。守崎が形成した弁は従来の役割を果たし、患者の心臓は規則的に脈打っていた。
「術式完了。縫合を頼む」
Saverのアームが体内から引き抜かれる。内視鏡が映していた術野は消え、手術が無事終了したことを示した。
「まるでタクトを振る指揮者のような、美しい動作でした。無理を言って拝見させて頂きありがとうございました。」
神の手に驚嘆した美玲は深くお辞儀をした。
守崎命、Saverによる手術支援ロボット下での大動脈弁再建術を確立させた天才医師。神の手の執刀は美玲が見ても強烈な印象だった。
「高町先生、美玲さん。それでは戻りましょう」
後ろから声をかけたのは看護師の
澄香は高町医院で看護スタッフを務めており高町の部下にあたる。実は高町は高町医院の医院長とここ帝都大学附属病院の特別主任、2つの肩書を持っているのだ。
「澄香君はせっかちだな。折角なんだからSaverについて説明して差し上げてくれないかな」
まさか急に振られると思わなかったのか澄香は高町に怪訝な顔を向けた後、窓ガラスへ一歩進みSaverを指差した。
「先ほど守崎先生が操作していたのがSaver。NIMT社が開発した最新手術支援ロボットです。手術支援ロボットならば、胸骨正中切開といった侵襲性の高い術式の代わりに、身体にアクセス用のポート穴を開けるだけの低侵襲な術式で治療が可能となります。そしてSaverの最大の特徴はあの白いアームにあります。」
物静かな印象とは裏腹に、澄香は饒舌に説明を続けていく。
「鉗子などが取り付くジョーの根元には6軸の力覚センサが内蔵されていてアームが感じた力、即ち身体の硬さをSaverは感じ取ることができます。そしてそれはサージョン・コンソールで操作している守崎先生の手のひらにフィードバックされるのです」
澄香がSaver本体と操作室のサージョン・コンソールを交互に指差した。
「ということは、Saverが感じた触感を守崎先生も感じ取っているということ?」
美玲の質問に澄香は心なしか得意げに答える。
「ご理解が早いですね。その通りです。しかもあのSaverは守崎先生の特別仕様になっていて、通常の10倍の分解能を有する力覚センサが取り付けられています。守崎先生は通常の医師では感じ取れないレベルの細かい感触を感じ分けているので、先ほどのような繊細な弁膜の再建も行えてしまえるというわけです」
触覚センサの分解能が高すぎても人間の触覚がついてこれなければ意味は無い。人間の触覚センサにあたる、指先のメルケル細胞やパチニ小体の分解能が限られているからだ。しかし守崎は常人より遥かに高い感度の触覚受容器を持っている。異様に発達した触覚受容器とSaverによる力覚フィードバック、これが神の手の正体だった。
澄香の解説が終わった直後、見学室の扉が開き、先ほどまで執刀していた守崎が姿を現した。
美玲の傍まで一直線にツカツカと歩み寄る。
「美玲さん。Saverは必ず応えてくれます。だから私とSaverを信じてください」
真剣な守崎の表情に美玲も正面から見据える。前代未聞の手術が始まろうとしていたのだった。
ことの始まりは少し前に遡る――。
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