23話 記憶に……封印?
整然とした部屋の壁際には、天井まで届く重厚な木製の棚が据えつけられている。
その棚には、球体関節人形が所狭しと並び、静かにこちらを見つめていた。
少年や少女の姿をしたものもあれば、腕だけ、頭だけのパーツもある。
いくつかは瞳がはめこまれず、空洞の
その虚ろな視線が、こちらを静かに追ってくるような錯覚をおぼえた。
びっしりと並ぶその光景は、美しいのに、妙に息がつまる。
おどろきと戸惑いが胸を満たし、足がすくむような感覚のまま──藍色の衣装を纏った一体に視線が吸いよせられ、人形を手にとる。
薄い布越しに、見覚えのある落ち着いた気配が伝わってきた。
どこかで見たことのある、静かなたたずまい。
「ここは?……」
ルベーヌが、そっと横に立つ。
「ここは……リュシアさま、あなたの母君の“制作室”。インフィニタスが生まれた場所です。」
「……ここが──…」
思わず、問い返していた。
「はい。……この人形たちは、インフィニタスの“はじまりの
ルベーヌの声が、わずかにかすれた。
まるで、大切な真実を語ることを、ためらうように。
「リュシアさまは……インフィニタスの“術師”でした」
「……母上が術師?」
「ええ。人形に命を与え、存在を創りだす者、それがリュシアさまです」
信じられない。
でも──どこかで冷静に、納得している自分がいる。
思わず、手の中の人形を見つめる。
今にも瞬きをしそうなほど、精密な造形。
──あの、藍の戦士たちと、同じ“匂い”がする。
「ユーリさまが持っておられる五体の人形。あれが、
そう言われて、急に指先が熱をおびる。
「……あの藍色の魔術師」
こないだはじめて五体が揃ったときに思いだした記憶。
ルベーヌは、ゆっくりとうなずいた。
その目に、微かな敬意と、痛みが宿ってるようにみえた。
「はい。──生まれたばかりのあなたを守る“守りの魔術師”として。リュシアさまは、五体それぞれに“魔法”を宿されたのです」
“守りの魔術師”──
懐かしいひびきが、胸の奥に、かすかな光を灯した。
まるで、誰かに見守られていた幼い記憶を、そっと掘り起こされたような感覚。
言葉にならない想いが胸に込みあげる。
「リュシアさまは、もともとエリュシオン寺院の僧侶の娘として、ここで生まれ育ちました。幼いころから強いお力を持っておられて──その力に目をつけたのが、皇帝です」
オレは、黙って人形の首元を指先でなぞった。
まるで、その記憶をたどるように。
「皇帝の
ルベーヌの声が、遠くで波のようにひびく。
けれどオレの意識は、いつの間にかこの部屋の空気に引きこまれていた。
静かで、冷たくて、どこか懐かしい。
ここで、母上は──彼らを、創っていたんだ。
そう思った瞬間、急に胸がざわついた。
まるで、自分の“はじまり”の場所に立っているような、そんな感覚がした。
埃っぽい空気に混じって、ふと鼻をかすめる懐かしい匂い──。
そうだ、あの時ソアラがくれたお香の匂いだ。
この匂いを嗅ぐと──なんだろう。
胸の奥に、断片的に何かがよみがえってくるような気がする。
そのとき、隣にいたゼノが、無言でオレに一枚の写真盾を手渡してきた。
セピア色の中に収められていたのは──。
おそらく母上と思われる、美しい女性と、六人の子どもたち。
「えっと……これ?」
写真を見つめながら、オレは戸惑いを隠せずに返答につまる。
顔はわかる。でも、それが“誰”なのかまではっきりしない。
「……まだ、思い出せない? よく見て」
ゼノが、写真の中の子どもたちを順に指差していく。
「これがユーリ。これが俺で、こっちが……」
一人ずつ、名前を添えて。
ゼノ──今の鋭さはまるでなく、弱々しく、どこか不安そうな目で母上の隣からこちらを見ていた。
リヴィア、エルディア、シオン。
おそらく、そうなのだろう。今よりあどけなく、それでもどこか面影がある。
そして、順に追う指先が止まった。
オレの手を繋ぐ少年。
端正な顔立ちは、今とほとんど変わらない。
やさしくて、やわらかな笑み。
──ソアラ。
それが、オレの記憶の底でずっと眠っていた、“ほんとうの彼”の姿。
その笑顔を見てしまった瞬間、もう後戻りはできない気がした。
禁断のパンドラを開けるように──。
写真の中の笑顔たちを見つめながら、オレは、必死に記憶の糸をたぐろうとした。
けれど、伸ばした指先は空を切るばかりで何も掴めない。
一人ずつ、名前は添えられた。表情も、それぞれに見覚えがある。
なのに──思い出せない。
記憶の扉は、まるで内側から鍵がかけられているように。
確かに
それが、まるで他人の思い出みたいに、遠く霞んでいく。
胸が、きゅうっと締めつけられる。
懐かしいはずのものに、拒まれているような──そんな孤独を感じた。
その時、静かにルベーヌの声がおちてくる。
「……やはり、リュシアさまの封印は非常に強いのですね。思い出せないのも無理はありません」
「封印……?」
聞き返す声が、少しだけうわずった。
「どういうことですか?」
オレの問いに、ルベーヌは、どこか遠くを見るような目で話しだした。
「リュシアさまは、あなたの心を案じて──あなたの記憶全てに、封印の術を施されたのです」
記憶に……封印?
言葉だけが、耳の奥にゆっくり沈んでいく。
けれど、頭の中は真っ白だった。
……それでオレは、今まで思い出せないままずっとひとりでここまで。
まるで自分の人生の“はじまり”だけが、誰かに隠されていたみたいに。
思わず、視線を写真にもどす。
そこに写る笑顔たちは、あまりにもやさしくて。
なのに、やっぱり思い出せない。
「ユーリさま、あなたがこの寺院で生まれ育ったのは覚えておられますか?」
「うん。十巡りまでいたのは」
だけど──まるで中身は覚えていない。
ルベーヌは、静かに話をつづけた。
「皇帝に見初められ妾として、リュシアさまはあなたを身ごもられ、それでも、リュシアさまはユーリさま、あなたを何よりも大切にお育てになられました」
妾──。
そのひびきに、一瞬心がざらつく。
けれど、それ以上に胸に残ったのは、“大切に育てた”という言葉だった。
オレにも、愛されていた時間があったのか?
忘れてしまっただけで──確かにあったというのか?
「ここには、かつて五人の少年が暮らしていました。あなたと、その母君と共に──。」
その言葉と同時に──お香の香りが、ふわりと鼻先をかすめる。
懐かしさと、やさしさと愛で包む、お香の匂い。
一瞬で、時の水面がゆれた。
まるで、それが合図だったかのように、ずっと閉ざされていた扉の奥から音もなく、記憶が流れこんでくる。
断片が、光の粒みたいに胸の奥で瞬く。
──白い光の中。
石畳の階段を、少年が先に立って登っていく。
振りかえった彼は、オレの手をきゅっと握った。
「大丈夫、もうすぐだよ」
その声が、胸の奥をあたためた。
小さな手。あたたかい声。誰かが呼んでいる。
オレは──オレたちは、ここで──笑って、生きていたんだ。
あの日。
あの扉の向こうで、ソアラが──。
「……オレは……確かにこの場所で、母と、ソアラたちと一緒に過ごしていた……」
胸の奥がじんと痛む。
懐かしくて、切なくて。でも、確かにあった、失われた日々。
崩れかけていた記憶の輪郭が、少しずつ──。
ゆっくりと──…
色と、暖かさを取りもどしていくように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます