第五章 精神ケアと調律装置
第10話 インフィニスタスは全員で五人です。
*精神ケアと調律装置*
今日は朝から、珍しく三人がオレの部屋に集まっている。
そういえば最近──この光景も、よく目にするようになった。
部屋の隅には、脱ぎすてた衣服。
寝台のうえには、読みかけの詩集と、壊れたままの球体人形。
あいかわらず片付かないこの部屋に、インフィニタスたちは何も言わず入りこんでくる。
……まるで、それが日常の一部であるかのように。
そして今日は、さらにもう一つの“珍しさ”。
普段は姿すら見せない、エルディアの姿が、そこにある。
淡いアッシュグレーの髪は短く切り揃えられ、肌は、ほとんど血の気を感じさせないほどに白い。
瞳の色は──いや、色味があったかどうかも思い出せない。
まるで空気が、そのまま人の形になったみたいだ。
黙って資料をまとめ、部屋の乱れたカーテンにも手をのばす。
無言。
無表情。
無駄な動きひとつなくて、こちらを見ているようで、何も見ていないような眼差し。
感情らしい感情が、見当たらない。
それなのに、何かを“整えてしまう”力がある。
ソアラから、やさしさだけをすっぽり抜いたら──たぶん、こうなる。
年齢も性別もわからない、ただの命令と秩序の塊みたいな存在。
それがエルディアだ。
シオンが”
リヴィアが”
ゼノが”
エルディアは、“
音を外せば、即座に元の軌道に戻されるような、そんな存在。
何も言わないのに、気づけば態度を……正されてる気がする。
そういえば──、
ゼノ、リヴィア、シオン、エルディア、そして……ソアラ。
その五人の司令塔として、全体の判断や命令権限を持っているのが、ソアラだった。
彼だけが、全員を“止められる”。
戦闘時の統率も、進退の判断も、皇帝の代理としての権限を持っている。
たしかに……そういう目をしてる。
命令を出す側の、絶対にゆるがない目。
ソアラがやさしいから……まだ、耐えられてる。
もし、エルディアが司令塔だったら。
オレは、とっくに逃げ出してるだろう。
……一瞬、想像してみた。
命令だけが全てで、逃げ場もいいわけも許されない日々。
──なんだか、ゾッとした。
「──帝王は、威光をもって人を従わせること。その姿勢が、国家の秩序を保ちます」
リヴィアは、オレの真向かいのソファーに腰を下ろし、分厚い教本を静かに開くと、穏やかに言葉をつむいだ。
今日も変わらず、帝王学の教導だ。
そうは言っても、テーブルには紅茶だのチョコレートだのとまるで茶会の雰囲気で、これを真面目な教導といえるのかはいささか疑問ではある。
リヴィアの言っていることは最初の頃からほとんど変わっていない気がする。
耳には入っているはずなのに、内容はまるで頭に残らない。
「……王子、聞いておられますか?」
「え、あ……うん。聞いてるよ。帝王は……威光、でしょ?」
シオンが用意してくれたバナナシフォンケーキをほおばりながら、てきとうに返したら、リヴィアがほんの少しだけ眉をひそめた。
でも、注意されることはない。ただ、無言で頁をめくるだけ。
隣に座っているシオンがいつの間にか近づいていて、気づけば手をかさねられていた。
「ねえ、ユーリ。退屈だよね? 朝からこんなに難しい話ばっかりじゃ」
小声で耳元に囁かれると、くすぐったさより先に、誰かの視線が刺さった気がして思わず身をひいた。
「……お前、近いんだよ。毎回のことだけどさ」
「えー、だってメンタルケア担当だよ? 距離感は大事なの」
シオンは悪びれずわらう。
この中ではいちばん喋るし、態度も軽い。
たぶんいちばん年下なんじゃないかと思ってるけど、本人が教えてくれるわけでもない。
勝手に手を繋いでくるし、オレがめんどうくさそうな顔をするとすぐに頬を膨らませる。
そのくせ、誰よりも〈ソアラ兄上〉の話には口をつぐむ。
インフィニタスの瞳の意味を話してくれた
……そう。兄上。
この五人の中で、唯一“長男”と呼ばれる存在──ソアラ。
ちらりと視線を向けると、エルディアが、黙ったまま机上の紙を整えていた。
目があったような、あっていないような不思議な感覚。
彼は一度もこちらに話しかけてこない。
ただ、そこにいて空気を整えるだけ。
リヴィアが静かにつづける。
「……皇帝陛下は、かつてこう仰いました。」
『揺れず、乱れず、従わせること。それこそが王の器の証。迷いに溺れる者は、美しくない』
無機質に読み上げられるその言葉に、思わずゾクリとした。
……これが、“王”になるってことか。
「……ユリウス王子?」
リヴィアの声が現実に引きもどす。
「あ、うん。聞いてる。えっと…“美しくない”んだよね、迷ってると」
どうにか答えると、リヴィアはまた目を細める。
口調も表情も変わらないまま、淡々とつづける。
……まあ、聞いてるフリは得意になったけど。
内容なんて、正直ぜんぜん頭に入っていない。
そもそも、手をマッサージされながらまじめに話を聞けるわけがない。
シオンが、まだ当然のように手を握っている。
「“ただの手繋ぎ”じゃ、ないんですよ?血行を促して集中力を高める、メンタルケアの一環なんです♡」
さらりと笑って、指先をなぞるようにもんでくる。
癒されるどころか、余計に落ちつかない。
「……あのさ、シオンって、いつもそうなの?」
何気なく問いかけると、シオンはきょとんとした顔で首をかしげた。
「“そう”って、どういう意味で?」
「……いや、いい」
これ以上突っ込んだら、たぶんよけいややこしい。
そんなやりとりの途中、ふと頭に浮かぶ。
『揺れず、乱れず、従わせること。それこそが王の器の証。迷いに溺れる者は、美しくない』
……オレは、そんなふうに作られてない。
でも時々、ソアラも、何も言わずに“それ”を求めてくる。
やさしい声で、やんわりと。
──無言の圧。
甘やかしてくれるだけで、よかったのに。
……せめて、“あのやさしさ”だけで、そばにいてくれたら。
「……あのさ。皇帝って、どんな人なの?」
思わず、口をついて出た。
この
──そして、オレの父親。
“空気の王子”として生かされて来たオレは、一度もその皇帝に会ったことがない。
「父上、ですか……?」
オレの言葉に、シオンの手の動きがぴたりと止まる。
わずかなゆれが、伝わってくる。
──そうだ。皇帝は、インフィニタスたちにとっても実質上の“父親”なんだ。
「えっと……寡黙で、厳しくて……えーと……」
珍しく歯切れがわるい。
シオンが言葉に詰まるなんて、ほとんど見たことがない。
「……うん、そういう感じの人、だと思うよ?」
無理やり笑顔にもどしたその顔には、わかりやすく“話題を変えたい”空気がにじんでいた。
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