第四章 角砂糖の甘さと記憶の断片

8話  そんな恥ずかしいこと、聞けるわけがない!

*角砂糖の甘さと記憶の断片*



雲一つない、すっきりと晴れた午後。

風は少し冷たくて、頬に当たるたびに冬のはじまりを思わせる。

部屋からつづく石畳のテラスをぬけ、石段を上れば月明かりのさすギャラリーへとつながる。

きもちを落ちつかせたいとき、よく足を運ぶ場所だ。


見おろせば城下の街が一望でき、西の空には、エリュシオン寺院がそびえ立ち、そこから鐘の音がかすかにひびいてくる。


こうして昼間にソアラと過ごすのはひさしぶり。冷たい風も彼がそばにいると、どうでもよくなる。


夜の時間もいいけれど、こんなふうにおだやかに過ごすのも悪くはない。

今日も延々と続く貴族たちとの顔合わせや、”王位継承”に向けた礼儀作法の稽古にうんざりしていたオレを、彼は黙って連れだしてくれた。


お気に入りの籐のソファーに膝を抱え、ミルク多めの紅茶に角砂糖を落としていくソアラの手元をぼんやりとみつめていた。

一つ、二つ──五つ。ぴったり。


……オレの好み、忘れてないんだな。

それだけで胸の奥がふっとあたたかくなる。

けれど同時に、じくじくと熱のようないらだちもこみあげてくる。


あの夜、あんなふうに身体をかさねたというのに、それ以降はまるで気にもとめないようす。

あれっていわゆる淫らに激しくって感じなんだよな?──…。

理性を失うくらい、何度も何度も……。急に顔が熱くなってきた。

こっちはあの日を思いだすだけであのときの熱がよみがえって、ソアラとまともに視線すらあわせられないってのに。

ちらりとソアラに視線をおくるが、やはり彼はいたって普段どおり。


……あのとき。

一瞬だけ、瞳が紅くゆらいだ気がした。

あれは、怒り? それとも──。

すぐに銀の何もうつさない瞳にもどるから……よけいにわからなくなる。

その曖昧さが、胸をざわつかせる。

……かと思えば、こうして甘く溶かし勘違いさせてくる。


抱きしめて欲しいのか、壊したいのか。

この感情が巡ってくると、本当にややこしい。

感情整理。

コントロール、不能──。


「……なあ、ソアラ、この間の夜のことだけど。その……」

ソアラは視線だけをこちらに向けた。

「いや、その……次回は、とかさ……」

ああ、言いにくい。


《では。次回は、もう少し乱暴にしましょうか?》


──あの“次回”は、いつなの?


そんな恥ずかしいこと、聞けるわけがない。

なのにソアラは、あえて知らぬふりをする。


「次回? もう少し詳しくお話を聞かせていただけますか。私がもしかして忘れていることもあるかもしれませんから」


まただ。

いつもそうやって、におわせるだけ。

本当に忘れているの?

それともわかっているのに、あえてにごすの?


ソアラは絶対に確信はくれない。

けど──そんなところも、嫌いになれないんだよ。


……ああ、認めるよ。オレの負け。


結局ソアラのきもちも確信を得れずに終わる。


忘却の霧──ふと、シオンの言葉がよぎる。

感情が積もる前に、塔が動く。

本当に、あの夜のことは忘れているのか?


オレだけ、馬鹿みたいに覚えて、引きずって──。

じゃあオレの好みは、記憶じゃなくただの”クセ”?

”愛”ではなく、ただの条件反射みたいなもんなのか?


そんなことを考えていたら、ソアラがちらりとオレの格好に視線をおくった。

あっ……と気づいて、あわてて抱えていた膝を下す。


”王子の品格”


彼は声に出して言うことはないけれど──、

時々、視線の圧だけで、それを思いださせてくる。

いつもはやさしいのに、こういう時の目だけは刺さるほど厳しくて。


……シオンが言っていた。

『兄上は、キレたらヤバい』

……なるほど。

ちょっとだけ、頷ける気がした。


「先日、エリュシオン寺院に行った際、司祭さまからこれを預かってきました。」

ソアラが古い巻物をとりだす。

「エリュシオン寺院……最近、行ってないな」

紅茶を一口含みながら、ふとつぶやく。

──が、あえて、その巻物は無視した。


「司祭さまが、また殿下とお話しをしたがっておりました。“説法の続きを、是非に”とのことです。」

そう言って巻物をオレに差しだした。

「うっ……」

思わず口をすぼめて、紅茶のカップで顔を隠す。


あの独特の話しかたと、まわりくどい例え話。オレにはさっぱり意味がわからない

「……説法はちょっと、にがて」

そう、わらってごまかした。


最近、よくソアラはエリュシオン寺院に出向いている。

あそこはこのくにで唯一、皇帝の統治が及ばない“独立した聖地”。

皇帝直属のインフィニスタスのソアラがそんな寺院に足繁あししげく通うのだから──よっぽど信仰深いのかもな。


……そのうちに出家なんて言いだすんじゃないか。

そうなったらオレもついて行く⁈

…いやいや、それはさすがにないだろ…なんてひとり頭の中でめぐらせながら。


そんなエリュシオン寺院は、オレが生まれてから十巡とおめぐりまで育った場所だ。けれど、不思議なほど当時の記憶がない。

覚えているのは──。

やさしかった母上の、ほほえみだけ。

そんな母上も、オレが十巡りの誕生日をすぎたころ亡くなった。


それからは寺院を離れ、この古城の離宮で暮らすようになる。

“皇帝の息子”という肩書きだけを背負って、ひとり孤独な日々を。

さみしいとか、孤独だとか──。

そんな感情さえ、よくわからなかった。

母上が皇帝のめかけだったことも、つい最近知ったばかり。

それまで、自分のルーツなんて考えたこともなかったし。

……ソアラたちがやって来るまでは──。


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