第17話 許嫁が気に入らない





 

「佐藤君、今日はどんな小説を読んでいるの?」


 部長から向けられた目を、直視できない。


 なぜなら本人は覚えていないようだったけれど、僕は先日、部長に告白紛いのことをしてしまったからだ。


 小心者の僕がなぜあんな強気なことを言ってしまったのか、未だに理解できない。でも決して嘘ではなく、紛れもない本心だったのもまた事実だった。


 もう少し自分に自信が持てたなら、せめて僕の小説が誰かに認められるようになったなら、この気持ちを伝えてみたい。


 たとえ玉砕しようとも、身の程知らずだと笑われたとしても、彼女が卒業してしまう、その前に……そんなことを考え、心のどこかで焦燥を感じていたのかもしれない。


「今日は親に決められた許嫁と突然同居を始めることになるという、ラブコメではよくある定番のヤツです……」


「へ、へぇ……そんなものまであるのね……」


 今日の部長は珍しくラブコメの定番設定に苦言を呈すことはしなかった。幼馴染モノでもなければ、黒髪ヒロインですらないというのに。


 拍子抜けしてしまった僕は、部長が言い出しそうなことを自分から切り出してしまう。


「でも、やっぱり現実味湧きませんよね。今どき許嫁だなんて聞いたことありませんし……」


「そ、そうかもしれないわね……」


「なんかだかいつもより控えめですね。もしかして、部長には許嫁が居たりするんですか?」


 ――ほんの冗談のつもりだった。


 それなのに部長は、痛いところを突かれてしまったというような、分かりやすい表情を浮かべる。


「な、なぜ……分かったの……?」


「え……」


「……」


 バツが悪そうに黙りこくる部長。その姿から一気にリアリティを増す、僕の知っている常識ではあり得ないような現実。やっぱり部長と僕とは、住む世界が違うんだ。


「そ、そうだったんですね……」



 僕が下を向いて受け入れがたい現実と向き合おうとしていると、部長が慌てて弁解する。


「で、でもね、父にはちゃんと断りを入れたの……! 私は自分で選んだ相手と普通の恋愛をしたいからって……! もしも学生期間中にそれが叶わなければ、その許嫁の方と結婚するという条件付きではあるけれど……」


「なんでそんな大切なこと、もっと早く言ってくれなかったんですか!?」


 無意識のうちに、僕は声を張り上げていた。


「だ、だって……」


 でもそれは、いつまでもウジウジしていた僕の怠慢だとすぐに気付くと、自らの怠惰を戒める。


「す、すみません……いきなり大きな声を出してしまって……」


「私こそ、黙っていてごめんなさい……」


「部長は何も悪くありません……素敵な恋、できるといいですね……」


「もうとっくに、しているわよ……」


 部長のこの言葉は、脳内の処理に追われていた僕には届かなかった。


 永遠とも思える程の長い時間、部室内に気まずい空気が流れた。


 これも全て僕のせいなのは分かっている。この絶望的な状況にぶち当たった時、今までの僕ならばしっぽを巻いて逃げ出していたに違いない。


 でもなぜだろう。


 今は逃げたくもなければ、簡単に諦めたくもない。乗り越えなければならない高い壁なんてなくとも、僕にとっては最初から十分に高嶺の花だったからだろうか。

 


 だから僕は人生で初めて、挑戦を選んだ。


「部長……ちょっといいですか?」


「ええ……」


 部長は俯き気味に顔を上げる。


「僕、次こそは、誰かに認めてもらえるような小説を書きます」


「ど、どうしたのそんなに改まって……?」


「それでもし、僕の作品が次の公募で1次選考を突破できたなら、部長に聞いて欲しいお話しがあります……いいでしょうか……?」


「も、もちろん……でもどうして……?」


「少しでも、今よりも自分に自信が持ちたいんです。それが叶った時には僕から、部長に伝えたい事があります……」


「しゃ、しゃとう君は、私を殺す気なのかしら……? そんなに熱い瞳で見つめられたら私、おかしくなっちゃう……」


 頬を赤らめ、慌てた様子で僕から目を逸らした部長。


「えっ……す、すみません、ていうか、どういう原理ですかそれっ!?」


「伝えたいことって……それって……もしかして……」


 モジモジと悶える部長の姿に、やっぱり迷惑だったのではないかと少し不安になる。それでも、僕の決意は不思議と揺らぐことはなかった。


「今の僕には恐れ多くて言えません……だからこそ、今まで以上に本気で取り組みたいと思ってます」


「じゃ、じゃあ、私に協力できることがあったら遠慮せずになんでも言ってね!?」


「ありがとうございます。でも、やっぱりこれは自分の力だけで結果を残したいんです……」


「な、ならやっぱり、せめて日頃のお世話くらいはさせてもらえないかしら……?」


「そんな……悪いですよ……」


「私も、佐藤君の力になりたいの……」


 部長の真剣な眼差しに、ましてや願ってもないこの申し出に、僕が首を横に振れる訳もなかった。


「あ、ありがとうございます……では、部長のご迷惑にならない程度に、お願いします……」


「分かったわ……!」


 こうして僕の、人生を賭けた一世一代の挑戦が幕を開けた。

 

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