海芋の苞になりたい

ひよっと丸 / 久乃り

第1話 目覚め


 減りすぎた人口を取り戻す為なのか、『バース』と言う言葉が浸透して随分経った。確実に妊娠する性として『オメガ』が酷使され、人口がゆっくりとだが回復してきた頃、バースに関する人権問題が提起され始めた。それと同時に、オメガが世界的に不足してきたことも問題となった。


 一部の有力者であるアルファたちが、子を産ませる事だけにオメガを消費した結果である。アルファとオメガの間に産まれるオメガと、ベータとベータの間に稀に産まれるオメガ。このオメガを奴隷か家畜の如く扱った。その結果、人権を尊重されて住みやすい海外へとオメガが流出し始めたのだ。

 ヒエラルキーの底辺に位置していたオメガたちは、亡命にも近い待遇で国を後にした。諸外国から批判を受け始め、ようやく権力者であるアルファたちが対策を取り始めたのだった。


 オメガからしかアルファが産まれてこない現実。このままではこの国から指導者となれるアルファがいなくなる。自分のオメガだけを守ったところでたかが知れている。そうして、ようやく取った対策が『シェルター』だった。アルファとオメガの間に産まれたオメガは、第二次性検査で判定されるが、ベータとベータの間に産まれたオメガは、バース判定のためのフェロモンが少なく、ベータと判定されることが多い。故に、大人になってから突然発情期を迎え、オメガに覚醒することとなる。


 そんなオメガを保護するための施設が『シェルター』なのだが、保護される過程に問題があった。






「ほら見て、またオメガ狩りだって」

「えー、いいなぁ、その合コンに居合わせただけでもお金もらえるんでしょ?」

「金一封っ言ってるけどねぇ」

「この子さぁ、月一で上げてるんだよねぇ」

「やっばァ」

「この子の合コンに参加したら、オメガ狩り見られるって、人気なんだよ」

「私も参加したぁい」


 朝から社内の一角で何気に恐ろしい話をしているのはベータの女子だ。オメガの女性は、元から持っている女性ホルモンのおかげか、第二次性検査ですんなりとオメガの判定がでる。出にくいのは男性のオメガで、男性ホルモンが邪魔をするのか血液検査で判定されにくい。


 そのせいで、長年ベータとして生きてきて、成人してから発情期を迎えてオメガと判定されることが多いのだ。それを利用して、合コンなどでオメガの発情を促す発情促進剤を酒や料理に混ぜて提供する、オメガ狩りが横行するようになった。


「怖いよな、女子って」


 ひとつ離れた島のデスクで、男性社員がパソコン画面に隠れるようにして話をする。


「ターゲットが男オメガだからでしょ」


 肩を竦めなくてはならないのは、仕方がない。なんだかんだ言っても、ベータ男性は合コンでもなければ上手いこと出会いがないのだから。


「でも、気をつけろよ菊池」

 肩を叩かれて菊池が相手を見た。


「なんで?」

「お前タゲられそうな顔してる」


 心配をしてくれているのかどうなのか、いささか疑問が生じる言い方だ。


「どういう意味だよ、島野」

「このフロアだと、お前が一番小柄なんだよ」

「それだけで?」

「女子ってーのは、流行りに乗りたいわけだよ」

「うぇ、今日の合コン出るのやめよーかな」

「それは、不味いって。疑われるだけだぞ」

「分かってるよ」


 合コンから逃げればますます疑われるのは知っている。仕事中に発覚すれば、同じフロアで働く者たちが均一に金一封を貰えるが、金額が下がる。それに、あと処理をしたくない会社の思惑もある。


 だからこそ、合コンなどの酒の席で発覚して欲しいと思うのが、管理職の本音である。ある程度の企業になれば、管理職もアルファではある。だからこそ、部下がオメガだと気づかなかったのかと無能呼ばわりされるのを避けたいのだ。出世に響くから。


 合コンで一服盛られて発覚する。


 この形が職場や家庭に迷惑を1番かけないとして、すっかり主流になっていた。



 ───────



「皆さん、グラスは回りましたか?」


 居酒屋の個室で、会社員たちの合コンが開かれるのは週末のお約束だ。

 幹事は大抵ベータの女性だ。学生時代なら、ベータ男子が仕切る合コンも、何故か社会人になると立場が逆転する。


「では、本日の出会いを祝して」


 幹事の合図でグラスが掲げられる。隣の人と、軽くグラスを合わせて一口液体を含むと、その後は各自自由に動き出す。

 女性たちはSNSにあげるのだと言って写真を撮り、あっという間に座席は入り乱れることになった。


「なぁ、盛られてると思うか?」


 自分の箸とグラスを確保しながら、島野が菊池に声をかけてきた。


「分かるわけないだろ」

 菊池は、小声で返す。


 もはや合コンのお約束、発情剤を盛られているのか否か。は、男性ベータの間で交わされるお約束の話題だ。大抵、乾杯の飲み物には入っていない。ある程度進んでから盛られるのが、常らしい。


「そこのお二人さん、お代わりしましょう?」


 注文用タブレットを操作している女性が声をかけてきた。


「あ、生中で」

「俺も」


 すかさず同じものを注文するのは、身の安全のためだ。本当は飲みたくもない生中を頼んでしまった。ビールの苦味が苦手なので、酎ハイを頼みたかった。けれど、人と違うものを頼むと、盛られる可能性が高くなる。身の安全を考えるのなら、とにかく人と同じ物を頼むしかない。


「はいどーぞ」


 すぐに届いた生中は、島野と菊池の前に渡された。


「ありがとう」


 礼を言ってすぐに口につける。そうしてグラスを手放さないのも、自衛手段でもある。けれど、遅効性の薬を乾杯のグラスに盛られていたら?毎回、参加する合コンの度に気が気でない。


「今日の女子は、やたらと写真撮るよな」

「思う。狙われてる?」


 万が一、この合コンでオメガ狩りが出たとしたら、人物が特定できる写真は即削除対象だ。料理の写真を撮りまくるのはそのためなのだろうか?

 疑いの眼差しを向けながらの合コンは、はっきりいって楽しくはない。何となく、菊池は自分がタゲられていることを、勘づいていた。


 追加注文のタブレットは、常に一人の女性が持ち続けている。参加している男性陣には全く触らせないのだ。料理は初めから全て1人づつの小分けなので、配られるのはランダムだ。いや、店の人間との間でターゲットを連絡されていたら、その時点で詰んでいる。

 飲み慣れない生中を片手に、菊池は唐揚げを口に運んだ。


 1時間も経過する頃、トイレに立つ者が増えてきて、菊池も生中を飲み干したところでトイレに立った。

 お代わりは戻ってきてからすると告げる。

 女子トイレは、随分と混んでいるけれど、男子トイレは空いていた。何故か、自分が入った後に誰も来ない。手を洗いながら鏡を見ると、目の周りがだいぶ赤かった。


 乾杯とお代わりで、飲み慣れない生中を2杯飲んだだけなのに、こんなに赤くなるのだろうか?席に戻ったら、お代わりはウーロンハイにしようかと考えながら手を拭いていると、頭上から何か匂った。


「ん?」


 頭上にある換気扇を見つめるが、低いモーター音がするだけで何か変わったことは感じない。

 厨房の匂いが逆流したのかな、と首を捻りながら一歩踏み出すと、急に酔いが回った。


「えっ?」


 自分が一番驚いて、思わず声が出る。けれど、腰が抜けたかのように床に座り込んだ。


「なんで?」


 立ち上がりたくても力が入らない。一気に酔いが回ったようで、並行感覚がおかしい。呆然としている菊池の前に、店員らしい服装の男性が声をかけてきた。


「大丈夫ですか?」


 返事をしようにも、頭が回らない。こんなことは初めてだった。得体の知れない浮遊感が体を支配していた。


「確保で」


 店員がそんな菊池を見ながら無線で連絡をしていた。普通の居酒屋だったらありえない行為だ。と、言うより、『確保』?


「え?、なん…で?」


 自分の吐く息が熱い。そんなに酔っ払ったのだろうか?生中2杯で?


「大丈夫ですか?お客さん」


 そう、声をかけられるけれど、なんと答えたらいいのか分からなかった。

 身体が熱い。思考がままならない。自分しかいない男子トイレ。頭上からきた匂い。


 嵌められた。


「大丈夫ですから」


 目の前店員がそう言うけれど、何が大丈夫なのか教えてくれ。俺は全く大丈夫では無い。


「こちらですか?」


 扉の外から声がして、店員が返事をする。そうして扉が開くと、担架を持った制服の人が入ってきた。


「ヒートですね」


 何かの機械が首筋に当てられて、電子音が聞こえると、すぐにそう言われた。


(ヒート?)


 回らない頭で、その単語を考える。今までの人生でその単語を使ったことは無い。聞いたことはあるけれど、なんの話しだっただろうか?

 脇の下に手を入れられて、担架の上に寝かせられた。布を巻き付けられて、頭から足までが隠された。ベルトをかけられた音がして、体の自由がきかなくなった。


「え?」


 浮遊感がして、自分が運ばれているのが分かった。けれど、もう、体の自由はきかない。布に覆われているから、周りの様子は見えないけれど、確実に注目を集めているだろう。


「先程の方の荷物は?」


 制服を着た公務員風の男性が、菊池の参加していた合コンの席に声をかけてきた。


「これです」


 島野が菊池のカバンを出すと、人の良さそうな顔で受け取った。


「後日、この宴会代を支払ったクレジットに振り込まれますので、暫くお待ちください」


 その言葉を聞いて、島野は背中が寒くなった。冗談で話していたことが現実になったのだ。


「それと、処理させて頂きます」


 そう言って、タブレットのようなものを出してきて、全員のスマホにかざしてきた。


「本日撮影された人物写真は、全て消去させて頂きました」


 島野が緊張のあまり凝視をしていると、人の良さそうな笑みを浮かべて制服の人物が近付いてきた。


「彼のデータも消去されますからね」


 島野は全身から力が抜けた。

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